【連載】続・マタギの村から◎大滝ジュンコ――第50回/春の始まりと山の神

第50回 春の始まりと山の神

 あんなに雪があっても、ちゃんと春だ。ひと足先に、男衆は目覚めた熊にソワソワする。週末ごとの熊巻き狩りの打ち上げに、十五~二十人前の軽食やつまみをこしらえるのが、私の春の助走だ。そうして迎える熊祭りでアクセルを一気に踏み、そのまま七月まで止まらない。それが春。 

 ゴールデンウィークなど全く無縁な山熊田。今年の熊祭りも例年通りだ。朝八時に公民館へ集合した村の女性四名で、まずは男衆が採ってきた山菜の下ごしらえ。山ウド、シドケ(モミジガサ)、タラノメにコシアブラが大量だ。それをおひたしや胡麻和え、天ぷらにしまくる。台所にはラーメン屋にあるような、大きな寸胴に熊一頭分の骨と肉が煮えたぎっている。調理室は湿気と熱気で充満し、普段からお世話になっている来客来賓が外にちらほら到着する頃、野菜と豆腐を熊骨鍋に投入。昼に開宴で、その前に男衆は一つ儀式を行う。山の神の御神木(山)担当と、会場前(里)担当の二班に分かれ配置に付き、御神木へ御神酒が捧げられると「ほーい!」「いよーい!」と、山と里、交互に三度、大声を鳴り交わす。熊を追う時の鳴り声だ。その隙に私たちは、こしらえた料理をバタバタと会場へ運ぶ。女人禁制のこの祭り、宴が始まれば会場に入れない。宴会が始まると、丼に並々盛られた熊汁は若い男衆が運んでいく。 

下ごしらえを終え、揚げられ待ちの山菜たち
頭骨や熊の掌まで、余すとこなくいただく熊汁
熊汁から骨を取り出せば、「骨かじり」という一品になる

 ひと段落すると女性陣は調理室の床にベタ座りして、いつもの休憩タイムだ。当初、この光景を「女は大事にされないのか?」と訝しんだものだけれど、今やこの恒例スタイルにホッとしてさえいる。来客の方々のお気遣いの甘いお土産を囲んで、来賓の奥様や運転手などもベタ座りの輪に入ってくれる。気遣い無用な空気感が、なんだか温泉みたいだ。それは宴会場でも同じで、肩書きなど横に置いて、全員が力一杯楽しんでいる。笑い声で建物が震える感覚も好きだ。 

 そのうち、男衆が「おのぼり」を始める。令和とは思えない奇習で、三方に乗せた大きなコップ二杯に並々と日本酒を注ぎ、一気飲みするのだ。今度は歓声と拍手で建物が震える。三方は会場を巡り、一人ずつおのぼりを頂戴していき、瞬く間に酩酊人間が量産されるという、恐怖の慣習だ。当の本人たちは一同ご機嫌な様子。酔い潰れる人もある。あられもない姿こそ山の神への奉納なのだろう、今年も熊祭りが行えてよかったね、と、この光景に慣れた自覚が感慨深い。 

 その次の休日は、村の道普請だ。冬の間、積雪や雪崩で荒れた道を整備するのだ。倒木や落石、崩れた斜面などは、大きなタイヤショベルを借りてきて自分たちで直す。それは男衆が担い、女性や高齢者は道や村のお宮様の掃除を行う。 
 この日の私の任務は、移住者Kちゃんと、軽トラで同行の近所の爺やと一緒に、六キロ下の県道から村へ遡るゴミ拾い係。初担当だ。渓谷に沿うこの道はブナ林や杉林があって、新緑の広葉樹は透き通るように美しい。雨に濡れて一層みずみずしい。沿道にゴミが落ちているというが、こんな美しい自然林に、今どきポイ捨てなんてする人いるのか?と疑っている間もなく、すぐゴミや空き缶は見つかった。長い距離を歩ける私たちは、目も良い。除雪の雪に埋もれた後だから泥まみれ、持っていたゴミ回収用のビニール袋はすぐに一杯になって、軽トラの荷台へ空ける。 

 山熊田までは一本道だ。作業車や住民以外の車が路肩に停まっていれば、だいたいが他所から来る渓流釣りの人だ。彼らは路肩が広い積雪時の待避所に長時間駐車していることが多いのだが、そのあたりにゴミも集中していた。驚くことにその内容物は、日本酒や酎ハイ、ビールなどの空き缶、空き瓶が最も多く、想像を絶して散在していた。飲酒運転疑惑と故意の所業に心底ドン引きだ。他にも長靴、ポット、パンやおにぎりの袋にペットボトルと、生活感がありすぎて気味が悪い。胸くそも悪い。 

 頭にくるのもバカバカしい。清らかな渓流を眺めて心の澱を溶かそうとしていると、あの穏やかなKちゃんも欄干の反対側で水面を眺めていた。同行の爺やが不法投棄されたバッテリーを見つけ、いよいよ私とKちゃんは絶叫した。この村の人にとって山は大切な宝物で財産だという意識が強い。この美しい山と共に生きているものにとって、体の一部のような存在だ。気持ちの良い環境というものは、たいてい必ず誰かが手入れをしている。もちろん釣り人全員のマナーが悪いなんて思っていないが、自然を愛でる方々だと思ってたのに、大切な山なのに、とドス黒く悲しい気持ちになった。それを察してか、同行する爺やは古道や利用できる樹種、昔話などを愉快に教えてくれたのだった。 

 体に染み入る冷たい雨が激しさを増して、スノーシェッドで雨宿り。軽トラの暖房やダッシュして体を温めていると、でかい雷が鳴った。山の神も腹を立ててくれているのだろうか。 

心の平穏のため古道に外れると、甌穴[おうけつ]の美しい沢があった
大滝ジュンコ

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。

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