【連載】続・マタギの村から◎大滝ジュンコ――第51回/わらび折りを見守るシナノキ

第51回 わらび折りを見守るシナノキ

 田植えが近づいてくると、村では小さな集会が開かれる。村共有の山のわらび採り計画を、皆で立てるためだ。村の共有林の芽生え状況を観察しに行くのは村の代表(総代)の係で、「そろそろわらびが盛りになってきそうだぞ」と、村じゅうに呼びかけ、参加希望者はわらび会議に集まる。参加者の人数から、二班に分かれて交互に赴くこととなった。 

横に広がって茂るシナノキたちが点在する村の共有林

 共有林の斜面の最上部では、とても細く、しかもすぐ枝分かれして食べられない性格のわらびが先駆けで生える。それが目安。食べられないわらびが出たから、一週間後あたりから盛りを迎えるのでは、との観察結果と経験をもとに、二つの班の日程が決まっていった。 

 だが初回に行く予定の第一班が、なぜか決められた日の四日前に行ってしまった。他の山ではとっくにわらびが盛りとなっているから、焦って我慢できなかったんだろうな。そして、「みな立って(育ち過ぎて)しもて何にもねっけ」と、今年から夫が総代となった我が家に報告が来た。そんなはずはないのになあ、と訝しんでいたが、まあ考えてもしょうがない。片方の班から中三日空けて次の班が行くというルールにより、第二班の私たちの予定も前倒しになった。 

 この村では、爺や婆たちの興が乗ったら最後、予定など立てられないのだな、と来た当初から思っているが、やっぱりか。他者の都合など知ったことではない感じだが、彼らに悪気などないのだ。善行とさえ思っている。 
 やる気に満ちるのは全く悪いことではないのだが、身の丈以上を求めるから大変だ。特に彼らの朝のやる気エナジーは凄まじく、寝耳に水の依頼が多発する。そしてほぼ緊急の案件ではない。断るのも一苦労で、当初それらに付き合っていたのだが、振り回されるのに疲れ果て、寝坊助作戦を発動することにした。 

 目覚めても寝室にいて、エンカウントしない戦法だ。「朝はダメな奴」と思っていただけたら本望で、それは案外うまくいっている。それに自然が人間を動かしている感覚には慣れたし、できることはもちろんやるが、できないことはできない、とお互い折り合いつけて自然体でいる術も定着したのだった。 

 さて、いよいよわらび山へ向かう日となった。涼しくて天気もいい。「本当に立ってしもたんかのう」と話しながら軽トラックに皆の荷物を載せ出発した。 
 山の斜面の入口には早速わらびがお迎えしてくれていた。お、これは幸先いいな、と思ったら、まさに盛りの始めといった具合で、一面にピョコピョコとわらびは背伸びをしていた。穂先をかしげて、まるでチンアナゴの群れのようだ。斜面総チンアナゴ。目に入る他にも、草花に隠れていて、かき分けて見つけると「しまった」とバツの悪そうな佇まいもかわいらしい。 

 愛でた先からポキポキと折ってしまうわけだけれど、申し合わせなどせずとも各々が等間隔に一列になり、カタツムリが苔を食べるかの如く左右に斜面を舐めながら、じわじわと上方へ向かう。一本も逃すまいとすると、自ずとそんなフォーメーションになるのだ。 
 一週間前には全く姿がなかったとは思えない、爆発的な春のパワー。四日後にはまた新たな芽が出て同じ景色に回復する生命力。人間とわらびの攻防を横目で眺めるシナノキたち。 

 そう、この山は数十年前に一斉伐採後、集落の皆で羽越しな布の原料となるシナノキやオオバボダイジュを試験的に植林した場所なのだ。日当たりを好むシナノキのために、他の樹木は伐採し、毎年手入れをしている。七~八年のスパンで村の皆で樹皮を剝ぐのだが、大勢だから配当も少ない。しかし、山の手入れを続けたおかげで、棚ぼた的にわらびが出るようになった。それから毎年、村人が組になって採取しに行く慣習ができたのだった。 
 肝心のシナノキはというと、雑木との日光争奪戦がない環境により、大きく両手を広げたように枝葉を横に伸ばしまくっている。まっすぐ長い樹皮が良しとされるしな布作りには、いささか奔放すぎる容姿だ。それでもシナノキは私たちにとってはありがたい相棒だから、ついツルツルの銀色の若い幹を撫でてしまう。わらび折りの休憩にも、心地良い日陰を提供してくれる。 

 シナノキも花の時期を迎えていて、爽やかな甘い芳香も始まったばかりだ。オオバボダイジュの花の時期はもう少し遅く、夏の頃だ。新芽を覆っていた薄皮はピンク色で、花のように見える。袋いっぱいのわらびの横に腰を下ろしてお茶を飲みながら、まもなく始まる重労働「シナノキの伐採・皮剝ぎ」にうっかり思いを馳せてしまった。まったく気持ちが休まらない。 
 爽やかな風が、「まあまあ、今を楽しみなよ」と、肩を撫でるように通り過ぎていってくれた。 

花のようなオオバボダイジュの芽鱗[がりん]
本当の花は、小舟のような苞の真ん中から飛び出ていて、かわいらしい形
大滝ジュンコ

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。

バックナンバー

バックナンバー一覧へ