第6回 ところ変わればトイレも変わる――けれど。
「世界共通トイレをめざす会」は、文字通り世界の主要空港・鉄道駅や公共性の高い施設に、シンプルで使いやすい共通仕様のトイレができたらいいと夢想しながら活動しています。
しかし一方で、世界のトイレ事情を調べていくと、その地域や環境にあった多様な仕様のトイレがあります。水の少ない砂漠などでは、砂でおしりを拭いていたそうですし、日本も昭和初期まで、人間の排せつ物は肥料として利用されていました。人口密度が少ない地域では、「トイレ」そのものがない地域もありました。

(写真は模型。韓国・ヘウジェより)
四半世紀ほど前の話だそうですが、知人によるとアフリカ・ザンビアの焼畑農耕民ベンバ族の村のトイレは、水浴び場と「小」をするところはいっしょで、「大」は囲いを作って穴を掘りそこでします。そして「大」用の穴がいっぱいになる頃に穴をふさぎ、別の場所に「大」用のトイレを作るそうです。
ところ変われば、トイレ事情も変わる、ですね。
「世界共通トイレをめざす会」のアンケートで外国のトイレについて聞くと、
・「トイレの扉は座った時に胴体が隠れる部分にしかなく、下着をおろすと見えてしまい恥ずかしかった」
・「アメリカのトイレの便座が大きすぎ、お尻が落ちてしまいそうで座れなかった」
・「トイレに扉そのものがなく、友人と見張りをつけながら交代で用を足した」
・「トイレットペーパーはなく、シャワーがついていたが、どう使用していいかわからなかった」
など、さまざまな話が飛び出してきます。
その中には何十年も前の話であるにもかかわらず、あたかも昨日経験してきたかのような、詳細なディテールと感想が生き生きとつづられていたものもありました。

(写真提供:栗原佳世さん)
「観光名所」ではないトイレ――当然、写真などは撮っていないでしょうし、旅日記にすら記していないでしょう。それなのに、強いインパクトによって脳に刻み込まれているのです。トイレを利用した時は「参った!」と思う経験でも、やがて、その思い出は少しばかり色を付けて語られたりしたに違いありません。トイレは、そうした文化の違いを垣間見ることができる装置でもあるのです。
だから、世界中が同じ仕様のトイレになるなんて、あまりにも味気ない世の中になってしまうのではないか、と、自分の中でも矛盾する気持ちが湧き上がってしまいます。
それでもなお、世界共通仕様の使いやすいトイレは、どこの国に行っても一定数はある、という状態もまた必要なのではないかと思っています。
その理由の一つは、世界的な人口増加。百年前の世界人口は約二十億人でしたが、今や八十億人を超えています。百年間でおよそ四倍です! 当然ながら、感染症のリスクは高まります。トイレはその感染源になる可能性が高い場所になり得ます。新型コロナウイルスが世界に瞬く間に広がったように、今後も新たな感染症が広がるリスクはあるでしょう。
やはり、文化の違う人たちが、一定の共通したルールやマナーを認識して、それに倣ってトイレを使用することは、感染症を防ぐ意味でも大切な視点です。空港など、世界中の人々が使用するトイレなどはなおさらのこと。
障害者や高齢者も世界を行き来する時代。それに合わせて、そうした人たちが安心して使えるトイレも、もちろん必要になってきます。
となると、公共性の高いトイレは、やはりある程度の共通性があるほうが好ましい。だって、トイレに行くときに、説明書を読んで「理解しました」と言って用を足せる余裕があるとは限らないでしょう。
空港などは、着陸態勢から我慢していた、という人もいるでしょうし、緊張や慣れない食事でおなかをこわす人だっているでしょう。せめて、国際空港や主要鉄道駅などのトイレは説明されなくても、ほぼ共通仕様で迷わずスムーズに使えるトイレであってほしい。
使いやすさはともかく「共通」という意味では、飛行機内のトイレはだいたい共通の設備です。ちなみにトイレではありませんが、シートベルト着用サインなどは世界共通ですね。



やはり、言葉が通じなくても最低限のことはわかる、という共通仕様は、トイレにも必要なのではないでしょうか?
では、どのようなトイレがよいのでしょうか?
その答えを探るためには、具体的な困りごとを知る必要があります。
次回は視覚障害者の方のトイレの困りごとを、アンケートとヒアリングをもとに考えていきます。

いしかわ・みき 出版社勤務を経て、フリーライター&編集者。社会福祉士。重度重複障害がある次女との外出を妨げるトイレの悩みを解消したい。また、障害の有無にかかわらず、すべての人がトイレのために外出をためらわない社会の実現をめざして、2023年「世界共通トイレをめざす会」を一人で立ち上げる。現在、協力してくれる仲間とともに、年間100以上のトイレをめぐり、世界のトイレを調査中。 著書に『私たちは動物とどう向き合えばいいのか』(論創社)。