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【BOOKS】芥川龍之介著『芥川龍之介の桃太郎』◎松永裕衣子

残虐で無自覚な所業のあとの謎の言葉

 古くから日本人に親しまれてきた桃太郎伝説は、文豪・芥川龍之介の手にかかるとどんな物語に生まれ変わるのか。
 短編小説の名手といわれた芥川の描く「桃太郎」は、多くの点で一般のイメージと異なっている。川を流れてきた桃から生まれた男の子が老夫婦に育てられ、やがて成長して犬と猿と雉を連れて鬼征伐に出かけ金銀財宝を持ち帰る、というストーリー自体は変わらない。大きく違うのは物語のもつ現代性と、登場人物たちのキャラクターである。時おり挟みこまれる作者自身の述懐にも独特の味がある。

 深い山奥で雲上に枝を広げ、黄泉の国まで根を伸ばす一本の大きな桃の木。中にそれぞれ美しい赤児を孕む実を累々とつけた木から、一つだけついばみ落とされた実があった。誰の手に拾われたか。〈それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本中の子供の知っている通り、柴刈りに行ったお爺さんの着物か何かを洗っていたのである〉と語られたその時から、物語は急速におとぎばなしの範疇を超えて動き始める。神性を宿す存在のはずの桃太郎は働く気がないために鬼征伐を思いつき、老夫婦も内心この腕白ものに愛想をつかしていた、という次のくだりで読者の期待はさらに裏切られるのだ。

 桃太郎が三匹の家来たちとともに向かった鬼が島は熱帯的風景の天然の楽土で、平和を愛する鬼たちが穏やかに暮らしていると知った時、両者の立場は完全に逆転する。だから〈人間というものは、角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。男でも女でも同じように、噓はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚[うぬぼれ]は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ〉と年老いた鬼の母が孫たちに語る言葉こそ、作中最も雄弁な、読者の胸深く突き刺さる刃となる。

 征伐の様子は次のように描かれる。〈「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した〉〈あらゆる罪悪の行われた後、とうとう鬼の酋長は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参した〉。日の丸の扇に「日本一」の旗、残虐で無自覚な桃太郎らの所業……関東大震災の翌年という発表当時の時代背景を考えれば、作者の含意は明らかと思われる。罪のない鬼たちが征伐された理由は最後まで示されず、その代わり数年後、雉と猿が生き残った鬼たちに復讐され、殺されるのみである。

 悪夢と虚無と、未来への微かな兆しと……。天使画で知られる画家・寺門さんは、勇ましい英雄譚とはほど遠い繊細で幻想的な作風で、不気味な物語世界を描き出している。黒を基調とした人間たちの世界と、目にも鮮やかな青を基調とした鬼たちの世界とが対比的に描き分けられ、挿絵はどれも強烈でグロテスクな美しさだ。最後に〈ああ、未来の天才はまだそれら(桃)の実の中に何人とも知らず眠っている〉という作者の謎の言葉を残し、物語は静かに幕を閉じる。

 芥川は日本の五大昔話のうち、ほかに「猿蟹合戦」と「かちかち山」も創作しており、比較的分かりやすいそれらの作品と比べると、本書のメッセージは複雑だ。「未来の天才」は果たして希望なのか、それとも新たなる悪夢の始まりか。彼はあえて救いのない物語を書き、私たちに激しく自覚を促そうとしたのではなかったか。
 すべてがあべこべで不可解で、受け入れがたい世界。多くの作品でエゴイズムや欲望など人の醜い部分を克明に描いた彼は、ここでも桃太郎をアンチヒーローとして描き、現世の矛盾と人間の本質を抉り出そうとしている。

『芥川龍之介の桃太郎

芥川龍之介 著 寺門孝之 画

河出書房新社 1800円(税別)

松永裕衣子
論創社イチオシの近刊です

まつなが・ゆいこ 1967年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。千代田区・文京区界隈の中小出版社で週刊美術雑誌、語学書、人文書等の編集部勤務を経て、 2013年より論創社編集長。