2025年10月にパソコンを新機種に買い替えた。その際、あることに気づいた。自分が「アマゾンプライム」の会員になっていたことである。アマゾンのサイトを使用したことはあっても、「アマプラ」の意識はなかった。いつのまにか登録していたようだ。ずっと何年も、月々の課金のみ行われてきたことになる。まあ、そのことはいい。
おかげで、「アマプラ」でアップされている新旧の映画にアクセス視聴できるようになった。これにはびっくり。有料の作品もあるが、新旧の洋画邦画も大量にあって、ほとんど見放題。新しいおもちゃを買ったように興奮して、しばらくは一日に三本とか四本を視聴していた。しかし、この耽溺が続くと、これで人生が終わってしまうと気づき沈静化。一日に一本、せいぜい二本と落ち着き始めた。
それでもずいぶんたくさんの映画をこなした。映画館では見損なった新作に近い『関心領域』というナチスの収容所と塀を隔てた豪邸に住むドイツ人一家の話など、思わぬ儲けものであった。無料で見られるなかに、古い日活映画が大量に放出されており、これもずいぶん視聴した。裕次郎、旭のアクション映画以前に作られた、時代劇、サスペンス、恋愛、ホームドラマなどである。ほとんどがモノクロ。
なかでも熱中して見たのが「事件記者」シリーズ。もとはNHKの連続テレビドラマで1958年から66年まで長期放映され人気を得た。その人気を背景に映画化したもの。制作は日活。1959年から62年に十本が作られた。警視庁記者クラブに同居する、四大新聞社の記者たちの活躍を描く。原作者の島田一男はもと新聞記者だからリアルである。一本が一時間以内(二本立てなどで公開された)というのも見やすい。
呉越同舟で特ダネをいかにすっぱぬくか、ひとつの部屋で戦々恐々とする各新聞社だが、ときに美人女将のいる料理屋「ひさご」で酒を酌み交わす仲でもある。
彼らには警察手帳も手錠も捜査権もない。地道に足を使っての聞き込み、張込みを繰り返して事件の真相に迫る。いたって地味な活動だが、おかげでドキュメンタリー映画のように、東京の町や住宅地、路地などが映し出される。それらが貴重な記録ともなっているのだ。これが魅力の第一。
永井智雄の電話のやりとりが上手い
もう一つ、出演する俳優に主演級がいなくて、多くはわき役などに徹する人たちである。ヒーローはいない。中心となるのは東京日報社。キャップ相沢に永井智雄、ほか原保美、大森義夫、滝田裕介、園井啓介、沢本忠雄などである。名前を言われてもすぐには顔が浮かばないのではないか。私などテレビ世代には、園井啓介は『木下恵介アワー』、滝田裕介は『細うで繁盛記』、沢本忠雄は『どてらい男[やつ]』での印象しかない。
このうちキャップの相沢は電話番を務め、外から連絡が入ると部下の記者たちに指示を出す。この電話でのやりとりだが、永井智雄がすばらしい。電話が鳴る。「へいへい」と受話器を取る。「なにかわかった? ふんふん、そうかあ、ダメかあ。まあ、もう少し粘ってちょうだいよ。ダンナ、何かわかったらすぐに電話してね、へいへい」といった調子。本当に電話の向こうで誰かがしゃべっているようだ。
ほかの記者が現場に散らばっていくのに対し、相沢と年配者の八田(大森義夫)は、いつもソファや椅子にどかっと腰を下ろしている。しかし、ひとたび電話が鳴ると、急に生き生きと本領を発揮するのだ。その電話での応対がまったくみごとだ。台本にどんなふうにセリフが書かれているか不明だが、半ばアドリブではなかろうか。こんなに電話での応対がうまい役者は見たことがない。ときにそのまま記者クラブのソファで夜を明かすこともあるが、永井智雄は本当に記者クラブに住み込んでいるようにさえ思えるのだ。すごい役者がいたものだ。
永井智雄(1914~91年)は、戦中に左翼運動で検挙され拘置所へ。戦後、俳優座に入団し、多くの舞台に立った。筋金入りの新劇役者であった。ただ一冊、『ぼくの俳優手帖』という自伝的エッセイが出ている。なんとか入手して読みたいものだ。へいへい。
大阪の町と言葉
昨年秋、京都と大阪へ行ってきた。大阪をゆっくり歩くのも久しぶり。目的の一つに、大阪古書会館で開かれている古書即売会を覗くことがあった。ふだんは業者が古本の売り買いをする市場として使われているが、月に一回程度、一般客向けに古書即売会が開かれている。
私は関西在住歴32年で、現在68歳だから、東京の方が長くなってしまった。それでも大阪へ行けば、大阪人の血は騒ぐ。大阪市中央区の谷町六丁目駅近くにある大阪古書会館は訪れるのも初めて。私が関西在住の頃にもあったが、一般客向けの即売会はなかったのである。かなり年数を経た鉄筋のビル入口に、大きな垂れ幕がかかっている。

「たにまち月いち 古書即売会 開催中」と大書され、その脇にやや小さく「どなたもどうかお入りください。」とある。三ヵ所ある東京の古書会館でも即売会が開かれているが、こんなに大きな垂れ幕はどこにもない。そして、記憶にないのが「どなたもどうかお入りください。」という柔らかな文言である。これはいかにも大阪らしい。
「誰でもご自由にお入りください」ぐらいは、東京でもありそうだ。しかし「どなたも」のあとに「どうか」をくっつける念押しの言葉が、私は大阪だと思った。大阪では日常会話で、「知らん知らん」「やってるやってる」「辛い辛い」など、言葉をよく繰り返す。一回だけでは不安で、さらに言葉を重ねて念を押すわけである。「どなたも」「どうか」に私は、頭を下げる大阪商人の姿を見たのである。
続いて今回、天王寺の高層ビル「あべのハルカス」にも上ってきたのだが、その移動中、地下鉄の通路の壁で目に飛び込んできたのが「絆」と筆文字で大きく書かれた広告であった。最初に目についたのは「絆」の文字であったが、その両側に何か記してある。
「ちょっと待った!そのお金 ホンマに振り込んで大丈夫 まずは確認 地域・家族の繋がり」と「絆 愛言葉」の右側にあって、その左に目を移すと「あなたの未来も 大切なものも守りたいねん」、そして赤い文字で「特殊詐欺撲滅‼」。要するに「特殊詐欺」被害を警告する意見広告であった。筆文字なのは「上宮高校書道パフォーマンス部」の制作だから。

レトリックといい、「愛言葉(合言葉)」という言葉遊びといい、「守りたいねん」というべたな大阪弁といい、これはまさしく「大阪」ならではの表現ではないか。立ち止まって見る人は少なく、どれほどの効果があるかは二の次。いや、あっぱれ大阪と、私は心の中で小さくガッツポーズを取ったのだった。
やっぱり大阪、ええわあ。

晩秋の植物園
自転車でよくその前を通るのに、これまで足を踏み入れたことがなかった。それが小平市中島町にある薬用植物園(※)である。昭和21年に開園、国内外の貴重な薬草、草木が植えられ、公開されている。約1600種のどれもが「薬用」というのが特徴か。
私はもともと草木や花にそれほど興味がなく、ほとんどその名を言い当てることもできない。この日は晩秋の午後、静かな一日だったが、一度見てみようと自転車を止め、園内を散策した。入園料は無料。小一時間の散策だったが、いい時間を過ごした。
入口すぐのところにガラス張りの温室があり、見たこともないような花や木々が植わっている。「タマリンド」は熱帯アジアの乾燥地に生息。「果肉をはじめ、種子、花、葉、さや、樹皮、材のすべてが食用、薬用」に利用されるという。曲がりくねった幹に、さらに縄のような枝がからみつく。
「イエライシャン」は「夜来香」と書くが、李香蘭(山口淑子)の流行歌にその名がある。「これがそうか」と初めて知った。中国南部原産で黄色い花をつける、とあるが、このときは花の盛りは終わっていた。そのほか、バスケットボールにイガイガがついたようなサボテンが「キンシャチ」。漢字による表記は「金鯱」だが、なぜこんな名がついたか不明。
そんなふうに、一瞥しては名を確かめたのだが、どれも私にとっては未知の植物であった。温室を出て、広い園内をゆっくり歩く。いちいち名を確かめていては日が暮れる。あとはただ、青い空と風景を愛でながら、ときどき立ち止まって花や木の名を読んでみた。来園者は少なく、音楽もなく、談笑する声もない。こういう時間を、用があって移動している時にはなかなか持てないものだ。「サンショウ(山椒)」の木も見たが、これは「雌」で「ミカン科」だとは、少し驚き。秋に咲く花はそれほど多くないのか、色としては寂しいが、たとえば「スミレ」は赤い小さな花をつけていた。
園の奥に売店があり、そこで「ぶんたんドリンク」を買い、ベンチに座って飲む。風がない日で、弱い日差しが少し暖かい。また来よう、と思うがそれがいつの日になるか。次は春か。春なら多くの花が見られるだろう。
※東京都薬用植物園の公式サイトはこちら
なるべくお金を使わず、暢気に、楽しく、いかに生きられるかを追求してきた本連載も、二年を経て満期終了である。バカバカしい文章におつきあいいただき、ありがとうございました。次回(2月ころ)からは装いを改めて、わがライター人生について振り返る半自伝のような連載を開始予定です。刮目してお待ちください。
タイトルイラスト、写真=筆者

おかざき・たけし 1957年大阪生まれ。立命館大学卒業後、高校の国語教師、出版社勤務を経てフリーライターに。「神保町ライター」の異名を持つ。近著に『憧れの住む東京へ』(本の雑誌社、2023年)、『古本大全』(ちくま文庫、2024年)、『ふくらむ読書』(春陽堂書店、2024年)などがある。

