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【連載】大草原のつむじ風◎大西夏奈子 ——第75回/「11文字」の字幕の世界 

第75回 「11文字」の字幕の世界 

 3月22日から新宿のK’s cinemaで始まる第1回日本モンゴル映画祭が、いよいよ開催間近となった。上映に必要な素材の取り寄せ、来日ゲストのビザ取得やアテンドの段取り、公式ウェブサイトやチラシに載せる作品情報の作成など、やることがたくさんある。 

 興味深いのが字幕づくりだ。 
 今回上映する7作品のうち、すでに日本語字幕が存在する映画は2023年の東京フィルメックスで審査員特別賞ならびに観客賞を得た『冬眠さえできれば』と、同年の大阪アジアン映画祭でグランプリに選ばれた『シティ・オブ・ウインド』の2本。大変ありがたいことに、それぞれの映画祭と翻訳者の方のご厚意で、その日本語字幕を使わせていただけることになった。 

映画『冬眠さえできれば』より 

 ほかの5本は日本初上映、つまり日本語字幕がない。そのうち4本は日本以外の海外映画祭で上映されたので、英語字幕がある。そこで字幕翻訳の専門家が英語字幕から日本語字幕に訳し、そのテキストを編集者が映像と合体させるという流れで進めることになった。 

映画『シティ・オブ・ウインド』より 

 その過程で英語から日本語に訳された字幕を確認しながら、私は字幕づくりの難しさと奥深さを痛感した。 
 たとえば英語の「you」は日本語字幕で「あなた」と翻訳される。しかし映像のなかで俳優が放ったモンゴル語のセリフを音で聞くと、「Chi(チー)」と言っている。 
 モンゴル語の二人称には、友人や弟など対等あるいは目下の人を呼ぶときの「Chi」と、目上の人を呼ぶときの「Ta(ター)」があって、ニュアンスがちがう。「Chi」は「きみ」、「Ta」は「あなた」という感じだ。 

映画『ホワイト・フラッグ』より 

 『ホワイト・フラッグ』という映画では、草原で暮らす若い女性と行方不明者を捜索するため来訪した刑事が、はじめはお互いを「Ta」と呼び合っていた。しかし物語の後半、気づけば「Chi」に変わっている。 
 理由はふたりが親密な関係になったからだ。英語字幕ではつねに「you」だが、日本語字幕はどうするべきか? 最後まで「あなた」のままか、途中から「きみ」と変えるべきなのか?  
 かといって正確に訳せばいいわけでもない、ということも知った。字幕翻訳者の意図により、あえて正さないケースもある。説明しすぎると空気感や余韻が変わる。 
 別の場面では、モンゴルの移動式住居が「パオ」と訳されていた。しかし翻訳者にお願いして、「ゲル」に変更してもらった。「パオ」は「包」が語源の中国の呼び方で、「ゲル」はモンゴルの呼び方だから、モンゴルが舞台の物語では「ゲル」がいい。ここは絶対に正したい。 

映画『ハーヴェスト・ムーン』より 

 人名のカタカナ表記も悩ましい。『ハーヴェスト・ムーン』という映画には、成人男性「Tulga」と10歳の遊牧民少年「Tuntuulei」が登場する。「Tulga」を「トゥルガ」とするか「トルガ」とするか……迷ったうえ「トルガ」とした。 
 一方、少年の名前「Tuntuulei」は、日本語字幕の第1稿で「タントレイ」となっていた。そこでモンゴル語の実際の音に近い「トゥントゥーレイ」に変更したいと提案したところ、日本人には覚えにくく、かつ長すぎると言われた。 

 というのも映画の日本語字幕は、縦書きなら10〜11文字、横書きは13〜14文字で収めないといけないのだ。たしかに長いと目が追いきれず、意味がわからないまま次の場面に移ってしまう。「トゥントゥーレイ」はそれだけで8文字あり、使えるスペースがほぼ埋まる。 
 外国語の難しさは、言語によって、もっている音が違うこと。モンゴル語にあって日本語にない音がいくつもあり、完璧にカタカナであらわすことは不可能だ。 

第1回日本モンゴル映画祭のポスター 
公式サイトはこちら

 セリフにしても、人名にしても、字幕を触るという仕事は一大事だと思った。なんというか、人の命を触るような感覚がある。 
 ことばに込められた、脚本家の、監督の、演出家の、俳優の、そして長い時間をかけて文化や歴史を紡いできた民族の命。そして作品を観る方々の人生にも、もしかしたら影響があるかもしれない。そう考えると、字幕の作成には責任と緊張感がともなう。 

 ところで今月のこの連載タイトルは11文字。これが字幕に許された文字数……なんという短さ!  

大西夏奈子

おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動もおこなう。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽イベントやモンゴル映画祭を現在企画中。