第77回 首相退任を求める「モンゴル新世代型デモ」
モンゴルの首都ウランバートルにあるスフバートル広場で、五月十四日以降、抗議デモが連日つづいた。スローガンは「辞めるのは簡単」。オユンエルデネ首相を辞任させることが目的だ。
政治汚職の話題がたえず、経済格差も広がるモンゴルでは、市民がこの広場に集まり、デモを行う機会が過去にもたびたびあった。
前線で引っ張るリーダー格のメンバーが二十代前半で若い。参加者も二十代〜三十代が中心で、国の未来を担う世代が自ら立ち上がり、同世代ならびに年上の市民を鼓舞している。

SNSの使い方もうまい。デモのタイムテーブルが前日に発表され、何時にどんなプログラムが行われるのかが明確で、わかりやすい。
当日は、「辞めるのは簡単! 辞めるのは簡単!」とシュプレヒコールをあげ、広場をぐるりと一周した後、地べたに座り、思いを訴える仲間の話に耳を傾ける。
日没間際の夜八時になると、ふたたび立ち上がり、みんなで国歌を歌い、「ゴミは持ち帰ろう」と呼びかけあって、家路につく。
皆勤賞で広場に通う人も少なくない。「デモ参加のためなら明日の仕事を休んでもいい」と、社員にわざわざ伝達した経営者もいる。
人気インフルエンサー、映画監督、写真家など、クリエイティブ業界の第一線を走る人たちが積極的に参加していることも、新しい空気をもたらしている。

そもそも、なぜデモが起きたのか?
事の発端は、オユンエルデネ首相(四十代)の息子(二十代)の婚約者が、Instagramで発信した内容だった。
誕生日を迎えた彼女は、恋人である首相の息子に、ウランバートルから四百キロあまり離れた高級リゾートへ招待され、打ち上げ花火の演出つきでプロポーズされたという。その送迎のヘリコプター機内でキスする写真を、喜びのあまり、彼女はInstagramに載せた。
さらに首相の息子から、メルセデスベンツの高級車やシャネルのバッグを贈られたことも投稿。それを見た市民、とくに同世代の若者たちが、一気に騒ぎ出した。
「二十歳を過ぎてまだ間もない若者が、なぜそんな大金を使えるのか? 資金源は、父親であるオユンエルデネ首相ではないのか? しかし、モンゴルの政治家の給料は(公式的には)高くない。 国の税金をこっそり使いこんでいるのではないか?」
モンゴルの平均月収は、首都ウランバートルだと日本円で十万円くらい、地方ではさらに下がる。働いても、働いても、生活が楽にならないのに、なぜ政治家の息子はこんな豪遊ができるのか? 若者の怒りが燃えあがるのも理解できる。

デモが始まる前夜、私は仕事のため、たまたまモンゴルへ着いたところだった。
SNSをなにげなく眺めていると、「明日の昼に広場へ行こう」と呼びかける発信や、「俺のリュックは三千円だ」とバッグの値段を公表する発信を何度も見かけて、なにかが動き出している妙な感じがした。
翌日、カメラを手に広場へ出かけた。それから日本へ帰るまでの十日間、毎日午後になるとうずうずし、自動的に広場へ足が向いた。
私の友人たちも数多く参加しており、「国の未来を明るいものにしたい」という彼らの切実さが伝わってくる。

首相退任に賛同する署名も、四万人、七万人、十二万人……と日に日に増える。国の人口が350万人であることを考えると、かなりの勢いだ。
なにも、首相の息子の件に限らない。これまでだって、賄賂や汚職の問題が表に出ては、解決せず曖昧なままで消えていくことが何度もあった。我慢はもともと限界ギリギリまで達していたのだ。
モンゴルが社会主義時代だった1990年代初頭、このスフバートル広場に、プラカードを手にした若者たちが集まっていた。
彼らは民主主義や表現の自由を求め、その熱が渦となり、革命となり、モンゴルは民主主義国としてスタートをきった。
プラカードを持った当時の若者を撮影したモノクロ写真をSNSに投稿し、2025年の若者たちにエールを送るベテラン写真家たちもいる。
沈黙をつづけていたオユンエルデネ首相は、デモ開始から三週間が経った日の未明、ついに辞任した。

おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動もおこなう。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽ライブや日本モンゴル映画祭など、イベント企画も行なう。