第73回 桜咲く季節に「日本モンゴル映画祭」で
映画祭、と聞くと、なんだかわくわくする。映画のお祭りなのだから、楽しくないわけがない!
日本では、一年間に100以上もの映画祭が開催されているという。
有名なものだと東京国際映画祭、大阪アジアン映画祭、ショートショート フィルムフェスティバルなどが思い浮かぶけれど、ほかにも一般的に広く知られていないユニークな映画祭がたくさん存在するみたいだ。
限られた予算と格闘しながら、ありったけの熱をこめて、手弁当で開催している映画祭も少なくないにちがいない。手をかたく握りしめて断言したくなる理由は、いままさに自分たちが、新しい映画祭をつくろうとしている最中だからだ。
「第1回日本モンゴル映画祭」を、東京の街が桜色に染まりはじめる2025年3月22〜28日に開催することが決まった。
会場は新宿駅東口にあるアットホームな雰囲気の「K’s cinema」で、映画祭期間中に毎日2〜3本ずつ、モンゴルの映画作品を上映する。
この映画祭の発起人である映画プロデューサー、宣伝チームやデザイナーの方々など、各方面の専門家たちとチームを組み、毎週打ち合わせをしながら、未知の映画祭の実現に向けて地道に準備を重ねている。
さて、なんといっても映画祭なのだから、上映作品を集めなければならない。上映したい映画のプロデューサーに直接コンタクトをとり、交渉することが第一歩目になる。
それで一年前の冬、私は首都ウランバートルに向かい、数人の映画プロデューサーたちと会った。
Facebookで彼らの連絡先を探してメッセージを送り、カフェで対面して、つたないモンゴル語で映画祭の趣旨を伝える。まだ得体のしれない映画祭に、ぜひ参加したいと言ってもらえたときは涙が出そうな気持ちになった。
ところがそんなに単純ではなかった。とくに大きな国際映画祭でノミネート歴や受賞歴のある映画の場合、国外での上映権をヨーロッパの映画会社が持っているケースが少なくない。
つまりモンゴル人の監督やプロデューサーが賛同してくれたとしても、ヨーロッパのやり手の担当者との交渉を突破しないと、上映許可がもらえない。英語のメールを何度も往復させて、金銭面など条件の折り合いがつけられなければ、上映は叶わないのだ。
また日本初上映の映画には、あらたに翻訳して字幕を作らないといけない。さらにその字幕を、映像と合体させる編集作業の過程もある。
映画作品を揃えていくのと同時に、宣伝の準備も進める。ポストカード、ポスター、作品ラインナップをのせたチラシ、ウェブサイト、各種SNS、メディアへのリリース……。
ところで、モンゴル映画といわれても、ピンとこない方が多いと思う。モンゴルの映画作品が日本の劇場で公開される機会は、いまのところとても少ないからだ。
モンゴルの映画作品が日本の劇場で公開されるためのひとつの流れとしては、冒頭であげたような大きな映画祭の審査を通過し、評価されて、一般公開したいと名乗り出た配給会社との交渉が成立しないといけない。
ただそれはとても狭き門で、いくらモンゴルに素晴らしい映画作品が誕生しても、日本に暮らす私たちの目に触れるチャンスはほとんどないのが現実だ。
モンゴルには、映画製作に人生をかけている監督や俳優やプロデューサーたちが数多くいる。彼らも国外で作品が上映されることを望んでいるので、両者の架け橋になれないだろうか? そして映画を通じ、相撲や草原だけではないモンゴルの姿を、日本の皆さんに届けることができないだろうか?
そのために、日本でモンゴル映画を見られる場を毎年春に提供したいというのが、この映画祭の大きな目的だ。映画を愛する人びと同士の交流の場にも、もちろんなってほしい。
東京で開催したあと、ほかの地方都市でも行えるよう現在計画中。将来的には、モンゴルで日本映画を上映する映画祭も実現させたい、という考えもある。
第1回目なので助成金などはなく、文字通り、手弁当の映画祭。大きなお金をかけられないぶん、心をこめて準備している。
多くの映画作りの現場も、似たような状況が珍しくないんじゃないかと思う。映画作りは本作りよりも、関わる人間が圧倒的に多い。夢のある仕事だけれど、面倒なことも膨大にあるはず。
そんななかでチームをまとめる一番の原動力は、情熱なのだろうと思う。最近は映画を見るたびに、どんな人間たちの情熱が、この作品を完成まで漕ぎつけたのだろうと想像してしまう。
おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動もおこなう。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽イベントやモンゴル映画祭を現在企画中。