月刊『望星』は2024年11月から『web望星』として再スタートを切りました。

【連載】投稿の広場◎マーサ・ナカムラ——第17回

講評

は佳作(作品掲載あり)、は選外佳作、それ以外は作品の投稿順に掲載しています。
 

「金色の寺」花山徳康 
柔らかな空気の中で、ある一定の緊張感があり、「ある一日」を描写したというふうにも読める。ただその中で「ほんのちょっと」という言葉は、この詩の中では緩慢すぎるような気がした。 

「去る定刻」碧 はる 
様々な解釈を受け入れることができる作品。第一部は恋の終わりをうたう。三連目「ごめ、ん」の箇所だけ、わざと滑稽なほど甘ったるくしているが、全体に格調高い。「青いベンチ」は、かの有名な失恋ソングとかけているだろうか。扉がしまった後に続く第二部では、女側の心象がつづられていく。「我が子」という哀しい月明かりがさして、最終連に向かってさらに詩は広がっていく。 

「夏の終焉、旅立ちの前夜」早乙女ボブ 
世界の描写が美しく、哀しいながらも心地良い。言葉選びが特異である分、最終連「想い出の切符」だけ浮いて見える。うまく着地しすぎているような気がした。あえて情景描写で終わらせて、この世界を閉じさせたくないとも思う。 

「空洞」三波 並 
二連目の四行目「という」が、この詩にかなり効いている。「存在する」と言い切ってしまうと、目を固く閉じてありもしない空想にすがりついて生きる、という頑迷な状況になるが、「存在するという」と幾分突き放した書き方をしていることで、自らの生命に対する静かな信仰が清澄に響いている。最終連も良い。 

                       

「振り子」あられ工場 
素朴だが、迫力が潜んでいる。闇の中に浮かびあがる「白い橋」を見る情景は不気味だが、不思議と自分も見たことがあるような気がした。「その前に」から最終連にかけては、着地しようとして詩の勢いが弱まっているようにも感じられて、いっそ「臨界点を超える」で切ってしまったほうがいいかもしれないとも感じた。 

「親指でこじ開けたセンターポイントから見える世界はこんなん」碧 はる 
子ども時代、なんでもない些細な出来事に、狂気に近い激情を感じることがあったことを、この詩を読んで思い出した。テンポの良い言葉運びが魅力的である。心情吐露で締めているが、情景描写で終えれば、校庭のように広げた世界が収縮しない。 

「晩夏」井上正行 
一連目、稲妻と虹の光に照らされながら、雨の幕が風に揺らされるという情景描写が素晴らしい。オーロラのような景色を想像した。「トッピング」の問いかけを無視する二人が、どのような状況なのか直感的に読み取れず、ここを明確にすれば、この詩の良さがより生きる。 

「荒地」井上正行 
一連目が特に鋭くて良い。二連目以降も情景描写の書き込みがほしい。例えば「しばらく太陽の姿を/見ていないことに/気付いてはいなかった」は、解説ではなく、人々が太陽の姿を見ていないという情景を描写すれば、より独自の世界観が立つ。 

「棲み処」露野うた 
「街」と「わたし」に、「崩壊していく」という共通項を見つけるのが面白い。漢字の「私」ではなく、「わたし」とひらがなでほどいているのも崩壊への伏線なのだろうか。独特の音調があり、作者は歌いながら書いたのかもしれない。 

「産声」村口宜史 
どこかたどたどしさを感じさせる口調が、「母」や「僧」といった登場人物たちに不気味な印象を添えている。手を這わせるような心理描写が濃密な分、外的描写が足りないような感じがある。岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』の書き方が良い参考になる。もし筆者が土地の言葉を持っているなら、それで書いた詩を読んでみたい。 

「塔」村口宜史 
宮本常一『忘れられた日本人』に描かれたような時代を思わせるが、三分間の自己PRや「塔」といったモチーフは現代のもので、その違和感がこの作品の舌触りになっている。「塔を見よ」というフレーズをより強いものにするために、「塔」の固さや肌触り、色合いなど、情景描写の書き込みがほしい。 

「道がなければ」長澤沙也加 
「洗って真っさらにして戻せば/体の影は消えるのだろうか」から、独自の思考が走っていく感じがあって良い。「誰かの」「なにか」「どれほど」と、無数の大きさに思考を託しているが、ここに筆者の考え・心象をより具体的に、詳細に書き入れればより洗練される。伊藤比呂美の詩が参考になる。 

「バッティングバナナ」吉岡幸一 
バッティングセンターの打席に立つと必ずバナナが飛んでくる。読み進めるにつれて現実味が増していく感じがあるが、登場する女の口調がやけに古めかしい気がした。実際に存在する女の口調や行動をモデルにするのはどうか。最終行はうまく効いていて良い。 

「私の中で思考が止んだ」花野 
空[から]の状態を示す「0」の居場所を探す、というモチーフが独特で面白い。糸の切れた凧のように翻弄される様子が、うまく螺旋状に表現できている。高尚さを感じさせる世界観であるため、「おなかいっぱい」「ぎゅうぎゅうな」というくだけた表現が浮いて見える。あえて語り口調を、夏目漱石や内田百閒調にした方が、良さが立つのではないか。 

「時」愛繕夢久 
琥珀の気泡に、「時」が閉じ込められているという発想に心惹かれる。まるで日記のような書き方が面白く、「僕」という一人称をある程度取ってしまった方がより洗練されるかもしれない。谷川俊太郎「五月の無智な街で」の「僕」の置き方を参考にするといい。 

「海の子と」花山徳康 
声の大きな広告、プロパガンダに囲まれながらも、命を全うしようとする現代の詩人を描いている。連立てしていない分スピード感はあるが、「嫌だ」だけで一連立てすれば、めりはりがつき、この詩のメッセージがよりはっきりするのではないか。 

                       

「空気を食べる」吉岡幸一 
「空気を食べて生きる」は、慣用句「霞を食べて生きる」にかけている。夫の首が粘土のように長く伸びていく様子が面白い。ただ散文詩として読むには、冗長のようにとれる文章がいくつかある。例えば、霞さんが空気を食べない理由を述べる箇所、「味がないものは美味しくない。美味しくないものは食べたくない。」は、前に置かれた「空気には味がない。」ですでに食べない理由が明示されているので、繰り返さない方が洗練される。太宰治は『もの思う葦』の中で、取ろうか迷う文章は必ず取るべきだと述べている。 

「芽吹き」露野うた 
タイトルから、「あなた」に春を見ていることが伝わる。幸福を歌い上げる詩でないにもかかわらず、詩の言葉に希望の白い光が満ちている。心象描写がうまいので、情景描写に非常に注力した作品を読んでみたい。 

「滑稽な街」花野 
冒頭がうまく効いている。攻撃的な言葉を丁寧語で並べていくことで、狂気を感じさせる。ここまで怒りの感情を引き出し、戸惑う「あなた」側に思考を委ねてしまうのがもったいない。「笑いますか/諦めますか/愛しますか」の後に、自分はどうなのか、答えた方が独自の世界が立つ。山﨑修平『ダンスする食う寝る』は良い参考になる。 

「機械」畳 
ミシンの動きを、血眼になりながらとらえようとする語り手の狂気が言外に伝わってくる。針が入る前から布に「○」が空いているということが、直感的に理解しにくくもったいない。または、これは一般的なミシンではないのかもしれない。それならば、この怪物ミシンの特異性から物語った方が、作品の良さが立つ。 

「繭にチョコレート」雪代明希 
粉砂糖をつけたトリュフのような外形が思い浮かぶ。繭を光に透かした際に見える黒い影に、とろけるチョコレートを見るといった発想も良い。最後二人で羽化を迎えるというラストは向日的に読めるが、どこか暗がりのある作品でもある。 

「soitude」冬野余白 
「薄」いがキーワードとなっている。群衆の中で自分が薄まり、孤独だけが浮き上がるという情景が伝わってくる。「薄透明」、「淡水[あわみづ]いろ」「翳」といった、水彩の色彩が美しい。絵を描くように、言葉を紡いでいる。 

「遺詩」冬野余白 
「し」には死、詩、知の意味合いがある。遺言ではなく「遺詩」とした発想が面白い。消えゆく者の言葉でありながら、最終連で「とわ」(永遠)を願っている点から、この詩は暗がりに消えていくのではなく、光の中に入っていくものなのだと思った。 

「守るもの」愛繕夢久 
「種」は希望であり、未来、または子どもとも読める。そんな「種」を守り抜こうとする身体は、血生臭い世界の中で、やがてパンドラの匣へと変わっていく。「神」、「乳房から白い乳」という言葉から神代の時代を思わせるが、現在の世界情勢から、まさに今をうたう詩であるとも読めて胸が痛くなった。 

「〝しあわせ〟は、しあわせと読む」cofumi 
「しあわせ」という文字から、幸福の真理に気がつく。作者の詩を書く喜びが、読み手側にも伝わってくる感じがある。最終行「胸がこくんとうなずいた」は不思議な余韻があり、この詩の印象が目に焼きつくような感覚があった。 

「チョコレートと遭難」岩倉義人 
「チョコレート海岸」、「メロン」の皮でつくった舟と、甘い菓子の世界が広がるが、最終連になるとチョコレートは「泥沼」へと変わっている。その反転が、この詩の魅力になっている。「味わうほどに沈む気持ち」は、濡れたジーンズのような重みを連想させた。 

「さつじん」緒方水花里 
最悪な出来事の連続で、突如泥流のように抑えていた感情が流れ出す。契機となった出来事は特に「パソコンが壊れた/10万字が死んだ」のように読めて、詩の語り手は書き手であると言外に伝わる。三連目「いや いる」の箇所が、一方通行だった泥流の流れが突如変わるような感じがあって、良いめりはりを出している。 

「ふーアーゆー」緒方水花里 
物であふれた極彩色の映像よりも、言葉の太さ、筆者の生命力がそのまま言葉になったような迫力に驚いている。ポップで端切れのいい言葉は、ボーカロイドやラップ、または西村賢太の小説に登場する罵倒を彷彿とさせる。 

「ターミナル」あられ工場 
介護用ベッド、退院支援室という言葉から、筆者自身の実生活から生まれた作品であることが伝わってくる。「お別れ」が大きなテーマではあるが、歌うような音遊びによって、子守唄に似た優しさがある。 

「視野」牧島伊佐 
「交遊」「交友」、「敬い」「世界」「視界」「いない」など、韻を丁寧に踏んでおり、声に出して読むと自然に音楽が生まれるように作られている。目に見えるもの、見えないもの、手の届かないものなど、とても大きな世界を描こうとしている。現代詩文庫を読んで、筆者が見ている世界を描く術を盗むといい。 

講評を終えて 

 喜怒哀楽の感情豊かな作品が多く投稿された。不思議と、その時に投稿される作品には世相が現れているような感触があり、現在と「感情」の関係性について考えさせられた。 
 講評を読み返してみると、「独自の世界」を立てるように勧めるコメントが多い。詩だからこそ、自分にしか分からない世界と感覚を表現することができる。(マーサ) 

マーサ・ナカムラ

1990年埼玉県生まれ。詩人。第五十四回現代詩手帖賞受賞。『狸の匣』(思潮社)で第二十三回中原中也賞、『雨をよぶ灯台』(思潮社)で第二十八回萩原朔太郎賞受賞。

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