ユネスコの無形文化遺産に登録された宮大工の技術。神社仏閣の建築や修繕にたずさわる宮大工とはどのような人たちなのか? 1400年続くと言われる技術はいったいどのようなものなのか? 神奈川県にある花升木工社寺建築・女将の市川千里さんに聞いた。
宮大工の仕事とは?
――宮大工の「伝統建築工匠の技」が、2020年にユネスコの無形文化遺産に登録されたことで、いま宮大工が世界から注目されているようですね。
そうですね。最近ではドイツやアメリカ、香港など、世界各国から取材クルーが来て、宮大工の仕事を取材していただいています。宮大工たちが、釘を使わずに木組みという技術を使って建物を造っていることや、若い職人たちに技術を教えている様子を紹介していただきました。
近年、世界的にSDGs(持続可能な開発目標)への関心が高まっていることも理由の一つかもしれません。昨今は「カーボンニュートラル」という言葉を耳にしますが、宮大工の仕事は今も昔もずっと「持続可能な元祖カーボンニュートラルな建築」なんです。
――そういった取材のときには、市川さんが宮大工女将としてメディア対応をされているんですか?
そうなんです。じつは、それには深い理由があります。私は二十年近く職人たちの傍らで見守ってきたのですが、宮大工たちは世界に誇る技術を持っているにもかかわらず、多くの職人はその技を自慢するような性格ではありません。いたって素朴で控えめな性格をしています。
日頃から黙々ともの作りをしていると、手を使った作業をしますから右脳側が活性化されて、言語を司る左脳よりも優位になるのではないかと思います。クリエイティブになる反面、どんどん職人肌で寡黙になっていくんですよ。
宮大工の技術は、1400年にわたり受け継がれてきました。高い技術を持っているにもかかわらず、宮大工たちはあまり多くを語らないため、その世界観はほとんど知られてきませんでした。そのため成り手も激減し、教える側も高齢化しています。あと十年もしたら宮大工は絶滅してしまうかもしれない。いまはその臨界点ともいえる状況です。
このことを、一人でも多くの人に伝えられないか。そう考えて、私が通訳者として代弁し、宮大工の技術や無形の文化を多くの人に伝えていこうと思い立ち、活動していくことにしました。
――宮大工の仕事の特徴とはどのようなものですか?
飛鳥時代に大陸から慧滋[えじ]と慧聡[えそう]という二人の僧侶を招いて飛鳥寺を建立したのが宮大工の始まりと言われています。聖徳太子が建立した法隆寺もこの僧侶から指導を受けたと言われていているようです。
宮大工の主な仕事は、神社仏閣の建築や文化財の修繕です。地域に根差した社寺を補修する宮大工から、世界遺産や国宝、重要文化財などに指定されているような建築物の修繕にあたる宮大工まで、活動の場はさまざまです。神社仏閣の建築にたずさわるわけですから、建築の技術に関する知識だけではなく、場合によっては宗教学や史学のようなところまで幅広い知識が求められる仕事でもあります。
そして宮大工が持つ技術の代表的なものの一つが「木組み」です。一般的な木造建築には、釘や金物が使われるのですが、木組みはそれらをほとんど使いません。雄(凸)、雌(凹)に切込みの入った木と木を、パズルのようにはめ合わせていくことで組み上げていくんです。建築物は場所によってかかる力の強さが異なりますから、そこを計算しながら材木を選んでいく必要があります。
大工と宮大工の違いとは?
――私たちが普段見聞きすることが多い大工と宮大工には、技術的な違いはあるのでしょうか?
そうですね。よく聞かれる質問なのですが、大工も宮大工もそれぞれの専門分野で、それぞれの技術を磨いたすばらしい職人たちです。
でも、強いて宮大工の専門分野は何なのかというと、「木の専門家」といっていいと思います。この木一本を100年、200年にわたりどうもたせるかとなれば、カンナ一個から瞬時に考え抜いて潔く使いこなします。
じつは、高い技術を持つ宮大工がカンナで木を削ると、その木の表面はまるで塗装したようになると言われています。表面が平らになり防水効果がでるのです。ですから、道具にもこだわりがあります。宮大工が使うカンナなどの手道具は一人いくつぐらい持っていると思いますか?
――大工道具というと、カンナやのこぎり、金槌などいろいろありますよね。こだわりがあるということであれば50個ぐらいでしょうか?
いえいえ、人によって差はありますが、最低でも200個くらいは持っているんですよ。一般の方が見たらほとんど同じように見えるものも多いかもしれませんが、その中から木の状態に合った手道具を瞬時に選択して使いこなします。
例えば、職人さんたちの話ではカンナで木を削るときに「どれを使おうかな」なんて考えることはありません。木を見た瞬間にたくさんのカンナの中から「あのカンナを使おう」とすでに決まっているそうです。厳しい修行をしたからこそ養われる感覚なんだろうと思います。
まずは道具と仲良くなる。道具とは「道」という漢字を使いますが、まさに一生を共にする「道の友」。宮大工は「準備九割、現場一割」という言葉があるくらい刃物研ぎなど道具の準備を欠かしません。道具が上手く研げるようになるころ、ようやく木の言葉を聞けるようになる。そうすることで木の専門家である宮大工になっていくんです。
木の個性を見極める
――木のスペシャリストである宮大工に求められる能力のようなものはありますか?
人間にも個性があるように、自然の木にはそれぞれ個性があります。大工はその個性を見極めなければなりません。この木は少しねじれる癖があると思えば、反発する木と組み合わせればねじれを打ち消すことができるんです。
現場ではなく事前に工場で切断したりする木材だと、そういう木は規格外としてはねられてしまうそうです。しっかりとした優等生の木材しか残れませんから、無駄な木材がたくさん出てしまうんですね。
となると、なるべく無駄を出したくないと考えますよね。そんなことから、安くて、見栄えがきれいな外材を使った修正材を使う方向に世の中がシフトしました。でも、やっぱり宮大工が造るものは、1400年前から今もなお自然の木を使う日本古来の木造建造物が主です。
余談ですが、ハウスメーカーの方から聞いた話ですと、ねじれたり反ったり、割れたりした木材を使うとクレームにつながるため、どうしても規格通りのものがちゃんと揃う修正材を選択するしかないのだそうです。
――確かに大きなハウスメーカーさんはそういったクレームの数も桁違いでしょうから、対応しきれなくなってしまう可能性はありますね。
今回の特集にも登場されている建築家の杉本洋文先生から教わった話なのですが、木という字の元々の語源は「気」だったそうなんです。これは昔、木こりが木を切る前に、ふんどし一丁になって身体を洗い清めていたことからきているのだそうです。
木こりが木を切るということは、見方を変えれば100年、200年にわたり生きてきた命を絶つわけですから、下手な気持ちで木に向かうことはできないんですね。これは、宮大工の世界でも同じで、実際に弊社の棟梁は「自分より長い命の木に刃物を入れるため、木に尊敬の念を持ち、心して木に向き合う」と話しています。
――木が凄いエネルギーを持っているように感じる話ですね。
例えば、木をのこぎりで切るとき、皆さんならどうしますか。恐らく、「ここから切って、この角度で切ればうまく切れるんじゃないか……」というように、いろいろ考えながら切ると思います。でも、宮大工たちは、潔く、気持ちで一気に切ります。
迷いがないと言ったらいいのかもしれません。とても高価な木を切ったりするわけですから、いろいろ考え、迷いながら切ることはできないんですよ。
職人たちの話では、「一瞬にして、どう切ればよいかを木が教えてくれる。完成が視える」といいます。近くで見ていると、どうやら考えるとか知識がどうのといった世界ではないようです。スポーツの世界でも、プロの選手たちは技術だとか理論を超えたところで戦っている人たちが多いのではないでしょうか。それと同じようなことが、宮大工の世界にもあるんだと感じています。
後継者の育成が喫緊の課題
――いま、宮大工さんは日本全国にどれくらいいるのでしょうか?
「認定棟梁」という民間資格があるのですが、2024年は120人ほどが登録されているようです。でも、聞いている話ですと、その半数近くが名誉棟梁のご年配のレジェンドだったり、現在は経営者としての仕事に移ってときどきしか現場に出られなくなっている状態のようです。
ただ、神社仏閣に特化した宮大工だけではなく、日頃は普通の住宅の建築をしていたり、奈良県などでは公務員として宮大工が採用されたりしていますから、どこまでを宮大工と線引きするかによっても変わるかと思います。そういった方たちも含めれば、500~1000人くらいはいるかもしれませんね。
――宮大工になるための道は厳しいものなのでしょうか?
ものづくり職人の中で、一番難しいものの一つといってもいいかもしれませんね。修行を終えることを「年季が明ける」と言いますが、最低でも十年はかかると言われます。最低限の技術はもう少し短い期間で身につくかもしれませんが、木をどのように扱うかの判断や、古い建物から昔の宮大工がどのように作業をしたのかを読み取る力などは簡単には身につきません。
宮大工になるための資格というのは、例えば「○月○日にテストをします。そこで、何点以上を取れば合格です」というものではないんですね。茶道や華道などの「道」と同じように、師匠が日頃の修行の様子を見続けて、当たり前の様にできるようになった時に「この子にだったら免状を出せる」と判断します。常に技術を磨いて、技術を習得することを「板に付く、身に付く、腕に付く」と言います。
――宮大工の修行はやっぱり徒弟制度のようなかたちで行われるのでしょうか ?
職人の修行というとそのようなイメージがありますね。でも、いまは昔のような徒弟制度はできないんです。昔は弟子として親方の家に住み込み、無給で家事や仕事の雑用をするところからスタートして、親方の仕事を見ながら学んでいきました。
でも、そのような徒弟制度は現代の労働基準法のなかでは難しい。技術の浅い見習いに技術を教えながら、給料を支払わなければいけないんです。単純に経営だけを考えてしまえば、弟子を取ることは負担になってしまいます。そうであれば、弟子を取らずに全部自分でやってしまった方が稼げるわけです。その結果、次世代の職人を育てるというモチベーションが下がってしまったんですよ。
――宮大工職人の仕事と社会の制度にミスマッチが起こってしまっている感じがしますね。
日本では1990年代にバブル崩壊が起きました。じつは、そこから若い宮大工を育てる工務店が激減してしまいました。ですから現在、宮大工の職人たちは二十代、三十代、四十代がほとんどいません。うちの棟梁はいま49歳でバブル崩壊後の就職氷河期真っ只中の世代です。しかしご縁をいただいてなんとか棟梁について修行をさせてもらい、技術を得られたアナログ時代最後の世代と言ってもいいかもしれません。
幸い花升木工社寺建築では、いろいろな方たちからの支えがあって、現在は全寮制で昔ながらの徒弟制度に近いかたちで運営できています。職人たちに言わせると「同じ釜の飯を食う」というのは、とても大切なんだそうです。そうすることで、息が合ってくる。実際に、仕事の中で重いものを持つときにも、ぴったり息が合うそうです。ですから、職人たちのために早朝からお弁当を作ったり、温かい夕食を作ったりするのも、女将である私の大切な仕事です。
伝統を繋ぐ意味
――そういう状況でありながらも、弟子をとって宮大工を育てるというのはたいへんなことですね。そこにはどのような思いがあるのでしょうか?
花升木工社寺建築では私の主人が親方をやっていますが、十年ほど前から「自分もいろいろな棟梁から技術を学ばせてもらい育ててもらった。いろいろ難しいところがあるけれど、やっぱり次の世代に技術を伝えていかないといけない」と話すようになりました。
「伝統」という言葉がありますが、じつはこの「統」という文字、かつては「燈」という字が使われていたことをご存じでしょうか? この「伝燈」は、仏教に伝わる話から来ているものです。
お釈迦様が亡くなられる時に、最後の言葉として『自燈明、法燈明』という言葉を残されました。この言葉の意味するところは、「自らをよりどころとするとともに、仏の教えを示した法をよりどころとする」というようなことになります。このことから、師から弟子に「次世代の子どもたちの心に燈の光を伝える」ことを「伝燈」と言うのです。
その象徴の一つとして知られているのが、比叡山延暦寺にある「不滅の法燈」です。西暦788(延暦7)年に最澄が根本中堂の前身である一乗止観院を建立した際、本尊の薬師瑠璃光如来の宝前に灯明をかかげたのが始まりで、一度も消えることなく輝き続けていると伝わっています。
私たちは「伝燈」を絶やすことなく灯し続けるために、油を注ぎ続けなければなりません。もし油を注ぐことを怠ればどうなるか、もちろん火は消えてしまいますよね。このことを「油断」と言います。つまり「油断」してしまえば、そこで「伝燈」が途切れてしまうのです。
――いまの状態のままだと、十年後、二十年後には、その伝燈が途切れてしまう可能性がある……。
まだまだ手探りの状態ですが、1400年にわたって、どんな時代も乗り越えて受け継がれてきた日本の美しい建築技術を、次の世代に繋いでいけるよう、そしてこの先1000年にわたって引き継いでいけるよう、日々努力を続けていかなければいけない。子どもたちや学生さんたちに日本の木造建築の良さを伝えていきたいと思っています。
そのための取り組みの一つとして、私どもが立ち上げた宮大工木造技術継承協会では「こども宮大工1000人プロジェクト」という、子どもたちに宮大工の技術を体験してもらうイベントを開催しています。
日本人が海外に行ったときに「あなたの国の音楽は?」「あなたの国の建築は?」などと聞かれることがあります。そんなときに「幼い頃、宮大工さんと一緒にカンナを引いたことがある。日本に伝わる建築技術は素晴らしい」と、語ってもらいたい。
茶道などで使われる「守破離」という言葉があります。これは日本伝統の学習過程を表しています。師匠の教えを「守り」、これまでの型を「破り」、師から「離れ」て新しいものを生み出します。「型破り」という言葉がありますが、型破りなことをするにしても、基本の「型」を学んでおくことが大切です。ちゃんと自分の国のことを知って、世界に羽ばたいてほしいんです。
もう一つ、全国の中学生を対象に、修学旅行前の学習として「ここがすごいぞ日本建築」という講義も行っています。京都や奈良に修学旅行に行く前に、自分の地域の神社仏閣を観て学ぶことは、生徒さんたちに「新しい目線を開花」させることに繋がるのではないかと思っています。
こうした取り組みを通して、子どもたちに日本に伝わる木造建築の素晴らしさや宮大工の技術に、少しでもいいから興味を持っていただきたい。そして、その中から一人でも多くの子どもに「宮大工になりたい」と思ってもらえたら嬉しいですね。
いちかわ・ちさと 株式会社花升木工社寺建築専務取締役。特定非営利活動法人・宮大工木造技術継承協会事務局長。横浜技能連理事。建築士。宮大工後継者育成継承事業や観光資源としての「宮大工ツアー」を開催するなど、宮大工の技術の魅力発信・普及・活用に取り組む。