通称よぎさんは、大学で日本語を学んだのがきっかけで1997年初来日。2001年、本格的に日本で生活するようになり、中国人女性と国際結婚をして息子が生まれたが、6年後に離婚。その後はシングルファザーとして、東京・江戸川区葛西の団地で息子を育てながら、大手銀行などに勤務、カレー店経営、江戸川区議会議員を2年務め、2022年からは茨城県立高校の副校長、翌年には校長に。日本の教育現場で、日々奮闘しているよぎ校長に話を聞いた。
インドの数学は絵を描くことから始まる
――よぎさんは民間校長で採用されたんですね。
江戸川区議会議員を2年務めてから、2021年に都議選に挑戦したのですが、ちょっとの差で落選しました。そこであらためて自分を見直そうと、故郷のインドを飛行機や電車を乗り継いで1万5千キロ、50日間かけて旅して回りました。その間に、知人から茨城県が民間校長を募集していると教えてもらったのですが、私には関係ないと思っていました。でも民間企業での管理職経験という応募条件が、自分にぴったりだなと思い直し、帰国して応募したら採用されたのです。配属先が土浦第一高校と言われたときは驚きました。
――日本国籍を取得されているので、インド人ではなくインド出身者というのが正しいですね。
2011年の東日本大震災後、日本に帰化しました。当時暮らしていた団地にはインド人も多く住んでいたのですが、福島第一原発事故の放射能に怯えて多くのインド人が母国へ逃げ帰ったのを見て、日本語のわからない外国人に対して多言語で情報発信することの重要性を痛感しました。私自身は震災を機に、ずっと日本で生きていこうと決意したのですけどね。
――教育にもともと興味があったのですか?
強くありましたね。息子が江戸川区の公立中学校に通っていたとき、部活の顧問の先生からいじめられていて、学校に相談しても根本的な解決をしてもらえませんでした。それがきっかけで、日本の学校教育に興味を持つようになりました。息子の教育環境で驚いたのは、年度が終わったにもかかわらず、教科書の半分も進んでいないことです。良い高校や大学に入りたければ塾に行くべきだ――それもおかしな話です。
企業でも、新入社員がメールの書き方がわからず、指導が必要というのも変ですね。学校教育の内容と産業界で求められるスキルにギャップがあるのです。これは一体何なんだろうと不思議でした。世界の中で、相対的に日本の研究能力、生産能力、商品開発能力が低下していることとも関連があるのではないでしょうか。
もう一つ感じるのは、日本社会に外国人が増えているのに、多文化社会について学校教育で学ぶ機会がないことです。そのようなことが、教員による息子へのいじめにつながったのではないかと思っています。
それで、できたら学校教育に関わりたいと思っていました。江戸川区議会議員当時、不登校児童の数が江戸川区だけで約2千人いる事実にも驚きました。
――日本とインドの教育と比べたとき、何が違うと感じますか?
インド、インドネシア、シンガポール、香港などでは、早い段階から多言語(母国語+英語)を学ぶようになっています。インドの幼稚園と小学校では三つぐらいの言語を学びますが、私の場合なら幼稚園でヒンディー語、英語、マラティー語を、小学校でサンスクリット語を学びました。サンスクリット語は音韻数が多くて難しいので、音声を出すために必要な喉の筋肉を作ることができる。早い段階で多くの言語を学ぶので、小学4年生頃から教科全体にシラバスが増え、日本の高校で学ぶ内容の多くをインドは中学校で終わらせます。高校に入ると、さらに深めていきたい3教科のみを学びます。
――数学はどうでしょう。
大きな違いは、インドは数学の概念を理解することにも力を入れます。ですが日本は解くことに時間をかけている気がします。たとえば微分積分とは何のために学ぶのか? 日常のどういう場面で実践的に役立つのか? その意味を、絵を描きながら理解していくのです。インドの数学の時間は、先生も生徒もたくさん絵を描きます。インドでは古代数学も学びます。日本とは逆で、数式があるから問題を考えるのではなく、実際に目の前にある問題から数式を考えていく。勉強のための勉強ではなく、生きるための数学を学び、数学の中に存在するトリック(技)を勉強するのです。
生徒の要望を直に聞く
――校長になり一年半、いかがですか?
すべてがスムーズにいくわけでは当然ありませんが、少しずつ変化も起きています。
一つ目は、去年の大学進学の成績が良かったこと。コロナ禍が過ぎたという理由も考えられますが、先生方がしっかり生徒を導いてくれたおかげだと思っています。二つ目は、学校日誌や保健日誌を紙ベースから電子化してデータで見られるようにしました。三つ目は土曜日の授業をすべてなくしました。四つ目は海外の学校・大学、国内の外国人学校との交流を開始しました。五つ目は、修学旅行を導入しました。今年は国内で、来年から海外へ行きます。六つ目、弁論大会、科学の甲子園、模擬国連、ビジネスプランなどの大会への積極的な参加を促しました。
――なぜ土曜日授業を廃止に?
生徒たちから要望が多かったからです。基本的に自ら持ち込んだアジェンダはなく、生徒を含めた学校関係者の意見を聞いています。
――生徒からの意見はどうやって集めるんですか?
具体的には、校長室の掃除当番のため入れ替わりで毎週10人ずつ来る生徒たちや、部活動を見に行ったときに部員たちとコミュニケーションをとったりしています。生徒と校長のクラスルーム(情報交換のためのツール)も開設していますが、さほど意見が上がってきません。
要望の中で一番多かったのが、土曜日授業の廃止と試験回数を減らしてほしいというものでした。試験回数については学内で議論して、生徒からも先生方からも試験まで減らすと成績が落ちるのではという懸念が出たので減らすのはやめました。
それから、これまで行っていなかった修学旅行を、今年から行うことにしました。生徒からの要望が非常に多かったからです。今年は沖縄へ行く予定で、来年から海外に出ます。
さらに、今年から高校1年生の「基礎探究」というプログラムを強化しました。自分の中にある疑問を探して、その疑問について課題や関心を持っていることについて、解決の仮説を立てます。構造的に考えていくことに慣れていない生徒も多いので、最初は雛形を導入して、考えてもらいやすいようにしました。
自己肯定感を上げるために
――よぎさんは生徒に対して、じかに励ましの声かけをすることもあります。子どもたちの自己肯定感を上げたいという気持ちが伝わってきます。
自己肯定感は一番重要なことです。今の日本の子どもたちは、基本的に自分の気持ちにブレーキをかけています。そのブレーキの反動が別のところへ出てしまうことも起きています。具体的にはいじめであり、自傷行為だったりします。授業で、手を挙げて質問することもできなくなったりしている。できることならハキハキと元気でいてほしいし、授業についてこられないなら「ついていけない」と素直にSOSを出せるようになってほしいですね。
周囲の子が理解していそうな中で、「わかりません」「ついていけません」と言うことは恥ずかしいと感じる生徒もいますが、大事なのは、まずなにより自分らしくいることです。先生方には、生徒とつきあうときは、とにかく優しく接してくださいとお願いしています。私自身も生徒とフランクにつきあうことを念頭に置いて、彼らの自己肯定感を上げていけることを目指しています。
――生徒の自己肯定感を上げるために取り組んでいることは他にありますか?
今年から全校生徒に対してリーダーシップの講義を始めました。年に4回、2時間ずつ行います。
1回目は日本の現状を理解し、自分たちは何を求められているのか、リーダーシップとは何か、どうやってリーダーになっていくのか、ということを私が話しました。2回目もすでに終えていて、外部から心理学の先生をお呼びして、心身面の管理や人体マネジメントについて話していただきました。3回目は目標管理、4回目は服装と食卓のマナーなどの学習を予定しています。
――よぎさんにとって「リーダー」とは?
リーダーには2段階のプロセスがあります。まずは自分の欲や怒り、傲慢さに打ち勝てること。自己管理能力です。自分の怒りや欲のために相手の利益を害する人は、当然リーダーになれません。瞬間的には勝てるかもしれませんが、長い目で見たら勝てません。2段階目は、人をどうやってまとめるか。自分のやりたいことをやっていくために、どのように物事を進めるかについてビジョンがある人です。
――講義を聞いた生徒たちの反応はいかがでしたか?
1回目の私の講義のときはシーンとしていましたが(笑)、インパクトはあったと思います。2回目では生徒の反応が変わり、講義への参加レベルが上がり、最後の質問の内容もよかったですね。
――他にこれから取り組みたいことは?
本当はいち早く学校にITシステムを導入したいのですが、現在は茨城県全体の小・中・高校のITシステム導入化のプロジェクトで私がリーダー役を任され、そちらで動いています。出欠管理や成績管理など、生徒の全データを集中的に管理するためのシステムです。
先生方の働く時間も減らしていきたいです。先生方はすごく頑張ってくださっていて残業時間が長い。ですが、その過労は心身に蓄積されていきます。本当に変えていきたいところです。
それから来年から高校2年生で専門的な「探求」授業を導入して、大学や社会生活で使える実践的なスキルを身につけてほしいですね。
ですが、結論としては、部分的な改革を行っても、それはあくまでもパッチワーク的なものです。日本の教育の根本が変わらない限り、大きな変化はない。日本の教育がどういうカリキュラムであるべきなのか、それはつまり子どもをどういう大人に育てたいのかということだと思いますが、まさにそれを考える時期に来ています。枝葉の改革ではなく、生徒たちの成長のために本当に役にたつカリキュラムを国と社会が考えていくべきだと思います。
――日本の教育がどう変わるといいとお考えですか。
まずは教科書の内容を減らすべきです。AIの時代が到来し、機械などにまかせられることが増えます。ですから今後は、暗記よりも課題認識、分析、解決、想像力、表現、効果的な執筆、有効なディベートができる力を人間は備えていくべきです。自己分析、自己理解、人間関係のマネジメント、人格形成の方面も教育でやっていかないといけません。このような基礎的なスキルを誰も教えてくれず、いきなり企業に入るから大変なのです。性教育などもより具体化していく必要があります。
学校教育のみで取り組むのではなく、家庭での教育も重要です。保護者の資質はかなり変わったと思います。保護者が子どもの教育に消極的だったり、逆に子どもに自分の夢や考えをいろいろと押し付けていたり。学校と家庭は両輪です。二人三脚でやっていかないといけません。
――土浦第一高校をどのような学校にしていきたいですか?
進学率をさらに上げていきたいのと、生徒たちの海外留学のチャンスを増やして、土浦第一高校を国際的な教育地図に明確に位置づけたいと思っています。
――国際的な学校にしたいということですね。
日本国内の外国人学校や海外の学校との交流も積極的に行っていきます。今度インドから20人の中学生が来日して、本校の生徒と一緒にドローンのプログラミングをやる予定です。本校の数学の教員が指導してくれます。その後、私の方から自らの経験に基づいて「海外で成功するためには」という話をしようと考えています。
生徒たちには、受験の面接、メモの取り方、英語の弁論大会、ビジネスプランのコンテスト、模擬国連などのアドバイスを、相談されたら個別にすることもあります。そういった学外のコンテストや海外留学にも生徒が参加できるようにもっと支援していきたいです。
文=大西夏奈子
本名:プラニク・ヨゲンドラ 1977年、インド・マハラート州生まれ。同国のプネ大学卒業、同大学院修了、インド国立経営大学院卒業。1997年と1999年、国費留学生として来日。2001年、IT技術者として再来日。2012年、日本国籍取得。グローバルIT企業の日本支社長、みずほ銀行国際事務部調査役、楽天銀行企画本部長を経て、2019~21年、東京・江戸川区議。2022年4月から茨城県立土浦第一高校副校長、23年4月に校長就任。全日本インド人協会会長、江戸川印度文化センター館長も務める。著書『日本に導かれた運命』(白水社)が好評発売中。
おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動もおこなう。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽イベントやモンゴル映画祭を現在企画中。