【シリーズ】日本の医療の現在地 日本の医療の現在地を知る◎松前光紀(東海大学名誉教授・横浜新緑総合病院病院長)

 日本の医療の水準は、世界的にみてもトップクラスといわれている。戦後、焼け野原からの出発となった日本で、医療はどのように発展してきたのだろうか。そして、今とこれからの医療に必要なこととは? 近年問題になっている「直美[ちょくび]現象(※)」が進むのはなぜなのか? 東海大学名誉教授の松前光紀さんに綴ってもらった。 

※「直美現象」=医学部を卒業後、初期研修を終えてすぐに美容医療に進むこと

すべての国民が平等に医療を受けられる日本 

 1939(昭和14)年まで、日本では生まれた子どものおよそ十人に一人が亡くなっていました。その後、1976(昭和51)年には、この割合が十分の一となり、最近では乳児死亡率が千人当たり一・七人と低下しています。わが国独特の制度である「母子手帳」の存在が、乳児死亡率を減少させることに大きく貢献したといわれています。 

 乳児期を無事に過ごし、家庭で大切に育てられた子どもが成人し、社会で活躍して、やがて豊かな老後を迎える。こうした理想的な生涯を健康面で支えているのが公的保険制度です。 

 しかし、戦後の混乱からめざましい経済復興が始まりつつあった1956(昭和31)年頃は、国民のおよそ三分の一が公的保険に未加入であり、日本国憲法第二十五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」から取り残された存在になっていました。 

 当時の日本が抱えるこの社会保障の大きな課題を解決するため、1958(昭和33)年に新しい「国民健康保険法」が制定され、国や医師会の協力により1961(昭和36)年に、いま私たちがその恩恵を享受している「国民皆保険制度」が完成しました。 

 これによってすべての国民が社会保障制度にアクセスできるようになり、子どもから高齢者までの受診が増え、経済成長を支える現役世代も安心して働くことができるようになりました。日本の高度経済成長を促した背景には「国民皆保険制度」の存在が大きかったといえるのではないでしょうか。 

 日本の国民皆保険には、
1、全国民を公的医療保険でカバーする
2、受診する医療機関を国民自身が自由に選べるフリーアクセス制度
3、治療内容に応じて決められた比較的安価な自己負担で診療が受けられる
4、患者が窓口で支払う医療費を一定額以下にとどめる高額療養費制度
5、国民や雇用主の保険料負担を基本としつつ皆がその恩恵を受けるため公費を投入する
といった特徴があるのです。

医師の循環型育成で守られてきた医療 

 公的保険制度を支える屋台骨は、医師国家試験に合格した医師たちです。長らく日本の医療は各地方の大学による若手医師の循環型育成により支えられてきました。 

 以前医師は、国家試験に合格すると自分が専門とする内科や整形外科などの分野を決定していました。その後、専門教育を受ける大学の「医局」と呼ばれる教授を頂点とした組織に所属することになります。医局に所属する医師は「医局員」と呼ばれます。 

 大学はその地域で医局から派遣される医師が主体となって運営する関連病院を持っており、また各医局には「医局長」と呼ばれる番頭さんがおり、重要な役目を負っています。教授には医局員をどこの関連する病院へ派遣するかといった人事権がありますが、毎年秋ごろに教授の指示で「医局員」の人事を司るのは医局長です。 

 医局長は医局員一人ひとりの診療能力、勤務に関する希望などの情報を把握しており、これらの情報を連立方程式で解いて教授へ人事案を提案します。例えば、「○○さんは二年間地方の病院へ出向しているので、そろそろ大学へ戻そう」「○○さんには症例数の多い関連病院を経験させ、手術の腕を磨かせよう」「○○さんは出向先の関連病院近くに家を建てたので異動は無理そうだ」「○○さんの奥さんは今度地方へ出向になるらしいので、奥さんの医局と相談して同じ病院へ派遣しよう」といった具合です。 

 こうしたシステムの中で、若い医局員は内科や整形外科専門医としての知識や技量を養い成長していきます。一方、教授は人事計画の大枠を考える時、その地方の医療供給体制も考えながら各方面と折衝し、最終的に医局長と相談して人事を決定します。このように人事権を機能させながら、大学の医局は医師を地域で循環させ、配置し、地域医療を守ってきたのです。 

若手医師を向上させる臨床研修制度 

 ただし医局が主体となって機能させていた若手医師の育成にはいくつかの弊害がありました。 まず、整形外科をめざす者には整形外科中心の育成が行われるのですが、ヒトを全人的に診る能力が養われませんでした。 次に、入院患者を受け持たせ、指導医の経験で診療能力を向上させるシステムであったため、統一したプログラムや評価がそこに存在しませんでした。患者を診るために朝早くから夜遅くまで勤務させる過剰労働が存在していました。 そして最後に、大学で研修している期間は給料が安く、医師は夜間や休日に民間病院でアルバイトをして生活を維持していたのです。 

 こうした問題を克服するため、2000年に医師法と医療法が改正され、2004年から卒業後二年間の臨床研修が義務化されました。臨床研修で若い医師は、内科、外科、小児科、救急科などを順番に回り、医師としての基本診療能力を身につけることができることとなったのです。これにより卒業後二年間の臨床研修で、患者が求める広い知識を持った医師が育成され、医師の労働環境も改善し、国民のとって望ましい医師が育成されるようになったのですが、大きな弊害も生まれてしまうことになります。 

 義務化された臨床研修を充実させるため、民間病院も参加して様々な臨床研修プログラムが生まれました。これまで医学生は大学の医局に入ることが多かったのですが、都会の病院や、患者数、疾患の種類の多い病院などがこぞって魅力的なプログラムを提供したのです。 

 これによって、若い医師の流動化が起こり、若手は大学中心の人事から飛び出してしまいました。もちろん地方の病院でも魅力的なプログラムが提供され、そうした病院の人気は高いのですが、全体として若い医師たちが地方から人口の多い地域へ流れることになりました。医師の偏在が顕著になったといわれる時期は、臨床研修制度の開始時期と重なっています。 

医師の数のアンバランス 

 医師が多い県は西日本に多く、医師が少ない県は東日本に多いのが現状です。このような不均衡を解消するために様々な試みが行われています。 

 まず、2008年から医師少数県の医学部定員を「地域枠」として増員する方策が開始されました。また地方自治体からの要請により「地域枠」として入学した学生へ奨学金を給付する制度も開始されました。これは臨床研修を自治体が指定した医療機関で行い、一定期間(多くは奨学金の貸与期間の一・五倍)が経過すると給付した奨学金の返済を免除するなどの制度を活用して、地方の大学へ医学生の定着を促すことを狙いとしています。 

 さらに地方と都会における臨床研修プログラムの募集定員を見直し、さらに医師多数県の病院で研修する医師が医師少数県の臨床研修病院で一定期間研修することで、医師少数県の特性や魅力を理解し、将来のキャリアの選択肢が広がるよう促す試みなどが行われています。最近では医療機関の管理者(院長など)に医師少数県での勤務経験を求める仕組みづくりなどが行われています。 

外科の危機と、「直美現象」 

 2008年以降の調査では、リハビリテーション科、麻酔科、形成外科、放射線科を志す医師は非常に高い伸び率になっており、他の診療科も緩やかな増加となっています。ただし、一つだけこの動きに取り残された診療科があります。いま、ワークライフバランスを重視する若手医師の志向から起きているのが、「お腹の外科」に従事する医師数の減少です。 

 外科の先生は手術だけでなく、抗がん剤治療、救急車への対応などで時間外や休日対応が多いことがその一因と考えられます。外科医を束ねる学会も様々な取り組みを実施し、日本の医療の中核である外科を守ろうと必死です。将来人口の減少から外科医療の需要はある程度の減少が考えられるものの、外科専門医養成のプログラムで取り扱う手術件数に地域間格差が生じていることも事実であり、さらなる偏在を生みかねない時期にさしかかっています。 

 一方、最近話題となっている分野は「美容」です。「しわ」や「たるみ」など加齢に伴う見た目に対する処置、ふたえ瞼、豊胸など個人が外観の見栄えをよくする処置には健康保険が適用されません。これらは「自由診療」と呼ばれ、処置に対する金額は自由に決められ国の関与はないのです。 

 したがって美容を専門とする施設の多くは、保険診療を行う認可を得ていないし、健康保険組合に費用を請求できず、すべての処置料を個人に請求することとなります。国が認める保険診療では、治療を必要とする病気やケガを治すために、決められた費用を行政や健康保険組合と患者が病院やクリニックへ支払います。美容と似ているものでも、例えば形成外科が行う乳がん切除後の乳房再建術などは保険診療の対象となります。 

 いま、ワークライフバランスがいい美容の分野に進もうとする医学生や研修医は多くなっています。医学部卒業後の臨床研修をスキップする者や、二年間の臨床研修修了直後に美容の門をたたく者などが増える「直美現象」が起きているです。この現象は、患者数と医師数のバランスの問題なので一時的な現象と希望的に捉えたいのですが、別の分野でも起こりうる現象ですので、何らかの対策が必要となります。 

 そこで、臨床研修をスキップして自由診療の美容の世界へ飛び込む医師に対して、国は将来保険診療を行いたいならその管理者(院長など)の要件に保険医療機関での勤務経験を求めるなどのハードルを設けたり、保険医療機関の管理者要件に、臨床研修(二年間)プラス保険医療機関(病院に限る)で三年等、保険診療に従事したことを条件にしたりするなどの縛りをかけているのです。 

 わかりやすく表現すると、早くに美容の世界へ飛び込んだが、「将来保険診療を行うクリニックを開業しようと思っても、臨床研修や病院などの保険診療機関の勤務をスキップした方は開設者(院長)として認めませんよ」ということです。 

医師数の確保と適切な配置のために 

 これまで大学医学部の定員は医療需給のバランスに応じ増やしてきました。しかし医師の総数からみる需給はそろそろ良いバランス点に到達しており、これから需給が崩れはじめる恐れがあります。国はすべての国民に対し、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しています。私たち国民は社会保険料を負担し、不足分を公費から補われることで安心した生活を営むことができるのです。 

 しかし、医師数の地域格差や診療科による偏在を放置しておくと、「保険あってサービスなし」といった状況が生まれる危険があります。いま医師の適切な配置を議論する時期にさしかかっています。 

 海外では地域における内科や整形外科など診療科の医師数をコントロールしている国があります。たとえばドイツでは医師偏在対策として、医師会や保険医協会等の協議のもとに地域・診療科ごとに開業医の定員を設けて偏在を是正する取り組みを実施しています。また、非都市部で開業する一般総合診療医には、開業資金の助成や子どもの保育・教育支援等のインセンティブを設けていることなどが参考となります。 

 ある時期、日本でも医師の適正配置を促すために、医師過剰地区で診療を行った場合に診療所が受け取る報酬を、医師過少地域より少なくすることが議論されたことがありましたが、医療従事者の合意形成には至っていません。憲法第二十二条には「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」とあります。 

 さらに憲法二十九条には「財産権は、これを侵してはならない」とあります。これらを踏まえると、地域において医師の定員を設けたり、医師の開業を制限したり、地域ごとに医師が受け取る報酬に差を設けたりすることは問題がありそうです。 

 しかし、ドイツで行われている地域の医師会との協議などは参考とすべき事例です。医師が多い地域においては、医師の供給が過剰とならないような制度設計の話し合いを開始すべきでしょう。需給バランスを考えれば、よい着地点が見出せると期待されます。これは国主導で実行するのではなく、地域の中で幅を持たせた妥協が必要でしょう。 

 また国は保有する患者調査の統計データを活用し、例えばこの地域で、三千人の人口があれば一軒の内科開業が成り立つなどのデータを示し、たとえ医師が少ない地域であっても収入の確保を可能にする。つまり「この地域、空いていますよ」というようにマッチングを図ることも一考に値するのではないでしょうか。 

 また許認可権を使った縛りと共に、いま経済的インセンティブも検討されています。クリニックの承継、開業支援、医師の定着支援、医師に対する手当の増額、プラスアルファの診療報酬、中堅以降の医師に対するリカレント教育など様々なアイディアがこれから出てくるでしょう。 

 特に全年齢を対象としたリカレント教育は重要です。大学を定年退職したあと総合診療を学びなおして地域医療に貢献し、医師として残りの人生を豊かに過ごされる先生は最近増えています。 

当たり前のサービスを全国どこでも提供するため 

 日本は国民皆保険制度を取っているので、保険料は強制徴収されています。ですから医療へのアクセスは公平であるべきです。一方、医師はどこに居住しようが、何科を選択しようが、病院で働こうが、クリニックを開業しようが自由です。 

 医師も医師以外の方々と同じく、子どもの進学を考えると教育環境のいいところ、子どもの教育費を心配するなら経済的なリターンが良い職場、高度な医療技術を身に付けたいなら大学病院や有名病院での勤務を希望するであろうし、これらは基本的人権です。 

 医師は国民に対する奉仕者ではありません。しかし、病気や人体に関する専門教育を受け、医師国家試験に合格し、常に患者の訴えに耳を傾け、命に対する熱い思いに共感できる感性を医師は持ち合わせています。

 医師の地域における偏在や診療科における偏在は、国民皆保険制度や経済成長と共に変化する日本の勢いの過程で生じてきました。 いま、行政は真剣に医療サービスの均霑[きんてん]化をめざした取り組みを医療関係者と議論しています。この記事が読者の皆さんにとって、日本の医療の現状と、今後の医療に必要なことを理解する一助となれば幸いです。 

東海大学名誉教授・横浜新緑総合病院病院長 松前光紀 

まつまえ・みつのり  1982年東海大学医学部卒業。国立病院医療センター(現・国立国際医療研究センター)にて臨床研修を行い、東海大学大学院へ進学、1988年医学博士号取得。1990年から1992年ハーバード大学医学部・ボストン小児病院で基礎研究に従事。2005年から2022年東海大学医学部脳神経外科教授。2022年より横浜新緑総合病院病院長を務める。日本脳神経外科学会特別会員、日本脳卒中学会専門医。東海大学名誉教授。