【連載】投稿の広場◎マーサ・ナカムラ——第19回

講評

◎は佳作(作品掲載あり)、〇は選外佳作、それ以外は作品の投稿順に掲載しています。 
 

「夜桜」井上正行 
五感を刺激しながらも明確な像を結ばない一連目にも惹かれるが、昂りを起こさせる最終連も良く、頼もしささえ感じさせる。「飛び散った矢印」という、桜の花びらの比喩も面白い。「いた」という韻は、韻とするにはそっけないようにも思えたが、これも「日常」を見せる手法だろう。繋ぎ合わせるのではなく、並列させることで、淡々と横に続いていく「日常」を生々しく感じた。 

「命と、命」村口宜史
一連目と「張扇」から、「男」は講談師だろうかと思ったが、張扇で「床」をたたく様子は落語を連想させる。しかし、男が語るのは落語の滑稽話ではなく、すると、この「男」はなんだろうと不気味さを感じる。読み手は正答することはできない。その大きな余白が面白い。「ドン、ドン、ドン」という「三つ」の音が、やがて深刻で軽妙な井戸端会議の声へとつながっていく。流暢な関西弁が、この作品に血を通わせている。 

「四月四日」いちのちかこ
ですます調が急に外れることで、語り手の吐露に緩急がつく。少女の残酷な空想がそのまま育っていくような不気味さは、白石かずこの世界に通じるものがあるように感じた。語り手の目に映る桜満開の景色と、読み手がその光景を目にして思うことは異なるものであるように感じて、そこにも面白さを感じた。 

「日々のゆくえ」碧 はる
詩の余白と祈り、霧が呼応するように響き合い、恍惚に浸る。前半部の完成度が非常に高い分、「こわいよね、戻りたいよね、助かりたいよね」から続く箇所が、恋人への執着が強すぎる印象があって、ホラー詩なのだろうかとすこし混乱してしまった。「わからない部分」に執着しないと無償の愛を語りながら、恋人が考えているであろうことを、手に取るように把握していると確信しているところに、私は違和感を覚えたのだと思う。しかしながら、作品としては完成度が高いので、ぜひこのコーナーの読者に紹介したいと思った。 

「猫以前」花山徳康
絵師が描いた絵が融解して「猫」がにげていくような一連目が面白い。そこから二連目へと繋がっていく意図は読み取りにくいが、なにかあると思わせる、まさに絵が融解してなにも見えなくなってしまったようなおかしさがある。 



「不香の花」露野うた 
幻想的なイメージと、詩の語り手を取り巻く世界がうまく共鳴し合っている。情景描写の最中に差し込む声もうまく効いている。最後、「一輪の花」が咲いて死を迎えるのかと思いきや、これが「新しい季節」、新しい生(生活)が始まるという展開が意外で面白かった。 

「私たち、ぬ」早乙女ボブ 
四連目の鮮やかさが特に印象に残る。今後改稿することがあるかもしれないと思ったので、あえて引用はしない。タイトル、一連目の言葉選びも、非常に強い集中を感じた。一連目から四連目にかけて、寂しいけれど幸福な卒業式のような空気感を感じたものの、暗い方に転がった最終連にかすかな違和感を覚えた。語り手の声ではなく、情景描写を最後に置くか、または連を追加すれば、より良さが活きる。筆者の作品は不思議と、水(湖や海)の色あいを感じる。水に触れていなくとも。 

「入道雲」村口宜史
鮮やかで眩しい夏の季節に、戦争の亡霊を見る。終戦記念日、市内で鳴り響く黙禱のサイレンに目を閉じるたびに、眩い夏の裏側のようなものを、私自身も感じたことがあった。一連目「どこまでが/記憶なのだろう」を冒頭に持ってきた方が、二連目にスムーズにつながる。「君」が愛しい人ではなく、「夏の子供たち」を指すことが直感的にわかりやすくなる。これは単なる印刷設定の話だが、字間を詰めた方が、筆者の世界観がより伝わりやすくなる。私自身、投稿詩の印刷設定を見直して選外が入選になった経験があるため伝えておく。  

○「ないのにいないのに」長澤沙也加
「違和感」をあえて平仮名でほどくことで、言いようのない不快な感覚を直感的に味わうことができる。「世界」に閉じ込められた肉体と、「肉体」に閉じ込められた魂の混乱を感じた。これは単なる印刷設定の話だが、字間を詰めた方が、理知的な語り手の声が伝わりやすくなる。作品世界をより鮮やかに提示にするために、字詰めやフォントについて考え抜く詩人も多いので(私もそう)、ぜひ見た目の印象も気にしてみてほしい。平仮名、片仮名、漢字、句読点の配置など、見た目の美しい詩だと感じたので、声をかけておきたいと思った。 

「かみなりのねもとでたのしくやる」碧 はる
幻想的なイメージが、そのまま漫画の絵のように静止して、語り手が主人公となって世界に駆け出していく情景が面白い。確かな力のある書き手なので、あえて意見を添えると、前半に対して、四・五連目が緩く、思考が止まっているような印象を受けてしまいもったいないように思った。しかし、これは単に私の読み方で、言葉遊びが好きな読み手であれば、この箇所の評価は逆転すると思うので、そこまで気にしなくていい。  

「SいNねSかい」緒方水花里 
SNS、「死ね世界」と裏読みできるタイトルは、作品世界に厚みを与えている。直感的に言葉を選び取るセンスがある。素材として活躍する谷川俊太郎も面白かった。「有終の美」を迎えるべく意気込む語り手の声が一本調子にならないのは、そばにいてみたい「きみ」がいたから。そこに破調の妙があった。しかしもし、語り手の声にある種の転換が起こるなら、より大きい世界をうたう作品になるようにも感じた。 

「夜の目」曲田尚生
木漏れ日が揺れる情景の比喩が特に光っている。今後改稿して発表することがあるかもしれないと思ったので、あえて書き抜かない。二連目の「見たり」の箇所などは、少々説明的になりすぎているような感じがある。心象より、情景の描写を意識するように書けば、最終連「木漏れ日」のような遊びが生まれると思う。同じ虹を見ていても、その時の心象によって全く見え方が異なるように、情景を描けば自然と心象も浮かび上がる。 

「海」井上正行
「星座」というつながりから、「夜桜」の続篇として読んでも面白い。退屈な日常を丁寧に言葉の網で掬い上げ、無意識の泥の部分を言語化しようという意気込みを感じた。一連一連のイメージが強烈であるために、少々まとまりのないような印象を受ける箇所がある。一連目と最後の二連が特に光っている。「ふと気づけば」を削除すれば、説明的な感じが薄まる。最終行は「急に」がない方が、前の「そっと」が活きるような気がしたが、これは読み手によって判断が分かれるだろう。 

「あたらしい皮膚」三波 並
筆者の言葉には誠実の光があって、作品は独特の輝きを放っている。それは誰かにとっての利便となるような、蛍光灯に似た光ではなく、光苔のような、自らの生を贖う光であるようにも感じた。二連目最終行の、古風な言い回しも効いている。思考を彼方へと放り出してしまうような終わり方がすこしもったいない。たとえば、最終連の前後の言葉を反対にして、「模索している」で終えた方が良い余韻が残るのではないか。 

「生きていけない魔女の後悔」各務あゆみ
心情の吐露が主で、心象・情景描写が抑えられているために、映像的な印象が薄いが、この書き手にはなにかある、と思わせる深みがある。最終連が特に良かった。映像的な衝撃は残さないが、言葉に惹きつけられる。大手拓次の詩集が、筆者にとって良い参考になるのではないか。ピンとこなければ、大きめの図書館に行って、現代詩文庫を片端から読めば、きっとこの書き手ならなにか得て帰ることができると思う。 



「水飲み鳥」愛繕夢久 
この書き手の作品には、金子みすゞの世界に通じる優しさがある。童謡のように伝わりやすく、直感的な韻を大事にしている。最終連のおしまいは、あえて「へ」を置かず、語り手なりの小さな発見を書けば、効果的な破調が生まれて良い余韻を残すことができる。 

「朝と昼と夜の間で」愛繕夢久  
銀河の中にさらに銀河を発見していくような映像的な美しさもありながら、筆者自身の生きる姿勢の美しさが詩にあらわれ、それが作品の魅力にもなっている。韻を丁寧に踏んでいるのも、今時の詩としては珍しく面白い。精神で詩を書いているような感じがあり、筆者自身の魂が遊んでいるような言葉を入れたらどうなるだろうと考えさせられた。宮沢賢治『春と修羅』は良い参考になるかもしれない。 

「冬眠」多賀嶋 
尾崎放哉より、種田山頭火の自由律俳句の世界を感じた。この世界に無数のモチーフがある中で、この一瞬を選び取ったのが面白い。もし一行詩の可能性を模索したいと思っているのであれば、詩を十行書いて、それを一行に濃縮させる、という方法にすれば、筆者の書き方の幅がさらに広がるのではないか。暮田真名の川柳は良い参考になるはずだ。 

「親切に一票」アリサカ・ユキ 
レイリー散乱、田園まで響く鐘の音など、映像美が抜きん出ている。そのために、「わたし」自身の姿が少しぼやけている点がもったいないように感じた。手元しか映さない、という方法も面白いが、例えば、その手は男のものなのか女のものなのか、爪や指に装飾はあるのか、といったところを明らかにすれば、よりこの作品の独自性がたつ。たとえば「おれは被害者だ!」を( )でくくって、「怒るため」の行の後ろを一行空ければ、この言葉は「わたし」ではなく「彼」が言い放った言葉だと直感的に伝わりやすくなり、「わたし」はその妻か恋人で、自ずからその手の様子も思い浮かぶ。  

「創造」アリサカ・ユキ  
「冥府」や「剣」、「小人たち」といったモチーフから、西洋のファンタジーやRPGの世界観が思い浮かぶ。しかし異界や異国を旅しているという感触ではなく、自分もその世界で生まれ育った一員として、読み手は世界を見る。世界観が非常に具体的である分、たとえばアネモネが投影された壁の質感(つるりとしているのか、ざらざらとした土壁なのか)がわかるほどの情景描写を挿入すれば、世界像がよりはっきりとする。この書き手には、それがしっかりと見えていると思う。 

「ナイフ」露野うた 
「点滅」する「赤いランプ」の情景が独特で面白い。切り裂くという目的から生まれた「ナイフ」を、外に向けるのか、内に向けるのかという戸惑いが違和感なく伝わってくる。いま世界で起きている戦争に思いを馳せる作品だった。 

「悲しい歌」雪代明希 
スノードームの世界のような、独特のゆったりとした空気感がこの作品の魅力となっている。「青い鳥」といった甘い言葉も、この世界では浮いて見えない。最後の「真珠色の大粒の喝采」は涙の比喩だと思ったが、「僕」の涙なのか、「彼女」の涙なのか、直感的に読み取れずもったいないように感じた。美的世界の構築がうまい分、伝わりやすさを意識して書けば、より作品が活きるのではないかとも考えたが、これは読み手によって意見が分かれるところ。そこまで意識しないでほしいが、せっかくの機会なので伝えておこうと思った。 

「かにぱん」緒方水花里 
書き出しが美しく、確かな哀感がある。ひらがなの言葉運びは非常に柔軟で、しなやかな身体をもつ踊り手の足運びを見ているようなよろこびがある。言い淀むような感じがなく、言葉の落とし所を本能的に選び取っているようである。「かに」の言葉遊びは、本当に単なる遊びのようにも見えたが、読後、かにの口調が自分の思考にも跡になって残るほど強いものだった。 

「ひかりうる」福富ぶぶ 
勢いがありながらも自然な一連目が良い。その分、「真逆の方法になった瞬間」とはどういう状態を指しているのか、直感的に読み取れなかったことがもったいなく感じた。おそらく、伝わりやすさよりも、浮かんだイメージを生々しく摑み取ることを優先しているからではないか。普遍的な日常をうたう詩になっているが、言葉選びは非常に独特。そのために、筆者にしか書けない個人的な一場面を挿入すると、より作品に血が通うと思う。たとえば、毎日何時の何色の電車に乗る、みたいな身近なワンシーンをいれるだけでも、全く違う印象になる。 

「潜水と静寂」あられ工場 
「新たな傷がみつかれば写真を撮って」という箇所は、独特でありながら非常に腑に落ちる。写真を撮るという日常的な行為はほとんど無意識の作業だったが、確かに、ある違和感が引き金となってシャッターを押しているのだと思う。無意識の言語化は難しいものだ。最終連はうまく着地しすぎている感じがあってすこしもったいない。具体的な情景描写で終えた方が、良い余韻を残すことができる。 

「春がゆっくりきた年は」あられ工場  
最終行、急にフォントを変えて語り手の心の声を演出する手法が意外で面白かった。「ゆっくり」という言葉を繰り返すことで、まるでスロー再生のように、情景がゆっくりと流れていく様子が見える。最終連、もし「ゆっくり」怒るという情景を表現することができたなら、より独自の世界観を演出することができたのではないかとも感じた。尾崎一雄の『虫のいろいろ』の最後が、「ゆっくり怒る」というイメージから連想された。  

「無題」ゆり呼  
石川啄木を彷彿とさせる、「三行書き」という手法が面白い。「三日月の隅」とは何か、血の涙を流す目なのか、二人の心の闇に浮かんでいる月なのか、読み手によって解釈が異なるだろう。短い詩でありながら、読み手にさまざまな思索を許す、懐の深い作品。 

「自信」ゆり呼  
「あたし」と、三連目「わたし」の揺らぎが面白い。「あたし」は語り手の肉体で、「わたし」は語り手の魂なのだろうか。詩の言葉の奥に、なにか抑圧された思いのようなものを感じる。具体的な情景描写をすることができれば、おのずと情景に心象があらわれて、その思いを爆発的に解放することができる。伊藤比呂美『河原荒草』が良い参考になるかもしれない。 

「断頭台を捨てるまで」各務あゆみ   
三連目「清楚に引き立てる 黒い心」という一行がうまく効いている。独特の魔女感がある。川口晴美『やがて魔女の森になる』という詩集が、もし未読であるならば、良い参考になるかもしれない。「森」の色合いに、通じるものがあるように感じた。最終連の冒頭が、まるで厚い雲から陽が差し込むような面白い転換が起きているので、この冒頭を最終行にもっていってもいいかもしれないと考えた。 

「食べたいカツサンド」桑原咲羽   
「カツサンドが食べたい」という健康的な言葉が、いまの現代詩の中では珍しく面白い。二連目から、この語り手は、カツの部分だけではなく、しっとりとしたパンの部分にもカツサンドの魅力を感じているということが伝わってくる。五連目に登場する様々な音が、描写ではなく説明にとどめているところがもったいない。ここを、自分にしか表現できない言葉(オノマトペなど)で生々しく描写することができれば、よりこの作品がたつ。 

「おねがいごと」桑原咲羽  
「体が先へ行かないように」というシンプルな一行から、語り手の現在の心模様を推し量ることができる。書かずとも伝えている。心象描写がうまい分、情景描写が欲しくなる。たとえば、どういう景色の中でそうした気持ちが起こったのか、そうした情景描写によって、この書き手なら心象をほのめかすことができるはずだ。 

講評を終えて 

 どれも強い個性があって、読んでいて楽しかった。「せっかくの場だから」と助言めいた言葉を添えたものの、思いきり自分勝手に書けるところが詩の良いところだから、気にしすぎないでほしい。私やその他評者からの余計な一言に傷ついた人は、リルケ『若き詩人への手紙』(新潮文庫)をぜひ手にとってみてください。 
 投稿者ひとりひとりの詩を書く喜びが原稿用紙から伝わってくる。詩作は孤独な作業で、なんだか変にいじけてしまう時期が私にはあるのだが、この投稿の広場がやってくるたびに、「そうだ、詩を書くのってすごく楽しいんだった」と気づかされている。 (マーサ) 

マーサ・ナカムラ

1990年埼玉県生まれ。詩人。第五十四回現代詩手帖賞受賞。『狸の匣』(思潮社)で第二十三回中原中也賞、『雨をよぶ灯台』(思潮社)で第二十八回萩原朔太郎賞受賞。

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