【フォトエッセイ】虫譚―昆虫学者、心にぐっとくる虫を語る◎小松貴――第2回/近くて遠いスズバチ

第2回 近くて遠いスズバチ

 スズバチは体長3センチ程度、やたら体が節くれだって括れた中型のハチだ。オレンジと黒のツートンカラーも相まって、見れば百人中百人が迷いもせずハチだと分かる風貌。北海道から沖縄まで広域にわたって分布し、平地から山地まで見られる。住宅街に現れる事も稀ではなく、見た目がそこそこでかいハチであるが故に、人間共から「襲ってくるのではないか」と危険視される局面が少なくない。だが、至って温厚な性格であって、人間に対しては直接素手で握りでもしない限りはまず刺すことなどあり得ない。

アカメガシワの葉上で、鳥の排泄物をなめるスズバチ

 このハチは名前の字面が似た「スズメバチ」の仲間とは違い、決して群れを作らず単独で営巣する。産気付いたメスのハチは、民家の軒や壁など直接雨風が当たらない場所を探し、そこを営巣場所とする。彼女は、近場の地面から土や砂をかき集めて水と練り合わせ、これを巣材として営巣場所に運んでは塗りつけていき、やがて立地な壺の形に仕上げる。

せっせと泥やらを取ってきては、巣を作り上げていく

 巣の概形が完成すると、その内部にどこかから狩ってきたガの幼虫を数匹搬入して、自らの卵とともにこれを封印する。ガの幼虫はハチに毒針を打たれて体が麻痺しており、生きてはいるものの死んだかのように動きを封じられてしまっている。その後、巣の表面に土砂を上塗りし、せっかくの見事な壺をただの汚らしい泥団子に作り替えてしまう。

 封印された巣部屋内で孵化したハチの幼虫は、麻痺したガの幼虫を餌に人知れず育っていく。巣材に使われている土砂は、巣の制作過程でハチの唾液が混ぜられて補強されており、土くれのような見た目の割にとても固く、手では容易に崩し難い。また、多少の水に濡れても溶けだしたりはしない。

自転車のスポークに取り付けられたスズバチの古巣

 このスズバチという昆虫自体は、ごく普通にそこらで見られるものだが、彼女らが我が子へ捧ぐ獲物たるガの幼虫を狩る瞬間に立ち会うのは、まっこと容易なことではない。このハチは警戒心がかなり強いようで、子孫を残すための聖なる戦いの片鱗さえも、下衆な人間共の衆目には晒したがらない。インターネットで軽く検索しても、その瞬間を撮影した画像がほぼ見あたらないのを見るあたり、それを見届ける幸運に恵まれた人間は本当に少ないのだろう。

 私自身、そのシーンに立ち会いたいと長年思いつつ機会に全く恵まれずにいたが、つい先日、齢四十三にしてやっと初めて目撃した。初見で四十三年もかかっているのだから、二回目に遭遇できるのは次の四十三年後に違いない。哀れ人の子は生涯で二回しか、あの聖戦を見届ける権利がない。しかし、人には見せずとも彼女は古より毎年連綿とその行為を遂行し、今日まで子孫を繋いできたのだ。それも、我々の暮らしのすぐ傍で。

 スズバチ、それは「平行世界の狩人」。

大型のシャクガ類の幼虫を捕らえ、毒針で攻撃する。狩りの瞬間に立ち会うのは容易ではない
九州某所にあった石像。ここの例に漏れず、入り組んだ形の石像にはしばしばスズバチが営巣しがち

関連記事
「虫めづる奇人の回想」 文・写真 小松 貴

小松 貴

こまつ・たかし 1982年神奈川県生まれ。九州大学熱帯農学研究センターを経て、現在はフリーの昆虫学者として活動。『怪虫ざんまい―昆虫学者は今日も挙動不審』『昆虫学者はやめられない─裏山の奇人、徘徊の記』(ともに新潮社)など、著作多数。

バックナンバー

バックナンバー一覧へ

この記事をSNSにシェア