新連載【フォトエッセイ】虫譚―昆虫学者、心にぐっとくる虫を語る◎小松貴――第1回/クロヤマアリ、それは

月刊誌の時代から続いていた「虫めづる奇人の回想」の著者・小松貴さんの新たな連載が始まりました。その名も「虫譚」では、毎回ある虫について掘り下げ、「心にぐっとくる」魅力をお届けします。濃密な昆虫文学を、どうぞお楽しみください ! 

第1回 クロヤマアリ、それは

 クロヤマアリは、働きアリで体長6、7ミリ程度、艶消し調の黒っぽい灰色をしたアリだ。北は北海道から南は九州まで日本の広域に渡って分布し、公園の芝生や庭先など、明るく開けた場所の地中に深い巣を構えて暮らしている。特に春先ともなれば、巣口の周りに小山状に土砂を積み上げることが多く、道脇の地面にその様を見たことのある者も少なくないはずだ。わざわざ現物を手に取ってまじまじと眺める機会もないだろうが、長めの脚に加えて、アリとしては大きくパッチリとした複眼を持ち、スタイリッシュかつ愛らしい見た目をしている。

冬季以外のあらゆる時期に地上で見られるが、春先は特に目立つ
路傍に開いた巣。日本本土の道端で、これ以上に目につく昆虫もおるまい

 彼らは貪欲で、花の蜜から行き倒れたムシの残骸に至るまで、手の届く範囲にある様々な有機物を餌とする。その持ち前の食性の広さと耐乾性の強さからか、他の多くの昆虫にとって住みにくそうに思える都市部でさえも、余裕で生息が可能だ。都市部には本種の他にも種々のアリ類が生息するものの、認知しやすいサイズと動きを考慮したならば、こいつらは我々日本人にとって一番身近で馴染み深いアリと言えよう。たとえ「クロヤマアリ」という名を知らなかったとて、普通の人間が家から外出して徒歩でそこらをひと回りして、ただの一匹もこれを視界に入れぬまま帰宅するのは不可能である。そう断言できるくらい、本当にどこにでも普通にいるアリなのだ。

 しかし、世界規模で見てみれば、このアリは必ずしも普遍的な分布を示している訳ではない。本種を含むヤマアリ属(アリ科ヤマアリ亜科)のアリは、全北区(大雑把には北米、東南アジアを除くユーラシア大陸、アフリカ大陸の北部)に分布が偏っている。 彼らは涼しい気候を好むため、熱帯・亜熱帯地域にはほとんど見られない。日本国内においても亜熱帯気候に属する沖縄以南では姿を消してしまい、より南方に位置する台湾では、標高の非常に高い山岳エリアにほんの少しだけ分布するのみだとの話を、その筋のアリ研究者から聞いた事がある。

 それを考えれば、実は我々はとても貴重な昆虫を隣人として日常を紡いでいるのだ。ここ数年来、特に夏場を中心に異常な高温状態に見舞われている日本だが、このまま夏場の平均気温が青天井に上昇していくならば、やがて日本のクロヤマアリは北日本か、高山の天辺でしか見られない昆虫になるのだろうか。いや、下手をすれば国内から絶滅する未来すら、絵空事ではなくなってしまうかもしれない。

 幼少期より、親の仕事の都合で数年毎の引っ越しを余儀なくされてきた私にとって、クロヤマアリは日本のどこのいかなる環境に住もうと必ず傍に居てくれた、数少ない「幼馴染み」だった。だからこれからも、奴等には何時だって私の傍に居続けて欲しいと、切に願うばかりである。

 クロヤマアリ、それは「変わらない日常の景色」。

獲物を集団で運ぶ。各々が好き勝手な方向に引っ張るように見えて、その実ちゃんと巣へ向かっている
クロヤマアリは、しばしば別種のアリに攫われたうえ奴隷として働かされる。写真はサムライアリ(右)の身なりを整える様子
後部からアリヤドリコマユバチに寄生されるクロヤマアリ。獲物運搬中のアリは、それ以外の動作ができないため天敵に襲われると成す術がない

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「虫めづる奇人の回想」 文・写真 小松 貴

小松 貴

こまつ・たかし 1982年神奈川県生まれ。九州大学熱帯農学研究センターを経て、現在はフリーの昆虫学者として活動。『怪虫ざんまい―昆虫学者は今日も挙動不審』『昆虫学者はやめられない─裏山の奇人、徘徊の記』(ともに新潮社)など、著作多数。

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