【連載】投稿の広場◎マーサ・ナカムラ——第24回

講評

◎は佳作(作品掲載あり)、●は掲載なしの佳作、〇は選外佳作、それ以外は作品の投稿順に掲載しています。

◎「Iについて」緒方水花里
青春は誰もが描きたいテーマだが、あの儚い一瞬を掬いとれる書き手は非常に稀だ。散文詩でありながら、飛躍するイメージ、語り手の背の裏側にある景色までありありと見えるようだった。

◎「ラー油の記憶」夕空しづく
「ラー油」という一つモチーフから展開していく、素朴な作品であるものの、最後にすべてを宙に向かって放り出し、読み手に託してしまうような、書き手の思いきりの良さに惹かれた。中也への連想も独特で面白い。まさに酢醤油に浮かぶ油のように、書き手と読み手の想像が徐々に解きほぐされ一つになっていくようだった。

◎「手紙」あられ工場
「惑星の長旅」という言葉に強く惹かれる。不安定に揺れる歩道橋の上、ひたすら前にむかって進むほかない語り手の体は、なにかの乗り物であるかのような、すこし怖い空気感もある。強い実感を呼び覚ましながらも、異世界へと連れ出す作品。

◎「ほとばしり」アリサカ・ユキ
数行離れた語が呼応しあい、そこから新たなイメージを生んでいくのが面白い。たとえば「カゲロウ」と「ちぎる」から儚い命を、「船」と「母」から母艦、戦争をイメージする。不思議な技巧だ。しかし何より、濃霧のように重たく流れていく詩行が心地よかった。

◎「囿[sono]」あらいれいか
音が意味をこえ、意味が音をこえる。その大波に揺られているうちに、詩における意味とは、どれほど意味があるものなのだろうと考えさせられる。読み手からの理解を阻む、檻が張り巡らされているような作品ではあるが、書き手の静かな喜びが伝わってくる。

◎「黄昏」浅浦藻
小林かいちの絵を彷彿とさせるような、不思議で、ロマンティックで、どこか哀しみのある情景。小林かいちの新作を見ることはもうないが、この書き手が、これから新作を書き続けていくのが楽しみだ。ぽつぽつと言葉をつづりながらも、暖冬の触感、パンの香りなど、六感を刺激される。

●「輪廻譚[りんねたん]」光枝ういろ
前作から書き方を大きく変えてきた。内田百閒「山東京伝」を彷彿とさせる、「あの人」への盲信と、「私」を取り巻く「あなた」との関係性も面白い。音を大事にする書き手だが、「、」という休符に、拍をこえた深淵な意味を持たせる方法も面白かった。



○「いかみりん」佐薙ナギ
イカに神聖を見出す作品かと思いきや、最後には当たり前に食べ物扱いしてしまうのが可笑しかったが、実[じつ]を捉えていると感じた。ある意味起承転結がしっかりしすぎていてそれが単調な印象を生んでいる。あえて筋とは関係のない情景を挟み込むという技法を試すことで、化ける書き手なのではないかと思った。試してみてほしい。

○「電車で行こう」いなつき きゅー
若い書き手で、ここまで生と健康を全肯定しながら書ける人は珍しい。発想が力強く、あえてどこかでリズムの破調を生み出すことができれば、メリハリをつけることができる。吉増剛造の作品が、この書き手に面白い影響を与えるのではないかと思ったが、現代詩文庫シリーズを片端から読んで、好きな詩人を見つける遊びをするのが一番参考になるだろう。

○「落城」福富ぶぶ
「城」は戦禍にある異国の宮殿、そしてわたしたち一人一人が抱える身体の器官を言い表す、ダブルミーニングだ。「転生」「花束」といったモチーフは少女漫画のようなデフォルメされた世界観を思わせるが、「藁人形」「体内の化学物質」といったグロテスクなモチーフと合わさり、抽象と具象が隣り合うような不思議な魅力がある。

○「おひさま」村口宜史
 土の中で眠る「緑の一つ」は種子、幼葉といった「命の根源」の象徴として直感的に読み取ることができる。一方で、その土を踏むこどもたちと、そら豆のような形の足跡との対比も面白い。日常から得た重大な発見を作品にさしこむことで、劇的な場面を経ずとも、刺激的な作品になる。

○「土葬を逆から」小笠原快
「陽/光」、「椿/並みの」といった改行が、まるで脈拍のようにこの作品に不穏なリズム感を与えている。白、クロ、赤、緑といった鮮やかな色合いが意図的にこの作品の中に塗り込められている。「私」の立ち位置からは見えないはずの光景を差し入れることで、作品世界により立体的な影がつく。

○「幼児小景」森林みどり
自分もこどもの頃、何気ない日常の景色を、まるで観光でもしているかのようにしげしげと眺めていたことがあったことを思い出した。初めて見るものはすべて美しい、というメッセージを感じる。「イノシシ」「焦げくさい息」といった言葉が、こどもという体の獰猛さをうまく表している。

○「月」井上正行
月の光は冷たく、広い宇宙で、ただ一人一人として生きていくほかない哀しみを描きつつも、目に見えぬ神的な存在への信頼と、語り手の「私」への温かな愛がある。「私」として語りながら、この宇宙を産んだ神の視点で書いている。一連目が、世界観をまず鋭く捉えている。

○「世に降る雨」cofumi
地球と宇宙、すべてが感情をもつかのように描かれる。「太陽」も「風」も哀しみを抱えているが、だからこそこの世界は優しいのだという不思議な発見がある。一方で、作品中で展開する宇宙に、それぞれ思う人をあてはめていく読み手もいるだろう。

○「ムーンライトセレナーデ」雪代明希
「夜」の闇に満ちる情景が、最後「真っ白」に光る。そこから一行目「眩しくて目を伏せた」へと再び繋がり、この舞台装置は千秋楽を迎えるまで、延々と廻り続けるような気がした。美しいものを誠実に描こうとする意思が伝わってくる。

○「解放区にて」早乙女ボブ
「解放区」とは何を指すのか、SFやファンタジーの世界を描いているのだろうかと考えながら読む。しかしなにより、冒頭の「みどり象」というモチーフが魅力的で、理解よりも先に世界を丸ごと受けいれてしまう。リズム感が良く、不思議なオルゴールを見ているような気分になる。

○「お面捕獲事件」まつりぺきん
手を緩めて放してしまうような諦観が満ちながらも、切実さがある。投稿を始めた頃と、大分作風が変わったものだと頼もしく思った。最終行だけその必然性が直感的にわからず、もったいないような気がした。おそらく書き手が作品に添えた、「ポン酢」のような冗談なのだろう。

○「人魚」三波 並
リフレインされる「てく」「でく」の音は、「鯨」と「わたし」、そして境界の向こうにいる存在の、それぞれの足音のように感じた。最終行がうまく着地しすぎて行き止まりになっている。最終行を前行「消えることも」の前に置けば、影が水のように伸びながら道も続いていくような余韻を残せるのではないかと思った。

◯「転向生」三明十種
私小説的な面白さがあるのは、語り手に主人公たる魅力があるから。それはつまり、唯一無二の書き手であるということだ。車を運転する時の、日常の自分を後ろへ置いて走るような爽快感が伝わってくる。最後は巻き戻しでいいのだろうかと考えさせられた。

○「ほくろ」矢澤あねら
自身が抱える世界を、適切な距離感をもって書き出している。散文の印象が強い分、他誌に投稿する際には、マス目の原稿用紙につづらない方がこの作品の良さが伝わりやすいかもしれない(マス目で読むと重たくなる)。うたう気持ちで詩をつづれば緩急が生まれ、蜂蜜状の記憶のうねりをより伝えることができるだろう。



「まどろみ」加藤 白
ペンネームにも使っている「白」は、この筆者にとって大事な色だ。描写を極限まで削ぎ落とした、短い詩だが、冒頭の「白い息」に不思議な熱量を感じた。日常に支えられていた「まどろみ」の時間に感謝しながら、「男」は日常の景色へと落ちていく。あえて男の心情を描かないことで、読み手は男にさまざまな物語を見る。

「純白の輝き ソダシ」多賀嶋
安岡章太郎の「サアカスの馬」を彷彿とさせる。観客席にいる「僕」が馬に魅せられ、生きる希望を与えられる時間が鮮やかに描かれている。「サアカスの馬」は馬にスポットライトがあたるが、この作品では、白毛の馬はそのまま「光」となり、語り手の心の闇を晴らしていく。

「自給自足の詩」低温度℃
手書きの原稿。一行目の二番目の「愛」の下半分に、「死」という文字がつづられているように見えたのは、詩の語り手が、愛の名の下に死へと接近しつつあるからなのかもしれない。散文詩だが、筆者がうたうようにこの言葉をつづったことが伝わってくる。

「愛が憎しみに変わるとき」吉岡幸一
夫婦岩の前に設置された鳥居から伸びる参道が、まるで産道のように見える仕掛けがされている。読み手による自由な解釈を許さないほど緻密な設定と描写がなされているが、筆者は詩の余白に自身がイメージから感じ取った詩情を満たそうとしている。

「ハチ公」さつないかわさや
目の前にいる相手に向けた怒りが、やがてその瞳に映っている自分までをも焼き尽くしてしまうかのようなやるせなさを感じる。強い口調は、そのまま犬の悲しげな声であるようにも読めた。ハチ公は雄犬らしい。女性の声ではなく、男の声でこの詩を語りなおすと全然違った味わいになるだろう。

「スタッカートはつながりを求めて」西村健
優しく語りかけるように、この詩はつづられている。そのためにわかりやすい描写がなされているが、そこにある情景や心情は独自性が高いためにすこしもったいない感じがある。格調を下げる必要はない。わかりやすく説明しようとせずとも、情景を誠実に描くことで、言外に心の景色を伝えることができるはずだ。

「望星」宮崎詩歌
本ウェブマガジンと同じタイトル。偶然かもしれないが、その当意即妙な感じに、同じ書き手として好感をもった。心情、心象、そして情景の順に展開していく。闇のような心の内側の言語化には成功している。今度は逆方向に景色(情景)の側から展開し、心情を語らずとも読み取らせるように書けば、より唯一無二の世界観を描き出すことができる。

「低迷の夜のただなかで」曲田尚生
与謝野鉄幹の詩、ロマン主義を彷彿とさせる。豪華絢爛な世界を展開させるが、最後には現実的な後ろ姿を見せて去っていくのが印象的だった。私がいま、石川啄木を集中して読んでいることもあって、ロマン主義から実感にもとづく三行書きの短歌へと移行した啄木の作品を読んでみてほしい書き手だと思った。

「双子」花山徳康
ミケランジェロの絵画『最後の審判』が思い浮かんだ。神々と天使の足下には、都電が走っている。決して壮大なモチーフばかりを用いている訳ではないのだが、未来を予言しているかのような、重たい手触りがあった。

講評を終えて 

 初めて見る名前も多かった。この投稿欄に集う書き手が増えて嬉しい。書けない時は、書けないなりに、まるで日記を見せるように作品を送ってもいい。むかし、ある若い書き手が「むかしのように詩が書けなくなった」と、とある先輩詩人に作品を見せたところ、「以前の作品より、今の作品の方がまだ将来があると感じる」とコメントされていたことがあった。わたしはこの連載によって、いつも0地点に立ち戻ることができる。投稿者にとってもこのページが、それぞれの0地点に戻る契機になればいいと思っている。(マーサ) 

マーサ・ナカムラ

1990年埼玉県生まれ。詩人。第五十四回現代詩手帖賞受賞。『狸の匣』(思潮社)で第二十三回中原中也賞、『雨をよぶ灯台』(思潮社)で第二十八回萩原朔太郎賞受賞。

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