【連載】投稿の広場◎マーサ・ナカムラ——第23回

講評

◎は佳作(作品掲載あり)、●は掲載なしの佳作、〇は選外佳作、それ以外は作品の投稿順に掲載しています。

◎「はだざさめ」あらいれいか
幻想世界には、現実世界にはない言葉がある。タイトルの「ざざめく」という古語が、最後に「膚囁」という語の衣をまとって現れる。古語、話し言葉、英語と、さまざまな言葉の形を駆使して形作った幻想は、私たちが暮らす現実世界になによりも近いと感じた。

◎「きず」アリサカ・ユキ
素っ気なく感じるほどの静けさがありながら、日常の輪郭を的確に描きとっている。重々しい気配をまとって登場するモチーフが多く、どこを主軸にして読めばいいのか迷う感じはあるが、その戸惑い、浮き立つ感じも、この世界の細部を表している。

◎「昼間の月」まつりぺきん
舞台を見ているのか、日常の景色を見ているのか、わからなくなる感じが心地良い。「象牙色をした波」が差すものが何を意味するのか、何も意味しないのか、全てを意味するのか。さびしさのある詩だが、人のさびしさを救う作品だと思う。

◎「秋」井上正行
今は冬で、秋は最も遠い季節だ。紅葉やイチョウの葉がちらちらと空から落ちてくるのを眺めているような最終連は、まるでスノードームを見ているような美しさがある。北向きの部屋のような、ある種一定の気分を最初から最後まで保っている。機会があれば、ハン・ガン『光と糸』(河出書房新社)に収録されている詩「北向きの部屋」を読んでみてほしい。

●「カルーセル」あられ工場
回転木馬から流れるメロディと、歌うような言葉がうまく調和している。「回転する木馬は」以降から格調高い文体となる分、前半の「なんだか」や「あちこち」といった言葉は少し浮いてみえるが、このやさしい口調があるからこそ、最後の「さよなら子どもたち」という連につながっていくのだろう。

●「白い鯨」三波 並
「鯨」は、自身の中にある確かな神聖さの象徴なのだろう。幻想的だが質感をはっきりと感じる情景である分、この詩の短さがもったいないような気がする。情景描写力を鍛えることで、より自身の中に沈んでいる「映像」を丁寧に掬い上げることができる。最終連は鋭く、腐乱しとけていく「鯨」を感じさせる。



○「透視」桜庭紀子
「風葬」「息子の顔」など、次々と飛躍していくイメージに驚かされながらも、作品全体に気品がある。「ひったりと」といったあまり見ない副詞も面白い。最後はうまく着地しすぎて、せっかく開いた大風呂敷が小さくまとめられる感じがあってもったいない。現在形にするか、または、まだイメージが持続しているような詩行を最後にいれると、余韻が残る。開けっぱなしで終わる、というような感じ。

○「コスモス」村口宜史
「私の翡翠」の一行が、この作品に透明な煌めきを与えている。物語を感じさせる作品が持ち味となりつつあるが、なんとなく、一度物語という束縛から解放されたらさらに世界が広がる書き手なのではないかと感じた。登場人物に話をさせるのではなく、自分の言葉として話をしてもいいのだ。この人の書く即興詩はどんな感じになるのだろう。

○「lookism & bonlism」緒方水花里
「あたしたちは肉を捧げ数字という神に」という行が特に印象深い(いずれどこかで発表することがあるかもしれないと思ったので全部は引用しない)。書き手の生命活動をそのまま表すような激しい言葉がつづられるが、主語は一人称単数ではなく、「あたしたち」という一人称複数であり、この言葉は個人の独白ではなく、確かな「代弁」だと感じた。

◯「すべる町」花山徳康
焼き魚、「蒸しパン」に「アンバン」、筆者がつづる食べ物のイメージはどうしてこんなに美味そうに見えるのだろうか。最終連の「この町なんだろう?」が、「古い絵本」の中の人の声なのか、「戦時」の人の声、現在の人の声なのか直感的に読み取りにくいが、著者はあえて、誰でもあるというように、この言葉をここに置いたのかもしれない。

○「雪の宿」吉岡幸一
四連目の言葉が鋭く、ここから一気に世界に引き込まれる。「そんな意味もないことを考えては」など、言外に伝わることはなるべく削除したほうが各場面が締まるだろうかと考えたが、このまわりくどい言い方こそが、語り手の主人公性を象徴しているのかもしれない。

○「冬」多賀嶋
蟹が座ったらどんな姿勢になるのだろう、そもそも蟹はかまくらで遊ばない。自由律俳句を感じさせる一行詩を持ち味としているが、詩だからこそ、「一行」がこの書き手にとって本当に良いのか、考えさせられた。井伏鱒二の詩集と、石川啄木の三行書きは良い参考になるかもしれない。

○「でるふぃらとおっふぇむ」光枝ういろ
「でるふぃら」は神話の登場人物のように読めた。「特攻隊」「パパイヤの樹」「海の底」から、戦争の悲劇を率直にうたった作品なのではないかと感じたが、解釈の分かれる作品だ。作者はその広々とした感じを楽しんでいるふうもある。

○「色巡る」福富ぶぶ
「貴方」への誠実な罵り言葉。「黒い花弁のC」や「白くて甘い鉱石」など、「貴方」を突き放す激しい表現に、思わず見惚れてしまう美しさがある。「芸達者な猿」は比較的よく使われる言い回しで、ここだけオーダーメイドでない感じがしてしまうので、ここは「猿」じゃない方がいいかもしれない。

○「スペクトラム」三明十種
作為なふうにカメラを向けながらも、そこに意味が滲んでいく感じが、まるで短編映画のような味わいがある。「、、、」は無い方が、超然とした感じが出るのではないかと思ったが、これは光のしずく、「ニス」の様子を表しているのだろう。



「白い紙」セイル
物価高を即座に目の敵とする風潮がある世の中で、「高価になった今/大切さを知れる時」という言葉が重たく響く。手紙の文章のような語り口でありながら、うたのリズムがあって、読み手の心に音楽を奏でる。

「遊女」篠井雄一朗
言葉とイメージに独自性がある。印象的な言葉が多く登場する分、どこを主軸として読むべきか迷い、直感的に読めないのがもったいないような気もしたが、「遊」の世界を表現したのだろう。詩に登場する「星」には女という裏の意味があり、真のタイトルは「遊星」なのだろうか。

「ハをハきだして」西村 健
一つの発想からイメージが展開していくが、詩を語る声が優しいので、世界観を押し付けられている感じがしないのが印象的だった。情景描写を書き込めば、より独自性が生まれるだろうかとも考えたが、この作品にはこの書き方がベストだと思った。毎日日記を書くことで情景描写力を鍛えられる。

「夏は夏ってだけで楽しい」雨過浮可
この語り手にとっての夏の感触を、暑さによってではなく、痛みや目を刺すような光の描写によって描き出す。「妹」や「キュビズム」など、触れれば切れそうなほどにモチーフが鋭く尖っている。過激な描写ではあるが、すべての生命活動が過激になる夏をうまく表している。

「もう一度」加藤 青
冬が来ると草木は枯れるが、自分たちの命は冬を喜んで咲くこともできるという強いメッセージを感じる。生きていることほど、正しい行いはないのだ。萎んでいくような始まりと、咲いていくような終わり方が面白い。

「21世紀天使奇譚」矢澤あねら
詩の外にも作者の美意識が滲んでいくような力作。美しいものを極限まで美しくつづろうとする気概が伝わってくる。「オルゴール」が特に心に残る。想定する当時の小説や詩の文体を取り入れて、この詩を語り直してみると、さらに幅が広がるだろうと感じたが、最終連から、あくまで令和時代の文体でなければならなかったのだろうと感じた。

「神戸」ナカタサトミ
決意表明のような、まっすぐな思いを感じる。「土人形」と「泥濘」は繋がっていて、「私」はこれから誰の人形でもない、自分で自分を形作っていくのだろう。好きな詩人を見つけることで、書ける幅がさらに広がっていく書き手であるように感じた。大きい図書館で現代詩文庫シリーズを読み漁ることがおすすめ。

「中空の境界線」雪代明希
タイトルの独自性が良い。「透明な線」は「本の中のひとたち」との境界であり、死者と生者の境界でもあるようにも感じられた。最終連の「太陽フレア」という言葉が、まさに現在から生まれた詩であることを伝えている。一連目、冒頭に登場する「風」が花の香りを作品全体に撒き散らしていく感じがある。

「茶色の水たまり」狩野未沙紀
「カフェラテ」をぶちまけた瞬間、この詩の語り手の中で何かが弾けたということが伝わってくる。「506円になった」という箇所は、わかりみが深すぎて笑ってしまった。「あの人の実家」から最終行までを三行目あたりに持ってくれば、その弾け飛んだ感じが直感的にわかりやすくなり、かつ狂気的な最後を演出できるのではないかと感じた。試してみてほしい。

「probably true」古倉凪紗
朝のぼんやりとした意識の中で、「湯気」が「わたくし」の「魂」となり、「魂」が「湯気」になる。そのゆらめきが表現されていて面白い。「わたくし」は萩原朔太郎、宮沢賢治の時代の空気感を思わせる。まるで絵を描くように文字を配置し、湯気のかたちを表している。

「私の宇宙[せかい]」腰越おん
幼い頃、星座早見盤を生まれて初めて見た時の感動を思い出した。いまの私にとって宇宙は夜空の延長でしかないが、筆者の想像と空想の混じった星座の世界は、夜空への純粋な憧れを呼び覚ます。一方で、語り手が空の上にとどまらず、「ふもと」まで降りてくる情景の高低差が面白かった。

「空、黒く渦巻いて…ひとつの目」曲田尚生
声の瑞々しさが、春の夜の空気を感じさせる。シェイクスピア演劇の独白、慟哭のイメージを掻き立てられる。語り手が立つ舞台と、語り手自身が当てるスポットライトを感じた。一方で、最終行の萎んでいく感じによって、緩急のリズムが生まれている。岸田将幸の初期の詩集は良い参考になるかもしれない。

講評を終えて 

 本投稿欄は、今回で23回目になる。詩の言葉をつづるという行為は同じなのに、全く異なる文体と描き方がそれぞれ展開されるのが、まるで奇跡を見ているようで面白い。書き手の個性は、いわゆる「持ち味」に宿るものではない。どんな書き方をしても、細部にその人しか書けないものは宿る。だからこそ、自分が禁忌とする詩の書き方にも気軽に挑戦するといい。私自身も、日記帳に、普段あまり発表しないような詩の書き方をして遊んでいることがある。(マーサ) 

マーサ・ナカムラ

1990年埼玉県生まれ。詩人。第五十四回現代詩手帖賞受賞。『狸の匣』(思潮社)で第二十三回中原中也賞、『雨をよぶ灯台』(思潮社)で第二十八回萩原朔太郎賞受賞。

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