第24回 長い夏休み(下)
沖縄県の国頭郡大宜味村に「みちくさ牧場」という牧場がある。
みちくさ牧場はインスタグラムのアカウントをもっていて、そこの説明を見ると「馬を中心とした動物たちと、こども達が 日々の暮らしの中で学習しあい、生きる力を育む牧場です」とある。また、ホームページには「発達支援サービス(児童発達支援・放課後等デイサービス)を実施しています」とも書かれていて、社会、あるいは学校とのかかわりが難しい子どもが通える場所であることがわかる。
ぼくがこの牧場の名前を知ったのは、はなうた舎が二〇二五年に刊行した『馬旅日記』がきっかけだ。
著者の西郡理来(にしごおり・りく)さんは七歳のころから「みちくさ牧場」に九年間通い、義務教育を終える十五歳のときに、仲間たちとともに馬で沖縄本島をまわる旅に出る。
馬の背に乗ってアスファルトの道をすすみ、「見て! うまだようま!」と子どもたちから注目をあつめ、草場で給餌をし、テントのなかで眠る。
それは旅というより「冒険」で、読んでいるとハラハラドキドキするが、一方で、いまの時代にこんな「冒険」ができるんだ、と胸がすく思いもする。
その西郡さんは本のなかで「みちくさ牧場」での日々のことをこう書いている。
少し長いが引用をしてみる。
「牧場での1日は、馬房掃除から始まり、次に馬の手入れ、馬装、そして馬に乗り午前中を終える。お昼になったら馬の昼飼い(朝昼晩、馬に草をあげることを、朝飼い、昼飼い、夕飼いという)をし、僕たち人間は各自持って来たお弁当を食べて、午後は15時まで自由に過ごす。(略)
そんな牧場には授業というものはなく、簡潔に言えば、「普通の馬の牧場にただ通うだけ」なのだが、僕に言わせてみれば、歴とした学べる場であることは間違いない。
だが、何か特定のことを学ぶために通っているわけでもない。何せ「先生は馬」という牧場主の異言のもとに活動しており、通っている年齢層も幅広く、3歳くらいの子から現在の僕のように18歳成人もちらほらと現れるような場所でもある」
ぼくが「みちくさ牧場」に行ってみたくなったのは単純に『馬旅日記』がおもしろかったからだが、なかでも、この「先生は馬」という言葉に強く惹かれた。
それは、いま小学校に馴染めずにいる娘と、その娘の将来をああでもないこうでもない、と日々憂うぼくへのヒントになるような気がしたのだ。
牧場への訪問は、はなうた舎の代表勅使川原寛子さんがあいだに入ってくれた。おかげで、すんなりと訪問することができた。
牧場ではTさんという若い女性がぼくたちを待っていた。ぼくと妻と息子と娘はTさんのあとについて、たくさんの馬を見て、山羊を見て、その動物たちを飼育する子どもたちの姿を見た。
Tさんが、「やってみる?」といって、娘と息子に「昼飼い」をさせてくれた。
ふたりは大きな農用フォークをつかって馬に草をあげ、そのあとは厩舎の掃除もすこしだけ手伝った。
結局、ぼくたちは一時間弱「みちくさ牧場」にいたのだが、娘はそのあいだ一言もしゃべらなかった。
が、小学校以外にもこういう場所があると知れたことは娘にとっては忘れがたいことだったらしく、東京に帰ってしばらくしてから、「ぼくも(娘は自分のことをぼくというのだ)あの牧場に通ってみたいな」といった。
息子も、「あそこ、学校よりたのしそうだよね」といった。
ぼくにとっても「みちくさ牧場」は忘れられない場所になった。
海沿いをとおって、山道を抜けて、突然牧場があらわれる、そのロケーションはすばらしかったし、目の前で見た馬の美しさも忘れがたかった。
けれどそれよりも、そこにいる子どもたちの生き生きとした姿がよかった。
馬の世話をし、馬からなにかを教わっている子どもたちの姿は、ぼくが東京で見ている子どもたちの姿よりも、不思議と人間らしかった。
それからは何かいやなことがあるたびに、ぼくたちには「みちくさ牧場」がある、と思うようになった。
ぼくたち家族は沖縄の北部で暮らし、息子と娘は毎日、馬からなにかを教わり、ぼくは「A&W」で本を読むのだ。
そのように想像できることは、ぼくにとって何物にも変えられない癒しになった。
(続く)

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、出版社「夏葉社」起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。
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