第23回 長い夏休み(上)
いまから三年前の二〇二三年の夏から、ぼくは長い夏季休暇をとるようになった。
仕事が落ち着いたからではないし、経営的に安定してきたからでもない。子どもたちにたのしい思い出をプレゼントしてみたかったからだ。
「パパ、今年の夏は三週間、仕事をやすむよ」
小学校三年生の息子と、一年生の娘に初めてそう打ち明けたとき、ふたりはよくわからない、という顔をして、ほんとう? といった。
「ほんとう。それでね、ぼくたちは沖縄の一軒家を借りて、そこで暮らすの」
ふたりはそれでもピンと来ていないようで、へええ、とか、たのしそう、とか、とりあえず会話になるような言葉を返して、それから自分たちの遊びにもどった。
まだコロナが流行っていたころで、街ですれ違うひとたちの多くは顔をマスクで覆っていた。
子どもたちも毎日、マスクをつけて登校していた。
学校でのたのしい出来事はたぶん、コロナが発生する前よりもすくなかったはずだ。
旅行するひとも以前よりすくなく、沖縄の宿泊費は二〇二六年の現在と比べると、三分の一か四分の一くらいだった。
ぼくたちは県の中央部に位置する恩納村の一軒家に三週間滞在し、のんびり暮らした。最寄りの商店は歩いて家から二十分ほどの距離にあり、そこで毎日弁当や牛乳を買った。
その商店からさらに十分ほど歩くと真っ青な海で、三日に一度はそこへ泳ぎに行き、帰りにサーターアンダギー屋さんで出来たてのサーターアンダギーを買い、それを村役場の庇の下で、おいしい、おいしい、といって食べた。
ぼくは自分の人生でいちばんたのしい日々が四十代後半になってやってくるとは思っていなかったので、毎日興奮していた。
子どもたちは真っ黒に日焼けし、毎日ニコニコしていた。
麦わら帽子をかぶった妻もニコニコしていた。
二〇二四年は、十日間は父が暮らす北海道へ行って、ふたたび一軒家を借りて暮らし、ぼくの母の郷里である高知県の室戸でさらに十日間をすごした。
二〇二五年も同じように、北海道と室戸で三週間のやすみをすごした。
そのふたつの土地のすばらしさについても書きたいが、そうすると、今回書きたいテーマとはどんどん離れていってしまうので、今回は触れない。
今年は三年ぶりに沖縄で過ごした。
宿泊したのは、名護市の、国道と海に挟まれた場所に建つ一軒家だ。
コロナが沈静化したからというよりも、驚くほどの円安のために、宿泊費は高く、滞在したのは例年の半分十日間だった。
しかも一軒家丸ごとではなく、かつて料理店だった建物を三区画に割った分の一区画だった。
海は驚くほどに近く、沖縄のファストフードチェーン「A&W」が徒歩二分ほどの場所にあった。
ぼくは毎朝、子どもたちがまだ眠っている時間に、石井桃子の『幻の朱い実』をもって、「A&W」に行き、そこでホットコーヒーを飲みながら、作家の自伝的小説をちまちま読んだ。
同じ時間に、やはり本をもって「A&W」にやってくるおばあさんがいて、彼女も静かに単行本を読んでいた。
ぼくは宗教も、死後の世界もまったく信じていないが、もし天国のようなものがあり、ぼくが永遠にそこで暮らせるのだとしたら、そこには「A&W」があってほしいし、おばあさんもそこにいて、ぼくといっしょに本を読んでいてほしい、と思った。
それくらいに、朝の「A&W」での読書はぼくに幸せを与えてくれた。
子どもたちも幸せそうだった。
息子は学校の勉強についていくのに四苦八苦していて、娘は相変わらず、学校に行くことはもちろん、ちょっとした宿題にも声をあげて泣き出してしまうくらい、学校生活に適応することに苦しんでいた。
しかしここでは、ふたりとも心の底からというくらいにリラックスした表情で、寝転がってテレビゲームをしたり、タブレットを見たりしていた。
夜になると、近所のスーパーや、地元のお弁当屋さんを四人で訪ねた。
娘は猫が好きなので、歩きながらいつも野良猫を探した。ぼくも娘のよろこぶ顔がみたいので、目を凝らして暗闇のなかに猫の姿を探した。
毎日蒸し暑かったが、風が吹くと、とても涼しかった。
(続く)

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、出版社「夏葉社」起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。
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