第66回 地図を作って山を知る
ジョキジョキ、ジョキジョキ……。
晩夏のとある日、私はKちゃんと、国土地理院の地図を印刷しては繋ぎ合わせて、山熊田の山林一帯の地図を作っていた。羽越しな布の原料であるシナノキやオオバボダイジュの分布マップを作るためだ。頭の中にある景色を、わざわざマップ化するのには理由があった。「継続的な採集のためにもシナノキがどこにあるのか、どのような状態(幹の太さなど)なのかを整理しておくと良いのではないか」という、中野陽介博士の提案に乗ったからだ。
そもそも中野さんとの出会いは、一年半前に遡る。福島県只見町ブナセンターの附属施設「ただみ・ブナと川のミュージアム」で、「マタギの里でしな布を織る」と銘打たれた講演をさせていただいたのだが、そこの主任指導員をされていたのが中野さんだった。
新潟県から磐越自動車道で山越えし会津坂下ICを降りて、V字ターンして新潟へ引き返すかのように走る国道252号を行く。雄大な山水風景と、文明を感じる巨大建造物とのギャップにドキッとするのだが、各町ごとに水力発電のダムがあり、ドキッを繰り返す道だ。それだけで十分非日常なのだが、大きな川にかかる生活道路のような橋を意味もなく渡ってみたり、湧く炭酸泉を飲んでみたり、地味な寄り道がおもしろい。
そうして山熊田から五時間かけて只見町にたどり着いた。そのはずなのに、なんだか変だ。暮らしの様子というか文化がさほど変わらない。五時間も走ったのに、遠くに来た気がしない。
しな布こそ織っていないけれど、シナノキ樹皮を使っていた歴史があり、他の樹皮や蔓も工芸素材にする。編み組細工は三島町が有名でご存知の方も多いことと思うけれど、そこよりもさらに道の奥の只見もまた盛んで、歴史も古い。山と雪と共に生きるあり方に親近感が湧く。
講演前に拝見したミュージアムには、馴染み深く、かつ興味深く、素晴らしい展示があった。圧巻の大小様々な野生鳥獣の剝製たちは、山熊田にもいる彼らたちだ。川を使って木材を運搬する、熊撃ちをする、雪深さ、炭焼き、あがりこ(高い位置で木を伐採し萌芽させる)など、何かと共通点があった。とはいえ、町の規模も、大河も、ダムも、囲む山々の標高や険しさも、人々の交流の多さも、観光施設も、山熊田に無いものや、まったく違う点も当然たくさんあるのだけれど、根本が似ている。いや、似ていた、と言うべきなのかもしれないが。
というのも、地域の発展に伴ってライフスタイルは変化していくものだが、それが加速した地の一つが只見なのかもしれない、と感じたからだ。シナノキ関連だけでも、樹皮を採取できる唯一のお爺さんが引退したことで文化の断絶が起き、今は仕込み後の樹皮や縄などの製作物が残るのみ。マタタビなどの編み組細工は保存会の有志で活動されている。大学病院の先生の提案からシャクヤク栽培をしていたり、只見町をフィールドワークの場にしての自然や歴史民俗など学術調査助成金事業を続けていたり、といった盛んな活動や交流は、その土地柄、人柄の賜物だろう。
どちらが良い悪いという話ではない。かつて山熊田にもダム建設の話があったから、もし先人がそちらを選択していたら、とパラレルワールドを見た気持ちになった。そのときダムを選択していたら、環境や条件が違う山熊田の場合、ごっそり移住し村は消滅していたけれど。
山熊田から見れば「ちょっと未来」の只見の皆さんに、彼らからしたら「ちょっと昔」の山熊田の暮らしぶりを聞いてもらった具合だ。講演ではなく座談会みたいですごく楽しかった。スライド写真を見て客席の方が独り言レベルではない反応をする。それへ私も反応する。別の人が「只見にも以前……」と話が膨らみ、私は逆に「へー! そうなんですね!」と教えられる。それが連続する。お互いを深く知った二時間だった。中野さんも寡黙ながら、興味を持ってくれた様子だった。
その数ヵ月後、中野さんは山熊田に来た。ちょうどシナノキ樹皮の仕込み期で、作業を手伝ってもらったり、林道を走って植生を眺めて様々な樹の話、山熊田の伝統文化や山と生きる現場を見て回った。さらに今年はシナノキの皮剝ぎのタイミングで来訪し、またもや力仕事を手伝ってくれながら、シナノキの萌芽の仕組みや性質を実物で教えてくれた。そして、シナノキマップ作成の提案をいただいて、「なに、それ、おもしろい!」と私とKちゃんは食いついた。すでに今回行った山の位置情報など座標標高をGPSに落とし込み済みで、私たちは大興奮。
その後、山に入ってフィールドワークをしたい、と思ったのだが真夏。マタギ衆は林業以外で滅多に山には入らない時期だ。草や藪が一年で最も茂っているからだ。秋も何かと忙しい。早春の熊巻き時期は落葉しているし、春の山菜採りに入るついでがベストだ、と待つことにした。そんな折、中野さんの転職が決まったそうで、その前にと、夏の盛りに来てくれた。
ウェブ上でのマップ制作が目的で、今回はこのあたりの山を熟知している夫と叔父に聞き取りだ。パソコン画面より情報共有もしやすいだろうと、ジョキジョキと紙の地図を作ったのだった。そこへ、私たちが採取可能な個人所有の山や共有林の、今までのシナノキを採った場所を、沢や峰を頼りに手書きでマッピングする。細い沢とその名称が記入されている市町村合併前の旧山北町の山岳地図で照合し、国土地理院の拡大マップに点を打っていく。私も今まで記録していた採取年や、等高線から伺える未記入の沢の有無を聞いて書き込む。かなりマニアックな作業により、町の山岳地図に誤りを発見しては赤ペン修正しながら、記憶の中のありったけの情報が紙面に落とし込めてきた。

すると中野さんが「地形的にも、この斜面に湿気が溜まりやすいのかもしれない」と指をさす。そこは山熊田の皆が昔から「シナンソー」と呼んできた一帯だった。「シナノキがある沢」という意味だ。南西向きの斜面は日当たりもいい。木の成長が加速する夏に、湿った南西の風が吹いたらこの山の斜面に当たってたまるのか、と等高線の密度を見ながら腑に落ちる。鳥の目線で山の景色が眼に浮かぶ。あの瑞々しいシナノキは水気と日当たりが好きなのだなと、経験と感覚で知っていたつもりだったが、群生しやすい、シナノキが気にいるような条件の場所が地図に現れていた。なんだか猛烈に感激だ。
その後、しな布の制作現場を見てもらった。「やっと木が布になる一連が見られた」と喜んでくれた。あれ、そういえばそうだったか。伐採や仕込みなど大変な作業ばかりだった。失礼しました。

まだまだ世界は知らないことだらけで広い。今暮らしているこの村界隈だけでも、それを強く実感することができるなんて。私はシナノキやオオバボダイジュを判別するのに葉を手がかりにするしかないのだけれど、中野さんは幹を見るだけでわかる。他の樹種と酷似する幹での識別は、私には難しいのだ。全然わからないのが悔しい。なんでだ。知りたい。地図の精度も徐々に上げたい。
知れば知るほど、世界はどんどんでっかくなる。眼差しの尺度をミクロ、マクロに変えるだけで、全く別の世界が開けていく。知識により解像度が上がるおもしろさを中野さんが毎度教えてくれる。いつもより格段に、春を待ち遠しくなっていることが嬉しいのだ。


おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。


