【連載】私の○○な日々◎第9回/水田 拓さん 私の〝老猫介護〟な日々

 奄美大島に住んでいたころに、森の中に捨てられていたネコ2匹を拾い、飼い始めた。真っ黒の雌と真っ白の雄で、同じ場所で一日違いで拾われたため、おそらくきょうだいなのだろう。7年前に千葉県に引っ越してからも2匹仲良く暮らしていたが、残念ながら真っ黒のほうは2年前に亡くなった。真っ白のほうは健在で、今年20歳になる。

 調べたところ、ネコは2年で人間の24歳くらいの年齢になって、その後1年ごとに人間の4歳分ずつ年を重ねていくという。この計算に従えば、ネコの20歳は人間の96歳に相当することになり、これはもうかなりの「老猫」といってよいだろう。

 健在と書いたものの、なにせ老猫だ、年相応に衰えてはいる。甲状腺に問題があって朝夕薬を飲んでいるし、足元はおぼつかなくなり、目もよく見えていないようだ。最近はトイレにたどり着くまでにお漏らしをしてしまうようになり、ついにネコ用のおむつをはかされるようになった。うれしくはないだろうが抵抗する気力もないらしく、おとなしくおむつを受け入れて生活を送っている。

 ただし食欲だけは旺盛で、あろうことか、毎日夜中2時ごろに枕元で大声を出して餌をねだってくる。無視しても簡単には引き下がらず、悪魔のような声で鳴き続けて、しまいには私の頭を手でがりがりし始める始末だ。私はしかたなく起き出して朦朧としたまま餌皿に餌を入れ、すぐ布団に倒れこむ。ネコはそれを食べ、満足したら布団に戻ってきて眠るのだが、5時ごろにまた悪魔の声で大騒ぎし私を起こしにかかる。おかげで私はこのところ寝不足気味だ。

20歳になった我が家のネコ。チェック柄のおむつをはき、日がな一日眠っているが、食欲だけは旺盛

 かように老猫介護の日々はたいへんである。薬代も目を背けたくなるほど高額だ。それでもネコとの生活は、これといった趣味のない私の唯一の道楽ということにして自分自身を納得させている。実際、この20年を振り返ると、結婚、子供の誕生、転職に伴う引っ越しなど、ライフステージの変化のすべてにネコたちが寄り添っていて、そのたびに振り回されるネコたちはたいへんだったかもしれないが、私にとっては騒々しくも幸せな日々だった。20年前のあのとき、2匹の人生(猫生?)を引き受けると決めなかったら、私はどんな生活を送っていただろうと思う。死別の悲しみや介護の苦労は当然なかったわけが、今よりもずいぶん彩りの少ない生活になっていたのではないか。

 一方、ネコたちが幸せなのかどうかは私にはわからない。というより、ネコの幸不幸を人間の思い込みで勝手に判断するようなことはしたくない。しかし、幸不幸ではなくそれぞれの猫生における「快不快の多寡」であれば、人間にもある程度は判断できるだろう。それを基準にすれば、快が多く不快の少ない猫生が相対的に「よき猫生」であるとはいえるかもしれない。我が家のネコはといえば、薬を飲まされたり、おむつをはかされたり、餌をねだってもなかなか起きてくれなかったりと不満に思うことは多々あるかもしれないが、全般的には快が多く不快の少ない、まずまずの猫生を送ってきたと思う。

奄美大島の森で拾われた我が家のネコたち。2006年11月26日撮影

 さて、こんなことを書くのは、なにも我が家のネコ自慢をしたいからではない。ネコとの幸せな人生について語りたいわけでもない。20年前に拾わなければ、我が家のネコたちもおそらくそうなっていたであろう「ノネコ」や「ノラネコ」について、考えたいからだ。

 ノネコとは、もっぱら山野に住み自活しているネコのことである。奄美大島ではこのノネコが絶滅危惧種を含む野生動物を捕食し、生物多様性を脅かす重大な問題となっている。ノネコにしても、風雨を避ける場所の少ない森の中で、毒ヘビのハブに咬まれる危険にさらされながら、食べ物も容易に得られない生活を送るのはたいへんなことだろう。当然長生きなんて望めない。家の中の飼いネコと比べると、ノネコの猫生はかなり厳しいものであるに違いない。

 ノラネコだって同様だ。ノラネコとは人間の居住地域に住み、しかし人間に飼われず人間由来の食べ物に依存して生きているネコのことである。その姿を見ると「自由気ままで幸せそう」と感じるかもしれないが、屋外にいるかぎり、酷暑や酷寒、大雨、暴風など、過酷な環境からどうしたって逃れることはできない。交通事故や感染症のリスクも飼いネコよりずっと高いはずだ。不快な思いをたくさんしていそうなノラネコの猫生を想像すると、気軽に「幸せそう」なんていうのは傲慢ではないかとすら思う。

 ノネコもノラネコも、人間がネコをペットとして管理することを放棄した結果としてある存在だ。それにより被害を受けるのは捕食される野生動物であり、つらい生活を送らざるを得ないネコたち自身である。そんな存在があっていいものだろうか。老猫を介護する日々を送りつつ、彼がそうなる可能性もあったノネコやノラネコについて思いを巡らせると、それらの存在が最終的にはなくなる世の中にしなければならないと思うとともに、あのときネコたちを飼うと決めて本当によかった、と心から思う。しかし当の本人(本猫?)はそんな飼い主の思いに気づくはずもなく、食べては眠り、眠っては食べるを繰り返す毎日である。さほど長くは残されていないであろうその猫生が、できるかぎり快く穏やかなものであってほしい。飼い主としてはそう願うばかりだ。

新緑の奄美大島の森。ここには希少な動物がたくさん住んでいるが、それらを捕食するノネコの存在が大きな問題になっている
水田 拓

みずた たく 1970年京都府生まれ。山階鳥類研究所 自然誌・保全研究ディレクター。専門は鳥類学、行動生態学、保全生物学。著書に『「幻の鳥」オオトラツグミはキョローンと鳴く』、編著に『奄美群島の自然史学 亜熱帯島嶼の生物多様性』(ともに東海大学出版部)などがある。

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