【連載】大草原のつむじ風◎大西夏奈子 ——第83回/遊牧民少年ソソルフー君が「城勝雄」になった日

第83回 遊牧民少年ソソルフー君が「城勝雄」になった日

 忘れられないワンシーンがある。2017年1月末の寒い夜だった。 
 両国駅から近いホテルのロビーで、揃いのユニフォームを着たモンゴルの子どもたちが10人ほど、わいわいじゃれあっていた。 
 早朝から両国国技館で開催された「第7回白鵬杯 国際親善交流少年相撲大会」で試合を終えたばかりの、モンゴル代表チームのメンバーだ。プレッシャーから解放されたのか、みんなのびのびしている。 
 母国の親からスマホにかかってきたビデオコールに夢中で、「明日帰るよ! お土産は何がいい?」と早口で話す子も。 
 高揚する子どもたちのなかで、笑っていない子がひとりいた。 
 小学6年生のアルタンゲレル・ソソルフー君。バヤンホンゴル県の大草原で生きる、華奢で色白の遊牧民少年だ。 
 実はソソルフー君は、みんなと一緒にモンゴルへは帰れない。迎えに来た先生と鳥取県へ向かい、春から鳥取市立西中学校へ相撲留学するという。スカウトされたのだ。 
 ちらっと見ると、彼の目がうっすら赤かった。 

 ソソルフー君が相撲で最初に頭角をあらわしたのは、それより1年前の2016年冬。「第6回白鵬杯」の小学5年生の部でいきなり優勝し、会場が沸いた。 
 間近で見守った大会主催者の横綱白鵬関が、顔を赤くして喜んでいたのも印象的だった。横綱になるよりはるか昔、来日したての彼も細かったそうなので、自身と重なったのかもしれない。 

 同年夏の「第32回わんぱく相撲全国大会」でも、ソソルフー君は代表選手として来日し、小学6年生の部で「関脇」になった。 
 ひょんな縁から、私はこの大会でモンゴルチームの通訳を担当することになり、3人の小学生選手たちに3日間同行した。 
 一緒に過ごすなかで、私はソソルフー君の独特の存在感に惹かれた。 
 足から大地に根っこが生えているかのようなたたずまい。 なんとも言えないおおらかさ。 地平線を眺めながら、馬上で育った遊牧民ならではの空気感だろうか? 
「将来は大相撲の力士になりたい。遊牧民のお母さんがいつも働いているから、楽をさせてあげたい」と、彼は試合後に話した。 

2016年夏「第32回わんぱく相撲全国大会」で「関脇」になったソソルフー君(右端) 

 高校から相撲留学するモンゴル人は過去に何人もいたが、中学校から日本に来るケースは当時まだ珍しかった。 
 厳しい規律だらけの相撲界。大草原で生きてきた13歳の少年が突然飛びこんで、大丈夫なのだろうか。 
 彼が選んだ道なのに、私の心が落ち着かなかった。 
 ひとたび日本へ留学したら、もう自由には帰国できない。家族や友だちと何年も会えない。愛馬がそばにいない。牛や羊の鳴き声で目覚める朝もない。日本語を覚えるまでは授業にもついていけない。 

 ようすが気になり、この年の秋、私は鳥取まで足を運んだ。指導者の先生から稽古の見学許可をいただいたのだ。 
 ちょうど鳥取市立西中学校と鳥取城北高校相撲部による合同稽古の日で、時間をかけて基礎練習をする部員たちはすでに汗だくだった。 
 見つめる先生とコーチから激励の声が飛ぶ。 
 壁には数々の表彰状やトロフィーが飾られ、高校時代の照ノ富士関や逸ノ城関の写真もあった。 

 久しぶりに見たソソルフー君は丸刈り頭で、カタコトの日本語を話し、野菜と米の食事に苦労していた。相撲部員たちと打ち解けている姿を見たときは、ほっとした。 
 彼ははじめ、試合に出てもなかなか勝てなかった。身体が細く、背も高くはない。本人にとって辛い日々だったと思う。 
 それでも稽古を重ね、身体を大きくしていった。 
 鳥取城北高校に入学してからは、全国大会で活躍してスポーツ紙に載ったことも。 
 流暢な日本語を話すようになり、切磋琢磨する仲間ができた。 
 海釣りという趣味もできた。そうだ、陸の地平線はなくても、日本海に出ればいつでも水平線が見られるのだ。 

 ソソルフー君の進路が私はずっと気になっていた。 
 ところが高校卒業後、彼はプロ入りしなかった。鳥取にある高齢者施設で介護の仕事をしながら、母校の相撲部の稽古に参加する日々を過ごしていたらしい。 

 しかし今年ついに、七月場所の前相撲でデビューを果たした。 
 四股名は「城勝雄」。高校名から「城」、湊川親方(元貴景勝関)の四股名から「勝」、そして彼自身が好きだという「雄」の字。 

 8月上旬、「第37回全国都道府県中学生相撲選手権大会」の取材のため、私が両国国技館の廊下を歩いていると向こうから知った顔が……。 
 浴衣姿の城勝雄だった。 
 10年前にここで出会ったときと見た目は大きく変わったけれど、中に通る筋は変わらない。 

2026年夏、両国国技館で遭遇した城勝雄

 九月場所の番付で、序ノ口に城勝雄の名がはじめて載った。 
 昭和の渋い歌が好きな彼のお気に入りは、河島英五の「酒と泪と男と女」。いつか関取になって勝ち越した夜、千秋楽パーティーでこの歌を歌う日が来るかもしれない。 
 10年越しのスタートラインだ。 

大西夏奈子

おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動も行う。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽ライブや日本モンゴル映画祭など、イベント企画も行う。 

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