【連載】世界は音楽でできている◎東海大学教養学部芸術学科――第10回 檜垣智也/不協和音は「悪い音」なのか?

第10回 不協和音は「悪い音」なのか? ——檜垣智也

「不協和音」――。なんとも印象の悪い言葉です。日常でも、「二人のあいだに不協和音が生じた」のように、何かがうまくいかないときに使われます。では、音楽の世界でいう不協和音とは、どのようなものなのでしょうか。イメージ通りに「悪い音」のことなのでしょうか。 

 この原稿を執筆する前に、部屋でピアノを弾いていた息子に「不協和音って、どんな和音だと思う?」と聞いてみました。返ってきたのは、おしゃれなジャズのコードではなく、手のひらでピアノの鍵盤を一度にたたく音でした。 

 隣り合う音を密集させる「クラスター」です。どうやら、不協和音を耳に痛い、心地の悪い響きだと思っているようです。 

 今からおよそ300年前、18世紀のヨーロッパでは、自然や社会の仕組みを理性によって説明しようとする「啓蒙」の考えが広がっていました。フランスの作曲家・音楽理論家ジャン=フィリップ・ラモーが、和音の仕組みを理論として整理したのも、そんな時代です。 

 このラモーの理論を紹介した18世紀の哲学者、ジャン・ル・ロン・ダランベールは、次のように書いています。「複数の音で構成される和音(accord)は、それらの音の結び付きが耳に快い場合に、協和音(accord consonant)と呼ばれる」「ある和音を構成する諸音の結びつきが耳に不快である場合、その和音は不協和音(accord dissonant)と呼ばれる」(出典:ジャン・ル・ロン・ダランベール著、片山千佳子・安川智子・関本菜穂子訳『ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎』春秋社、2012年)。 

 息子の答えは、意外にもこの300年前の定義を思わせるものでした。ただし、ここでいう「快い」「不快」は、単純な好き嫌いだけを意味しているわけではありません。 

 ラモーは、協和音がなぜ耳に安定して聞こえるのかを、音どうしに見いだされる自然な関係から理論的に説明しようとしました。つまり、協和音の快さには、個人の気分だけではない根拠があると考えたのです。 

 では、不協和音はどうでしょう。ラモーにとって不協和音は、ただ耳に不快だから排除すべき響きではありませんでした。むしろ、その緊張によって次に来る協和音を求めさせ、音楽を前へ動かすために必要な響きでした。 

 不協和音が生まれると、響きは次の安定へ向かい始めます。ラモーは、こうした緊張と解決のなかに、和声が動いていく仕組みを見いだしました。そう考えると、不協和音は単なる「不快な音」ではありません。「まだ終われない響き」と呼ぶほうが、その性格をよく表しているのかもしれません。 

まだ終われない響き

 ラモーの分類では、長三和音(メジャーコード)と短三和音(マイナーコード)が協和音とされ、そこに別の音が加わった和音などは不協和音として扱われました。(図1)その代表が「属七の和音(ドミナント・セブンス)」です。 

図1:長三和音と短三和音

 不協和音と協和音の関係は、引っぱられたゴムひもと、力を抜いたゴムひもに少し似ています。ゴムひもを引っぱると、元に戻ろうとする力が生まれます。不協和音にもそれと似た緊張があり、より安定した響きへ進もうとします。反対に、協和音は、力を抜いたゴムひものように、そこに落ち着いていられる響きです。 
 
 ハ長調の場合、属七の和音は、ソ・シ・レの長三和音にファを加えた、ソ・シ・レ・ファです。このうちシとファは、ピアノでは6つの半音、つまり3つの全音ぶん離れています。この音程を「トライトーン」と呼びます。(図2)この和音を鳴らすと、ド・ミ・ソへ進んでほしくなります。 

図2:3つの全音(6つの半音)で構成されるトライトーン

 トライトーンをつくるシとファが、それぞれすぐ隣のドとミへ半音ずつ動くと、引っぱられていたゴムひもが戻るように、張りつめた響きがほどけて落ち着くからです。 

 このように、不安定な響きが安定した響きへ進むことを、音楽では「解決」といいます。(図3)実際に属七の和音だけをピアノで鳴らしてみても、それほど耳障りには感じないかもしれません。それでも、ド・ミ・ソという帰る場所を求めているという意味では、緊張をもった響きなのです。 

図3:属七の和音とその解決

 バロックから古典派、ロマン派へと続く調性音楽では、不協和音は、こうした緊張と解決によって音楽に推進力を与え、さまざまな感情を表すために用いられてきました。 

 なかでも緊張の強い響きの一つが、「減七の和音(ディミニッシュ・セブンス)」です。4つの音が短3度ずつ等間隔に重なり、その内部には2組のトライトーンが含まれています。(図4) 

図4:減七の和音

 そのため、響きだけではどの音が土台なのかがわかりにくく、属七の和音よりも多くの方向へ進むことができます。その曖昧で不安定な響きには、苦しみや恐れ、葛藤や憧れなど、さまざまな感情が託されるようになりました。 

 19世紀のロマン主義では、芸術家たちは個人の感情や欲望、孤独を深く見つめるようになります。そのなかで、不協和音の解決をはるか遠くへ引き延ばしたのが、ドイツの作曲家ワーグナーです。《トリスタンとイゾルデ》前奏曲の冒頭には、有名な「トリスタン和音」が現れます。(図5) 

図5:トリスタン和音

 これは減七の和音そのものではなく、現在でもさまざまな分析がなされている、曖昧な不協和音です。すぐには安定した響きへ落ち着かず、別の不協和音へ進むことで、緊張をさらに引き延ばしていきます。 

 彼はこのような進行を繰り返し、手に入らない愛への憧れを、解決を求めながらも、いつまでもたどり着けない響きとして描きました。トリスタン和音は、協和音を求めながら、その到着をどこまでも先送りする不協和音の象徴となったのです。 

響きそのものを聴く

 ワーグナーの不協和音は、帰る場所を求めながら宙吊りになっていました。ところが、20世紀初め、フランスのドビュッシーは、その宙吊りの状態そのものに美しさを見いだします。 

 たとえば1909年に作曲されたピアノ曲《帆》では、一音ずつが全音で隔てられた「全音音階」から生まれる増三和音などが、同じ形のまま平行して動きます。従来の調性音楽では強く解決を求める和音も、ここでは特定の行き先を失い、曖昧で浮遊する響きそのものとして扱われます。(図6) 

図6:ドビュッシー《帆》(15、16小節目)

 オーストリアの作曲家シェーンベルクは、さらに調性という「帰る場所」そのものから離れていきます。1909年の《3つのピアノ曲》作品11では、協和音へ解決することを前提としない不協和音が次々と現れます。とくに第1曲を聴くと、どの響きも何かの途中というより、それ自体でそこに存在しているように聞こえるでしょう。彼は、後にこうした考えを「不協和音の解放」と呼びました。(図7) 

図7:シェーンベルク《3つのピアノ曲》作品11第1曲の冒頭

 ここで不協和音は、協和音へ解決することによって正当化される響きではなく、それ自体で理解されうる響きになったのです。彼の強烈な和音は、最初は耳になじみにくく感じるかもしれません。しかし、ぼくには、その複雑な響きの奥に、たまらなく美しい世界が感じられます。 

和音から音の塊へ 

 ここまでは主に、不協和音とその行き先について見てきました。けれど20世紀になると、作曲家たちは、一つ一つの和音では捉えきれない響きにも耳を澄ますようになります。多数の音が密集することで生まれる、響きの質感そのものが聴かれるようになったのです。 

 その先駆者の1人が、アメリカの作曲家ヘンリー・カウエルです。1910年代に書かれたピアノ曲《Dynamic Motion》では、手のひらや拳、さらには前腕まで使って、隣り合う多数の鍵盤を一度に鳴らす「トーン・クラスター」が大胆に用いられています。(図8) 

図8:カウエルのピアノ曲《Dynamic Motion》に出てくるトーン・クラスター

 これは、多くの音を密集させ、1つのまとまりとして響かせる奏法です。もはや一つ一つの音を聴き分けるというより、音の集まり全体を1つの響きとして聴くことになります。この方法はジャズの即興でも使われ、日本ではピアニスト山下洋輔の「肘打ち」でもよく知られています。 

 ポーランドの作曲家ペンデレツキは、1960年、多数の弦楽器を用い、ピアノの半音よりも細かな四分音単位で音を密集させ、さらに濃密なトーン・クラスターを響かせる作品を書きました。(図9) 

図9:ペンデレツキ《広島の犠牲者に捧げる哀歌》に出てくるトーン・クラスター

 ペンデレツキ自身の後年の説明によれば、この作品には当初、演奏時間を示す《8分37秒》という題名がつけられていました。しかし、実際の演奏を聴いて作品が帯びた強烈な感情に気づき、広島の原爆犠牲者に捧げることを決め、現在の題名に改めたといいます。 

 今から30年ほど前、学生だったぼくはこの作品を初めて聴き、その鋭く暴力的な響きに圧倒されました。《広島の犠牲者に捧げる哀歌》という題名も含めて、否定しがたい、あまりに強い気分がそこにはありました。 

 そんなときに出会ったのが、吉松隆が1980年に作曲した《朱鷺によせる哀歌》です。同じ「哀歌」で、ここでもクラスターが重要な役割を果たしています。しかし、そこに聞こえたものはまったく違いました。吉松自身が「モード・クラスター」と呼ぶ、旋法のなかの音を重ねたクラスターです。(図10) 

図10:吉松隆《朱鷺によせる哀歌》冒頭の響きを、1オクターブ内にまとめたモード・クラスター

 柔らかく透明で、どこか宙に浮いているような音楽でした。しかし、その澄んだ響きの奥には、静かな哀しみも聞こえました。吉松は、絶滅の危機にあった朱鷺への思いをこの作品に託しています。 

 けれど当時のぼくはそこに、バブルが崩壊したあとの輪郭の定まらない時代と、何者なのかまだわからない自分自身を重ねました。音は澄んでいるのに、その向こうには、どこかぬめっとした現実が透けて見えるような気がしたのです。 

 音の密集そのものに、あらかじめ決まった意味があるわけではありません。響きの意味は、それを取り巻く音楽や時代、そして聴く人の耳によって変わるのです。

言葉にならない感情のために

 こうした複雑な響きは、クラシックや現代音楽だけのものではありません。いまのポップスやジャズでも、7度や9度、さまざまな付加音を含むコードが当たり前のように使われています。 

 ラモーの分類なら不協和音になる響きも、私たちの耳には、耳障りというより、「おしゃれ」「切ない」「浮遊感がある」と感じられることが多いでしょう。かつては「次へ進むための緊張」として扱われることの多かった不協和音を、私たちはいま、その響き自体の美しさとして味わっているのです。 

 不協和音が響かせるのは、「うれしい」「悲しい」「不安」と、1つの言葉で割り切れる感情だけではありません。私たちの心では、いくつもの思いが、ときには矛盾したまま重なり合っています。むしろ、その複雑さにこそ、人間らしさがあるのだと思います。 

 音楽では、そうした感情を無理に整理したり、きれいな結論へ導いたりする必要はありません。不協和音は、すぐには答えの出ない思いを、答えの出ないまま響かせるのです。 

 作曲を始めたばかりの学生は、少し複雑で、おしゃれなコードを使いたがります。1つ新しい不協和音を覚えるとうれしくて、そればかり使ってしまいます。もちろん、ぼくにも覚えがあります。 

 ラモーが協和音とした長三和音や短三和音も、1つの音を変えたり、たった1つ音を加えたりするだけで、それまで知らなかった感情が、そこに響き始めます。その発見がうれしいのです。 

 そして、その感覚は今のぼくの作曲にも残っています。ぼくの作曲も、結局は「心地よい不協和音」を探すことから始まります。ピアノで音を重ね、心に引っかかった響きを五線譜に書き留めます。シンセサイザーで鍵盤のあいだにある微分音を重ねたり、無数の周波数を含むノイズを重ね合わせて録音したりすることもあります。 

 そこに共通しているのは、複雑な音の重なりのなかに、自分なりの調和を探していることです。「心地よい不協和音」は、矛盾した言葉に聞こえます。しかし、ぼくが「これだ」と選んだ響きは、どれほど複雑でも、すでに1つの調和になっています。 

 むしろ、その外側には、ぼくがまだ音楽のなかに居場所を見つけられない、無数の響きが残されています。それらこそが、今のぼくにとっての不協和音なのかもしれません。 

 そう考えると、冒頭で息子が鳴らしたクラスターも、ただ耳に痛い「悪い音」として片づける必要はありません。それはまだ、意味の決まっていない音の塊なのです。 

 不協和音を、字義どおりのイメージだけで、そんなに嫌わなくてもよいのかもしれません。それは、単純な明るさや暗さだけでは表しきれない、私たちの心にある無限の階調を響かせてくれるものなのですから。 

 今回は、不協和音が私たちの耳や感情にどう響くのかを見てきました。次回は沖野成紀先生にバトンタッチし、無意識のうちに私たちの行動を変化させる音楽の力について紹介していただきます。 

檜垣智也(東海大学教養学部芸術学科准教授)
Photo by Ryuhei Yokoyama

ひがき・ともなり 作曲家・アクースモニスト。愛知県立芸術大学大学院修了。博士(芸術工学・九州大学)。作品は欧米・アジア各地で上演され、フランスなどの欧米の公共放送等でも紹介。INA-GRM、Motus、ハーバード大学、ケルン大学、M.ar.eなど世界中のアクースモニウムを演奏。リュック・フェラーリ・コンクール最高賞、文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品、大阪文化祭奨励賞など受賞。Le Cube、ヴィラ九条山、ACA財団、Fiminco財団などで滞在制作。Musiques & Recherches国際空間演奏コンクール審査員。Futura国際音楽祭メンバー、hirviグループ代表。

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