第25回 きっかけ
地方のイベントで本を売っていたときのことだ。
二歳ぐらいの女の子をつれたお母さんが真剣な顔で本を選んでいた。
が、そばにいる娘は退屈そうで、お母さんの手をこれ以上伸ばせないぐらいに引っ張って、お母さんのまわりを回転木馬のようにグルグルとまわっていた。
うちのブースは女の子が読みそうな絵本を置いていなかった。長机の上には十数種類の文字の本と、電卓と、小銭の入った缶しかなかった。
「お昼はなにを食べようか?」
お母さんは片手で器用に本のページをめくりながら、娘に話しかけた。
娘はそれにこたえず、「ねえ、はやく」といった。
「大変ですよね」
ぼくは、わが家の子どもたちが小さかったころのことを思い出して、いった。
その女性はぼくをちらっと見ると、「年が離れて生まれた子どもなので、かわいいだけですよ」と返した。
ぼくは、自分だけは子育ての大変さをわかっているつもりで話しかけたことを恥じ、それからはなにもいえなくなってしまった。
彼女はゆっくりと本を見て、うちのブースから吉田篤弘さんの『神様のいる街』を選んで、たのしそうに帰っていった。
わが家はどちらかというと、子育てで苦労をしてきたので、「子どもの面倒を見る」=「大変」という思い込みがある。
いまも、小学校に行かない娘と毎日どうやって時間を過ごせばいいのか、思い悩んでいるので、変わらず「大変」ではある。
子育てで苦しんでいるひとを見ると、正直、ほっとする。
学校に行けない、とか、障がいがある、とか、家では手をつけられない、などと聞くと、こころの奥底で、同志よ、と思う。
一方、子育てでなにも困ったことがなく、子どもがすくすくと育っていて、運動で活躍していたり、学校の成績がよいなどと聞くと、なにをいえばいいのかわからなくなってしまう。
うらやましいと思っているわけではない。
そのひとの話がぼくの知っている子育てとあまりにも違うから、ほんとうに言葉が出てこないのだ。
先日もまた、失敗をした。
そのときいっしょに夕食を食べた男の子は、うちの娘と同じように小学校にまったくといっていいほど行っていなかった。
「大変ですよね」
ぼくはその子のお母さんに何気なくいった。
そこには、子どもと家にずっといることは「大変」であるというのと、学校の教室に馴染めないその子の将来はきっと「大変」であろう、というふたつの意味が込められていた。
しかし、そのお母さんは、ニコニコとしながら、「うちは別に学校に行かなくてもいいと思っているんですよ」といった。
ぼくはびっくりした。
そんな台詞、これまで一度も耳にしたことがなかったから。
別に学校には行かなくてもいいのか……。
ぼくはテーブルに並ぶ肉を食べ、パンを食べ、きのこを食べながら、何度もそのことについて考えた。
うちの娘と同じ歳のその男の子はたのしそうにわが家の息子、娘と遊び、その子のお父さんとお母さんは目を細めながらその光景を見つめていた。
七月に沖縄の「みちくさ牧場」で出会った青年は、小学校一年生の最初のころだけ小学校に行き、それからあらゆる学校に行かずに育ち、大人になった。
けれど、彼はどんな学校を卒業した青年よりも清々しく、立派に見えた。
ぼくはそのふたりの男の子と出会って、ずいぶんとこころが軽くなった。
ぼくは娘の小学校の授業に毎日のように付き添ったから、先生たちが子どもたちになにを教えているかを知っている。
それは文字を書き、読むことであり、計算をすることであり、生物や植物のことを知ることであり、社会を知ることである。
それらは先生の授業をとおさなくても、ひとりで学べることであるが、友人たちと話し合ったり、それぞれの意見の差異をおもしろがったり、尊重したり、それらをまとめたりするようなことはひとりではできない。
そうしたグループでの経験はそのまま、社会に出て、会社で働くときのベースとなるものであり、ぼくの目からみると、学校の授業は、その「会社での労働」への目線を多分に取り入れられたもののように見える。
学校に行かない娘は、そのグループでの経験がひとよりも不足している。
心配ではあるが、いくら経験を積んでも、そうしたチームプレイがいつまでもできないというひともいるから、仕方ないかな、とも思う。
そのひととはぼくであり、ぼくはだから、五十歳になったいまも毎日、ひとりで仕事をしている。
(続く)

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、出版社「夏葉社」起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。
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