第19回 ララルー
ピアノの十二の音階には、それぞれ白と黒の鍵盤が割り当てられている。
先生は楽譜を指さしながら、「これはなんの音?」と娘に尋ねる。
娘は教室ではほとんど口を開かないので、人差し指で鍵盤を押す。
ピアノから音が鳴る。
「正解。じゃあ、これは?」
ファ。
「じゃあ、これは?」
ファのシャープ。
「うん。合ってるね。じゃあ、弾いてみようか」
娘はエクセルに値を入力するサラリーマンのように、無表情のままピアノを弾きはじめる。
「ここスラーだから、途切れない」
「もうすこしだけ、やわらかく」
「もっと、金槌を振り下ろすように上から強く」
先生から指摘があると、同じところを再度弾き直す。
一度で修正できれば、レッスンはそのまま続く。
が、二回目も、三回目も同じミスを犯してしまうと、娘の動きが止まる。
みるみるうちに、その目に涙がたまる。
そうして、娘は席を離れ、ぼくに抱きついてくる。
「いけると思ったんですけどね」
先生は笑顔でぼくにいう。
「ぼくも大丈夫だと思っていました」
娘はなにもいわず、ぼくの太ももに顔を押し付けたまま、動かない。
「今日はどうされてました?」
「学校は一時間だけいって、家でゲームしてました」
「元気?」
「元気です」
「ピアノはいやがって……」
「いやがってますけど、やめたくないらしいです」
前のめりにこたえ、娘の様子を見る。
「ね? 続けたいんだよね?」
「上手だったよ。ごめんね。先生いいすぎた?」
それでも、娘は動かない。
ぼくと先生はピアノとは関係のない話をしながら、娘がふたたびやる気を取り戻すのを待つ。
そしてだいたい五分経つと、娘はぼくのもとを離れ、またピアノの前に座る。
三十分のレッスンで二回泣くことはない。
でも、一回のレッスンで泣かないこともほとんどない。
ぼくは娘が弾く曲に耳を澄ませながら、ピアノというのは、鍵盤の数がすくないのに、どうしてこんなにも美しい曲を奏でることができるのか、いつも不思議に思う。
毎回、いいなと思うのは、ディズニー映画の『わんわん物語』の劇中歌として流れる「ララルー」だ。
映画のなかでは赤ん坊への子守唄として流れる、このゆったりとした、ふくよかなメロディを聴いていると、いやなことを忘れてしまう。
ピアノには、日々の不安をつかの間、美しいものに仕立て直してしまうような力がある、と思う。
「あなたの弾くピアノがどんどんピアノらしくなっていくから、パパ、感動するんだよ」
帰りの自転車で娘にそういうと、娘は「前も同じこといってた」と返す。
教室の近くの、お菓子がやたらに充実しているセブン−イレブン(ぼくたち家族は「駄菓子屋セブン−イレブン」と呼んでいる)でグミやチョコレートを買って、家に帰る。
妻が「どうだった?」と聞く。最近は小学校五年生の長男も「ピアノどうだった?」とぼくに聞く。
ぼくは「よかったよ」とこたえて、子どもたちの菓子の袋を開ける。
娘はソファに座り、満足げにお菓子を食べる。
ぼくは娘のこころに擦り込むように、もう一度、「ピアノすごいよかったよ」と娘に伝える。
この春、四年間娘を教えてくれた先生が旦那さんの転勤で教室から離れることになった。
最後の日、娘と先生は連弾で「ララルー」を弾いた。
娘が主旋律で、先生が伴奏。
最後まで、娘は先生になにもいわなかった。
でも、この日の演奏は、ぼくが好きなアーティストのライブと同じくらいの強さで、ぼくのこころに響いた。
(続く)

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。
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