第16回 「未来」に向かって脈打つ文章 —シン・ミナ作品をめぐって—
姉さんたちには 秘密が多く
金曜日になれば ひだの多いスカートをはく
ブラウスのリボンを結ぶと
ぐらぐらする靴を履いて 不敵な笑みを浮かべた
(「風のポケット —吹き流しが膨らむとき—」)
神保町にある韓国書籍専門店「CHEKCCORI(チェッコリ)」で今年3月に開催されたイベント「韓国詩の夜」で、私は初めて韓国詩の翻訳を披露した。その際に選んだ作品が「風のポケット—吹き流しが膨らむとき—」(原題「바람 주머니가 부풀 때」、『白バラの蒼白(백장미의 창백)』所収)だった。
韓国語の勉強を始めてからまだ半年しか経っていない。本ページの読者に、近くて遠い韓国詩を身近に感じてもらうために、超初心者の私の拙いやり方をすこし紹介する。きっと、「そんなふうに読んでいるの?!」と驚くと思う(各方面の方々に申し訳なくて、正直、ここで言うのが憚られる)。
まず『1時間でハングルが読めるようになる本 ヒチョル式超速ハングル覚え方講義』(チョ・ヒチョル著/Gakken)で、ハングルの読み方を覚えた。本当に一時間で読めるし、語呂合わせ方式でわかりやすく暗記しやすいのでおすすめの一冊だ。次に、スマートフォンに翻訳アプリをダウンロードする。私は「papago」というアプリを使っているが、Google翻訳アプリを使っている人の方がまわりに多い気がする。そして原書を手に、翻訳アプリのカメラをかざすと、あら不思議! 韓国語が、オンタイムで日本語に置き換わって表示される。これで、その詩集の空気感のようなものがわかる。それをたよりに、惹かれる詩集を選ぶ。ここからが本番だ。また翻訳アプリを駆使して、その詩集の中から最も惹かれる詩を一篇選ぶ。それを自分で訳してみるのだ。翻訳アプリは簡便だが、あやしい訳も多い。学生時代を思い出しながら、泥臭く辞書をひきつつ、単語の上に日本語訳をふっていく。すべてふり終わったら、自分の詩だと思って日本語に訳していく。
「風のポケット」をまず自分なりに翻訳した後、韓日翻訳者でシン・ミナ作品を訳してきた清水知佐子さんにマーサ訳をみていただいた。言葉の初心者に戻ったような感覚だった。
「동생」という単語がある。辞書で引いたら「弟」と出てきたので、そのまま弟と訳したのだが、清水さんによれば、この単語は弟でも妹でも、どちらの意味でもとれるのだという。どうしてこんな話になったのかというと、正解は「妹」だったからだ(最後に全文を公開しているので、どこか確認してみてほしい)。「妹か弟か、どちらかわからないなら、韓日翻訳者の方はいつもどうしているんですか?」と尋ねると、清水さんは「著者本人に確認する」となんでもないことのように答えた。
タイトルを直訳すると「風の袋(ポケット)がふくらむ時」になる。清水さんによれば、「風の袋(ポケット)」とは吹き流しをさしているのだという。シン・ミナさん本人から聞いたそうだ。私は、詩はなるべく直感的に読めた方がいいと思っている。その方が身体感覚として心地良いし、その詩をひらく鍵をより多くの人が手にできるからだ。そして、タイトルを「風のポケット—吹き流しが膨らむとき—」と訳すことにした。
姉さんたちはほどいた髪を一つに束ねて
白い三角巾を頭に巻く
給食のトレイをもって ご飯とスープを受け取る
エナメルの靴は 金曜日にだけ取り出して履く
(「風のポケット—吹き流しが膨らむとき—」)
「靴」というモチーフが、この作品には二度登場する。
シン・ミナさんはK-BOOK振興会と韓国文化芸術委員会が主催する「ライター・イン・レジデンス」の第一回目の招聘者として選ばれ、昨年5月から二ヵ月間、東京都新宿区神楽坂のアパートに滞在していた。当時の日本滞在記「シン・ミナとシンゴの交差日記」は、出版社クオンのWebマガジン「クオンのたね」に公開されている。
シン・ミナさんは「ライター・イン・レジデンス」での滞在中に、義母の訃報を受け取った。「シン・ミナとシンゴの交差日記」6月24日の回に、次のような言葉がつづられている。
私は弔問客たちが脱いだ靴をきちんと揃えた。かかとが一方だけすり減った靴、やけに光沢のある靴、かかとを踏みつぶした跡のある靴。そして、注射針さえ入らなかった、義母の小さな足を思い出した。
「お義母さん。死とは何ですか」
「もう二度と靴を履けなくなることだよ」
(「06.24」)
靴は人の命の象徴なのだ。
彼女の作品は詩・エッセイ・小説・書簡といったジャンルを問わず、薄い皮一枚の向こう側に彼女の生々しい「生」があると感じる。「生き生きとした文章」とは、「生」と薄い皮一枚隔ててある文章のことをいうのかもしれない。
詩と日記に登場する、「靴」というモチーフに対する共通した思いは、この作品がシン・ミナというひとつの「生」から汲まれてきたものだということをはっきりと感じる。
滞在記「シン・ミナとシンゴの交差日記」の、「シンゴ」とはなんだろうと感じる人もいるだろうと思う。
「交換日記」ではなく「交差日記」であることに注意する必要がある。「シンゴ」と聞くと、私たちはほとんど反射的に香取慎吾、柳沢慎吾といった男性の名前を思い浮かべるが、「シンゴ」は人の名前ではなく、彼女の詩「シンゴ(싱고) 」(『シンゴって呼んだ(싱고, 라고 불렀다)』所収)に登場する造語である。
十年飼った犬が
家に戻らなかったとき
わたしは沈んでいく太陽の中で
喉が渇いたまま果てしない道を歩いた
そのときから、こういう気持ちを「シンゴ」と呼んだ
(「シンゴ(싱고)」マーサ・ナカムラ訳)
前出の清水知佐子さんに、「シンゴ」の感覚について尋ねると、詩「シンゴ(싱고)」の原文が送られてきた。「この詩を読めば、シンゴの意味がわかると思います」。そして、「シンゴ」はシンゴであって、代替可能な言葉はないことを知った。
自分にとってかけがえのない存在との別れから生まれた気持ちを、寂しさや孤独といったありあわせの言葉で間に合わせず、自分自身の生のかたちにより誠実に向き合うために、「シンゴ」と名付けたのだ。だから本当に、彼女の作品を読む以外に、「シンゴ」という気持ちの状態を知ることはできない。
そういうものだと思って何気なく通り過ぎてしまうものを、彼女は詩人の目をもって掬い上げる。名前をもたないものにこそ、「私自身の生」のかたちがあるということなのかもしれない。
父が怒ると
シンゴとわたしは
かまどの焚き口の前に座り
(「シンゴ(싱고)」マーサ・ナカムラ訳)
やがて「シンゴ」という気持ちは、「もう一人の私」として息づき始める。「シン・ミナとシンゴの交差日記」を読むと、詩人シン・ミナとシンゴは『ゲド戦記』のようにどちらが影でどちらが本体なのかを争う関係ではなく、デュオのような関係性に近いことがわかる。彼女は詩をイラストによって描き出す「詩トゥーン(詩とウェブトゥーンの融合)」という新ジャンルをつくり出し、それは韓国の中学・高校の国語教科書にも掲載されたが、絵を描く際のペンネームはシン・ミナではなく、シンゴである。
詩「風のポケット—吹き流しが膨らむとき—」に戻ろう。
未来、未来、未来へと 波打つ文章を
(「風のポケット—吹き流しが膨らむとき—」)
繰り返される「未来」という言葉は、宮沢賢治が自身の心臓の音を「丁」と表現したように、彼女自身の胸が高鳴る音のようにも聞こえる。「風のポケット」は過去を描き出した作品だが、その文章は彼女の生とともに未来に向かって進んでいる。最後この世界の「吹き流し」を膨らませたのは風だけではない。
現在、雑誌『文藝』(河出書房新社)でシン・ミナさんと小説家の星野智幸さんの往復書簡「地球から半歩」が連載中である。彼女の魅力を知るのにジャンルは問わない。連載中の今を好機と捉えて、こちらもぜひチェックしてみてほしい。


風のポケット ―吹き流しが膨らむとき― シン・ミナ
姉さんたちには 秘密が多く
金曜日になれば ひだの多いスカートをはく
ブラウスのリボンを結ぶと
ぐらぐらする靴を履いて 不敵な笑みを浮かべた
わたしも ついていきたい
金曜日の夜
ミラーボールが回る 真夏のホール
ドラムを叩いて歌う歌手が見たい
あんたにはまだ早い
もう少し大きくなれば 秘密のポケットを持つことになるから
姉さんたちは 男たちが背中に隠したつまらない約束を信じて
そんな言葉を残したまま 都会の街へと去っていった
ポケットの中には 詩が書かれた紙
姉さんたちを悲しませる詩
夏休みは短く
妹が詩を書くのは嬉しいと姉さんたちは言うが
詩を書くのは
悪いことをしているのが見つかるみたいだ
姉さんたちを 詩に書いてもいいかな
サトウキビ畑の向こうから吹きよせる風を
未来、未来、未来へと 波打つ文章を
姉さんたちはほどいた髪を一つに束ねて
白い三角巾を頭に巻く
給食のトレイをもって ご飯とスープを受け取る
エナメルの靴は 金曜日にだけ取り出して履く
鳥たちが一斉に藪から飛び立つとき
風のポケット 吹き流しは静かに膨らみ
何かが始まろうとしているが
それが 何であるのか
誰も、わたしには教えてくれなかった
誰も
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1990年埼玉県生まれ。詩人。第五十四回現代詩手帖賞受賞。『狸の匣』(思潮社)で第二十三回中原中也賞、『雨をよぶ灯台』(思潮社)で第二十八回萩原朔太郎賞受賞。

