【タイトル画像】1952(昭和27)年3月29日、警官隊により共産党員らが逮捕された、「山村工作隊」のアジトと見られる小屋(東京・小河内村=現・奥多摩町)写真提供=共同通信イメージズ
詩にうたわれた〝一古老の思い〟
小河内山村工作隊の一斉検挙を受け、「古老の言葉」というスタイルで詩人こばやし・つねお(小林恒雄)が書き上げた「小河内谷のじじいが歌」(1952年4月)。
戦前から延々と続いた行政による〝棚ざらし〟で、村民の多くが窮乏生活に陥るなか、朝鮮戦争と軌を一にして息を吹き返したダム建設計画に、主人公の「じじい」は強烈な不信感を抱く。かといって老人は、都会からぞろぞろやってきた若い活動家らのオルグ活動に素直に同調する気分にもなれなかった。
「じじいが歌」の詩の後半には、古老がそんなどっちつかずの心理状態だったことを、その後、悔やむようになっていったことがうたわれている。
工作隊の若者らが警官隊に連行され、「胸のすき間風」と脱力感を味わうなか、わずか三日後に後続の工作隊員らが村に現れたのだ。
この谷の底にねむる祖先への
死土産にはずかしくない挨拶を
そして先の若者たちへの
恥をそそげる本ものの挨拶を
孫ほどにも若いあんたたちをむかえて
わしはどう用意したらいいのだろうか
(略)
おお わしのしなびてた心は
昔おぼえた若者のはずみのように
底のほうから波うってくる
(略)
どうやら このまがりかけた腰をのばしなおすことも
なにかの役に立つときがきたようだ
くだけがちな腰にむちうちながら
たとい この家がたたきくずされようと
たとい 麦粉の一椀もがなくなろうと
どうして立ち退くことができるだろうか
実際、工作隊員としてこの時期に小河内入りをした画家・桂川寛は自著『廃墟の前衛』のなかで、戦前の対東京市の大陳情行動に加わった村内の古老二人が「こわれかけた小屋のなかで立ち退きを拒んで頑張っていて私たちに往時を語ってくれた」という思い出を振り返っている。
もしかしたら、こばやし・つねおの詩「小河内谷のじじいが歌」のモデルになったのは、桂川が会ったこの二人のどちらかだったかもしれない。
坂村青年の卒業論文
奥多摩町にある二つの図書館、氷川図書館と古里[こり]図書館には、ファイルに綴じられた『「日蔭の村」と小河内ダム ダム建設に翻弄された人々と帝都』という論文が所蔵されている。
2020年に立命館大学文学部を出た坂村恵太という卒業生の論文だ。石川達三の小説『日蔭の村』に描かれた戦前の村の動揺を、旧小河内村の記録や当時の新聞記事などから読み解いていく内容である。戦後の山村工作隊の話は出て来ないが、石川の小説や大宅壮一のルポルタージュの影響で、戦中から戦後にかけ、ダムをめぐる村人の困窮が大きな社会問題になっていったプロセスが詳述されている。
この論文はまた、戦前には存在しなかったダム建設そのものへの反対運動も、戦後になり現れたことを指摘する。
戦前の長期〝棚ざらし〟によって一時は廃村寸前にまで追い込まれた村だったが、戦時中、都会人の疎開先として居住者が急増。活気を取り戻しかけた村にダム計画が再浮上すると、今度は明確な反対も示されるようになり、都は都議なども含む諮問機関「小河内貯水池用地対策委員会」を設置して住民との交渉に臨むようになったという。
この論文を執筆した坂村は、本稿で取り上げた留浦[とずら]地区の古老・保科貞次(87歳)の居住地よりさらに奥まった集落の出身者で、現在の年齢は28歳。大学卒業後は名古屋に住み、大手ゼネコンの社員として暮らしている。
旧小河内村では「大字」や「小字」といった呼称は使われず、普門禅寺のあるあたりも保科の住む地区も坂村の実家も住居表示はすべて同じ「留浦」地区。しかし、住民たちは地区内の集落を一つひとつ、古くからの集落名で呼びならわし、普門禅寺、保科宅、坂村宅の所在地は、山道を下方から上方に向かって「坂本」「雨降」「峰谷」と三つの集落に区別する。
坂村家は現地でいまや数少ない本格的な林業従事者だ。会社組織で一帯の森林管理を都から請け負っている。とはいっても、坂村家のある峰谷の集落も、急激な過疎化は周辺と同じ。一家の長男・恵太が就学する少し前、坂本集落にあった小中学校は廃校となり、彼は奥多摩町中心部(旧氷川町)まで九年間、一日3便だけのバスで通い続け、義務教育を修了した。計十数人のクラスメートのうち小河内から通ってくる子どもは恵太のほか二人だけだったという。
「いま思えば(地元に遊び友達もほぼいない)すごい環境でしたけど、当時の自分はそれが当たり前と思っていました」
ダム水没前の歴史に関しては、卒論の研究テーマにするまでほぼ何も知らない状態で、周囲の大人から昔話を聞く機会も皆無に近かったという。
「ダムが出来たあとよそに移転せず、地元に残った人たちはごく少数。しかも当時子どもだった人しかすでにいませんから、昔のことはほとんどわからなくなっているんです」

ダム建設から始まった地域の疲弊
山村工作隊という歴史的なワードは、文献調査のプロセスで初めて目にしたが、論文執筆前の下準備で何人か町内外の高齢者に会いに行った際にも、雑談の話題にさえならなかったという。
山中で衰弱し死に至った工作隊員・岩崎貞夫を悼む石碑がある普門禅寺。ひっそりと境内の一角に建つ記念碑本体は別にしても、寺への入り口となる石段脇にはるかに大きなサイズで置かれている追悼碑紹介の石碑の文面は、通行人の目を否応なく引き付ける。
「普門禅寺は犬の散歩コースだったし、大きな碑があることはわかっていましたが、碑の文面まで読んだことはありませんでした。共産党活動家の碑があるなんてことは、ずっと知らないままでした」
私は保科から聞いた話や元工作隊員の回顧録に見る記述の断片から、村民にもごく一部、岩崎の死を悼む人がいて、そういう住民の仲立ちによって追悼碑の設置は実現したように想像する。
「どうなんでしょうね」
しかし坂村は、あまりに判断材料が乏しいせいであろう、同意も否定もしなかった。あの時代の全体的な雰囲気として、工作隊に冷淡だったとされることは、「保守的な土地柄だし、住民たちの教育の水準も(工作隊のオルグを理解するほどには)高くなかったのだと思います」と語った。
ただそれでも、東京都や地元の村が選択したダム建設という事業には、現在の住民たちでさえポジティブに評価する人はほぼいないだろうという。
坂村は論文の末尾をこうまとめている。
筆者は、故郷の歴史をこの研究を始めるまでほとんど知らなかったが、本稿を執筆しながら、現在起きている地域の疲弊や過疎化の原因がこのダム建設から始まったものだということを確信した。
奥多摩は今、少子高齢化による過疎化が著しい。小河内地区は特に影響が大きく限界集落がいくつも存在する。湖底に沈んだ村の文化は今や風前の灯火である。筆者はこの地域で生まれ育った人間として、今後とも小河内村の誇った文化を語り継ぎ、それらの継承に努めていきたい。小河内村のような痛ましい事例が今後起きないことを願い、本稿の結びとしたい。
「八王子出身の母に言わせると、小河内の人には『どうせだめだ』とか『行政に言っても無駄だよ』というような諦めの気質がとても強い。これはやはり歴史的な挫折体験に根差している気がします。都会からの新住民や外部の人による活動を、冷ややかに見る雰囲気は、実はいまでも残っています」
山村工作隊に〝注がれた視線〟とどこか重なって聞こえる話である。
そんな坂村はこの10月、現在の勤め先を退職、妻子を連れ奥多摩町に移り、祖父の代からの林業の会社を継ぐことを決めている。山中の奥まった実家は子育てにあまりに不便なため住むことは考えず、奥多摩町の中心部から小河内に通うつもりだという。
「子ども時代から小河内で獅子舞や人形浄瑠璃など伝統芸能の継承活動をやっていて、卒論で郷土史を調べたきっかけも元々はそこにありました。ただ故郷に戻るまでは、さすがに昔は考えていなかった。論文のため歴史を掘り下げたことで、より深く愛着を持つようになったことは間違いなく言えると思います」

進む山々の荒廃
朝鮮戦争による中ソの外圧と党の内部分裂を背景に1950年代前半に採られた共産党の武装闘争路線。これは党内部でもその後、極左冒険主義の過ち、と結論付けられた。都市部では火炎瓶闘争が行われ、白鳥事件のような警官殺害事件も一部に発生して、国民の拒絶反応は一気に広がった。
ただ、山村工作隊に限定して言えば、その内実は「武装闘争」と呼び得るものになっていなかった。
小河内のアジトに潜入した読売記者の渡邉恒雄に「武器はいくらでもある」と豪語した工作隊員が示したのは、近くに積み上げた薪の山だった。奈良・和歌山の工作隊に中国から銃が運ばれるという計画も、話だけだった。
武装闘争に住民を巻き込んでゆくどころか、平和的な党活動についてさえほとんど理解されぬまま終わった。「革命」という〝大風呂敷〟でなく、目の前の生活苦への真摯な取り組みであったなら、住民の反応も違っていただろう。工作隊の失敗は、左翼運動に見られがちな独善性にあった。
ただそれでも、世間が目を向けない山村に入り込もうとする行為そのものには、少数であったにせよ、感情を動かされた住民はおそらくいた。あれから七十余年、工作隊に代わる部外者の寒村支援の取り組みはほとんど見られぬまま、山々の荒廃は進んでいる。

(この項終わり)

みやま・たかし 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。朝日新聞学芸部、同社会部記者を経てフリーに。2000年から06年にかけ、ペルーを拠点として南米諸国のルポルタージュ記事を各誌に発表。帰国後、ルポやドキュメントの取材・執筆で活躍している。著書に『日本から一番遠いニッポン――南米同胞百年目の消息』(東海教育研究所)、『さまよえる町――フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(東海教育研究所)『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所、のち文春文庫)、『夢を喰らう――キネマの怪人・古海卓二』(筑摩書房)、『国権と島と涙――沖縄の抗う民意を探る』(朝日新聞出版)、『一寸のペンの虫――〝ブンヤ崩れ〟の見たメディア危機』(東海教育研究所)などがある。
バックナンバー

