【ジャーナル】戦後史探検──昭和20年代を歩く 第60回◎三山喬 「保守合同」への源流① 

鳩山一郎(1883~1959) 写真提供=共同通信イメージズ 

 自分が物心つく以前の「戦後」(昭和20~30年代)にまだ特段の関心を持たなかったころ、その容貌とともにイメージできた宰相は、占領期の大半に首相だった吉田茂(1946~47年、48~54年)、そして日米安保条約の改定に関わった岸信介(1957~60年)のふたりだけだった。 
 もちろんそれ以外に皇族の首相(東久邇宮稔彦)がいたり、社会党の首相(片山哲)がいたりしたことも知っていたが、それらはかろうじて人名がわかる程度。吉田に続く鳩山一郎(1954~56年)に関しても、保守合同(55年)や日ソ国交回復(1956年)というキーワードとともに浮かぶ人名、というくらいの知識だった。 

昭和20年代から30年代初めにかけての主な首相。幣原喜重郎(第44代)、吉田茂(第45、48、49、50、51代)、片山哲(第46代)、芦田均(第47代)、鳩山一郎(第52、53、54代)、石橋湛山(第55代)。写真提供=共同通信イメージズ 

秘密活動

 そんな状況から少しだけ、鳩山に興味を覚えるようになったのは、いまから約20年前。そのころの私は中国革命(1949年)の直後、北京に住む日本人が遭遇した一大事件を調べていた。戦後、北京に残留した日本人のなかには、中国国民党の情報機関、あるいは米国OSS(戦略情報局、CIAの前身)に雇われて働く人たちがいた。そのなかのひとりが中国革命後の1950年、「毛沢東暗殺計画」というほぼ間違いなくでっち上げられた容疑により逮捕され、イタリア人在住者とともに銃殺された出来事である。 

 私の関心は山口隆一というこの当事者以外にも、彼の知人であり共産党軍の北京入り前に台湾に逃げ出した日高富明という旧軍の元大佐にも及んでいた。戦時中から民間人だった山口とは異なり、日高のほうは「日高機関」という諜報機関を率いていた〝本物〟の元特務機関員。 
 現在では、ごくわずかな断片情報しか残っていない人物だが、この日高は台湾を経て日本に帰国したあと、米軍の情報機関に使われて対中国・対朝鮮の秘密工作に従事したとされる。日本国内で中国人や朝鮮人に訓練を施して、その母国に工作員として送り戻す。本シリーズでかつて『占領軍の闇』のタイトルで取り上げたキャノン機関とも、日高は関係を持っていた。 

 実はこの時代、日高のように米軍機関に協力し、秘密活動に従事した旧軍人、特務機関出身者は少なくない。その実態がほんの少し世に知られるようになったのは、1970年代に起きたロッキード事件がきっかけだ。事件に深くかかわった児玉誉士夫という大物右翼が注目され、その戦後の足取りが調べられるなか、彼の周辺にいた旧特務機関員の存在にも光が当たったのだ。 

 前置きが随分長くなってしまった。そんな歴史秘話を調べていた2007年2月、私は一部の新聞が報道した出来事に驚愕した。『読売新聞』の場合は、こんな報じ方をした。 

「吉田首相暗殺計画 旧軍幹部ら」 
「元陸軍参謀・辻氏の説得で中止」 
 旧日本軍の作戦本部作戦課長を務め、戦後は連合軍総司令部(GHQ)の秘密工作に関与した服部卓四郎氏らが1952年7月、当時の吉田茂首相の暗殺を企てていたとする報告が、解禁された米中央情報局(CIA)の文書から見つかった。 
 同年10月31日付のCIA文書によると、服部氏ら旧日本軍将校を中心とするグループは、吉田首相が公職から追放された者や国家主義者に敵対的だとして不満を募らせ、暗殺によって首相を鳩山一郎氏にすげ替える計画を立てた。 
 しかし、戦時中からの盟友で、グループの表向きの代表になっていた元陸軍参謀の辻政信氏が「クーデターを起こす時ではない」「敵は保守の吉田ではなく、社会党だ」と説得し、思いとどまらせたという。(2月27日付)。

 私は記事内容とともに、ここに登場する鳩山一郎の人名に強いインパクトを受けたのだ。当時の乏しい知識では、吉田に代わって首相の座に就いた鳩山は、対米従属一辺倒だった吉田路線を変更し自主的な外交路線を模索、そんな立場から日ソ国交回復に取り組んだ。つまり共産主義国にもオープンなイメージで、右翼勢力とつながりを持つことなど想像もしなかったのだ。 
 ただし、このCIA情報に鵜吞みにできるほどの信憑性はなく、怪しさを否定できない話らしい。 

 米公文書館に通って、戦中戦後の所蔵記録を丹念に調査した有馬哲夫・早稲田大学名誉教授の著書『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』(新潮社)によれば、CIAが上記報告書をベースにまとめた別の文書には、服部や児玉誉士夫ほか4人の右翼的旧軍幹部の名が明記されているが、情報源は元将校の中国人ひとりだけで、CIAは情報源の質・情報内容ともに6段階で最低の評価を付けていた。 
 一方で有馬は、これほど怪しげな情報でありながら、CIAが文書を廃棄せず保管したのは、辻政信や児玉が関与するクーデターは、十分あり得る事態だと考えられていたからだ、と推察する。 
 ともあれ、この謀略話への驚きとは別に、当時の政治情勢に疎かった私は、鳩山一郎なる政治家の存在を、このニュースにより強烈に認識したのだった。現実には、鳩山本人に旧軍関係者との接点は少なく、鳩山の名前が出た理由は、あくまで〝反吉田〟ということで広く認知される代表的政治家という位置づけのせいだったのであろう。 

吉田と鳩山

 戦前からの政党政治家の鳩山は、1946年に行われた戦後初の総選挙で自ら率いる日本自由党が第一党となり、その首相就任が確実視されていた。ところが選挙での勝利直後、鳩山は突如として公職追放となり、1951年8月まで政界に復帰できずにいた。そして、追放解除後の雑誌報道を見渡すと、鳩山の名は一貫して吉田首相に対抗する勢力の旗頭として扱われていた。 
 つまり1955年の保守合同に至る数年間、昭和20年代後半の日本の保守政界は吉田と鳩山のふたりを軸に動いていたのである。 
 
 とは言っても両派がぶつかり合う対立軸は、のちの世代がイメージするような右派と左派、保守とリベラルといった色分けではない。極めて単純化して言うならば、吉田のスタンスは外交や防衛で米国の力にとことん依存しつつ、そのことで本格的な再軍備による財政の圧迫を避けようとするものだった。かたや鳩山は、自主外交を取り戻そうとする理想を持ち、そのために本格的な再軍備、憲法改正を目指す立場だった。鳩山のもとに参集する政治家は、反吉田・自主外交というスローガンは共有するものの、その内実は右派勢力からリベラル派まで、種々雑多な混成軍だった。 
 
 社会党などの革新勢力が西側諸国とだけの単独講和に反対し、非武装中立、もしくは軽武装中立を主張したことを考えると、吉田派と鳩山派はそれぞれに、革新に近い主義主張を部分的に持ち、一方で革新と激しくぶつかり合う主張も持つというある種の〝ねじれ状態〟だったのだ。 
 その後、保守と革新の対立構図が現在に近い形に落ち着くのは、保守合同で自由民主党が誕生し、社会党も左右が統一してからだ。そしてこれが「55年体制」として長期間、戦後日本の〝枠組み〟になってゆく。しかしそれ以前、昭和20年代の保守政治には、もっと柔軟な振れ幅があったのだ。 

条件は4つか、3つか !?

 サンフランシスコ講和条約で独立を果たしたあと、対米関係をどうするか。これこそが保守内部の最大の論点になっていた。しかし、そのような知識を得て同時代の雑誌報道を眺めても、実のところ政策的な論点はさほどクリアには見えてこない。どの勢力が誰とくっついて、それによりどんな人事が行われるか、個別政治家がどんな感情を政敵に抱くのか、そういった属人的な関係や政局の問題として当時の政治の激動は語られがちだった。おそらく有権者の大半も、政策論でなく権力闘争のドラマとして、政治の動きを見ていたに違いない。 
 その意味で吉田vs鳩山の対立は、何よりもまず公職追放を受けた鳩山の恩讐の物語として、多くの国民に捉えられていた。 
 1946年春、総選挙で第一党になった喜びもつかの間、公職追放で首相の座を逃した鳩山は、自分の代役として首相になる人物として、外交官出身の吉田茂にその役割を委託した。そう、のちに不倶戴天の敵となる吉田を宰相の座に押し上げたのは、ほかならぬ鳩山その人だったのだ。 

 問題はこの要請を受けたとき、吉田が出したとされる条件だ。 
 増田弘・中島政希監修『鳩山一郎とその時代』(平凡社)によれば、鳩山はこれを「4条件」と呼び、吉田側は「3条件」だったと主張する。 
 鳩山の主張では吉田は面談時、①政党についてはわからないので政党人事は(鳩山に)任せる、②内閣の人事については(自分に)干渉してくれるな、③カネづくりはできないのでそちらでやってほしい、④君(鳩山)のパージが解けたらすぐ君に(党総裁・首相を)やってもらう、と紙に書いたという。一方で吉田側はこの四番目の条件は存在していないと主張する。結局、この話は鳩山が紙を紛失してしまったため結論が出ず、双方の主張は水掛け論になってしまった。 

 本シリーズでは過去、さまざまな市井の出来事から昭和20年代の民意を汲み取ろうと試みてきたが、今回は当時の社会全体の枠組みを大づかみにでも捉えるため、反吉田の勢力・鳩山グループの動きを切り口に政治状況の変遷をたどってみたい。 

(つづく) 

三山 喬

みやま・たかし 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。朝日新聞学芸部、同社会部記者を経てフリーに。2000年から06年にかけ、ペルーを拠点として南米諸国のルポルタージュ記事を各誌に発表。帰国後、ルポやドキュメントの取材・執筆で活躍している。著書に『日本から一番遠いニッポン――南米同胞百年目の消息』(東海教育研究所)、『さまよえる町――フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(東海教育研究所)『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所、のち文春文庫)、『夢を喰らう――キネマの怪人・古海卓二』(筑摩書房)、『国権と島と涙――沖縄の抗う民意を探る』(朝日新聞出版)、『一寸のペンの虫――〝ブンヤ崩れ〟の見たメディア危機』(東海教育研究所)などがある。

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