〝神の視座〟で暮らす6人の密室劇
今より少し未来。月の探査計画「アルテミス計画」が、月へ人を送り込む段階まで進んだのと同じ時。日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)も参加している国際宇宙ステーション(ISS)がモデルとおぼしき宇宙実験ステーションが、この作品の舞台。クルーは5ヵ国から集まった男女6人。施設の保守・管理や無重力空間での実験など各自の仕事をし、筋肉や骨の劣化を防ぐためにトレーニングをこなし、ふわふわ浮いてしまう食べ物を食べ、そして、つなぎ留められた寝袋で眠る。そのあいだ宇宙実験ステーションは24時間に16回、地球の軌道上を周回する。
宇宙実験ステーションから見えるのは、百のシンバルを打ち鳴らしたように光り輝く日の出、懐かしい街、コバルトブルーの海など。列車の窓の風景のように現れては飛び去る。かつては神の視座でしか見ることができなかった光景。その地球の描写は美しい。宇宙から見た地球は国境などない。しかし事実、そこでは人間同士が争っている。人間の開発がつけた爪痕が宇宙からも見える。
6人のクルーは宇宙実験ステーションの外のめくるめく光景に心を揺さぶられるのと同時に、自分の内面とも対峙する。クルーのひとりチエは、母が亡くなった知らせを受ける。チエの悲しみをクルーは家族のように分かちあう。皆、自分の家族が地球におり、母なる大地から離れて宇宙を漂う身の上だ。クルーたちは自分の家族や故郷を思い出し、これまでの地球での人生を心の底に降りて黙考する。
一方、クルーたちは自分たちが統合されていく感覚を覚える。ここに来る前のそれぞれがどんな人物であれ、出身地がどこであれ、国家間の衝突がどうであれ、ここでは6人は対等で、地球が施した完璧な振り付けを実行する宇宙船のなか、その〝体〟の一部として動きや機能の役割を演じているに過ぎないのだ、とも考えてしまう。そして想像する。それぞれが宇宙船の心、頭脳、手などの役割を果たしているのだ、と。馬鹿げている、と一蹴するが、クルーたちは人間の生存圏である地球から離れ、人間の生きていけない宇宙で、閉ざされた生存空間である宇宙実験ステーションを動かし暮らしているのだ。こんな感覚が芽生えてもおかしくはない。
この作品は、宇宙から地球を見る6人のクルー、6人個々の内的な思索、6人が一致して抱く視点や想像、それらが絡みあって、神の視座にいる6人の密室劇のようだ。クルーが見ていない光景の描写は、著者が神の視座に座る。宇宙実験ステーションは、巨大な台風が島々を覆っているところを通り過ぎる。だがクルーは皆、眠っている。台風の下の光景は宇宙実験ステーションから見えない。その島の地上では、子どもたちの学校が壊され、洪水が内陸へ押し寄せる。あらゆるものが泥水に流されていく。人々は海が町を飲み込むのを見る。やがて台風は通り過ぎ、40から50の遺体が礼拝堂の祭壇の裏に安置される。生き残った人々は神の守護があったと信じようとする。と、こんな宇宙から大気圏の底の地上までの人間の営みも著者は描く。
「宇宙の田園詩」を書きたかった、とこの作品について著者は述べている。SF的なスペクタクルでなく、宇宙実験ステーションという宇宙の一角の静かな生活圏で、人が食事をして、仕事をして、眠るという日常的な生活が繰り返される。地球でどんな悲劇が起こっていても、静かな生活圏の日常は変わらない。戦火や災害の止まない地球。そこから隔絶した空間で、人々が国籍や地位も関係なく生活している。マクロな宇宙の壮大さとミクロな個人の心理を、慈しむような眼差しで描いた作品だ。

サマンサ・ハーヴィー[Samantha Harvey] 1975年、英国生まれ。親の仕事の関係で10代 をアイルランドで過ごし、ヨーク、シェフィールド、日本などを転々とした。その後、ヨーク大学とシェフィールド大学で哲学を専攻。2009年に『The Wilderness』で作家デビュー。その後、長篇『All Is Song』『Dear Thief』『The Western Wind』を刊行。 2023年に刊行された本作は2024年度のブッカー賞を受賞したほか、多くの文学賞にノミネートされた。自身の重度の慢性不眠症の記録を綴った『The Shapeless Unease』は、彼女の唯ーのノンフィクション作品である。
小澤身和子[おざわ・みわこ] 英米文学翻訳家。東京大学大学院博士課程修了。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで修士号取得。訳書『ナルニア国物語』C・S・ルイス、『ベル・ジャー』シルヴィア・プラス、『ホットミルク』デボラ・レヴィ、他多数。

さわ・いずみ 1968年、神奈川県生まれ。東海大学大学院博士課程前期修了。専攻は中世アイスランド社会史。出版社勤務を経て司書。公共図書館・博物館図書室・学校図書館勤務のあと、現在介護休業中。アイスランドに行きたい毎日。写真は、今は亡き愛犬クリス。
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