幹部自衛官を養成する防衛大学校(神奈川県横須賀市)に、同校校長である吉田圭秀さんを訪ねた。『web望星』の連載「戦後史探検―昭和20年代を歩く――民主主義の軍隊を目指して」では、防大初代校長・槇智雄の英国風自由主義・リベラルアーツを重視した「槇イズム」を掘り下げたが、吉田さんは槇智雄を防大教育の開祖と言う。多くの大学でファカルティー(学部)にウエイトが置かれるなか、防大は伝統的にリベラルアーツを重視する。リベラルアーツの重要性はますます高まるという吉田さんに聞いた。
本科生全員と「車座トーク」
――吉田さんは、以前から教育に関心をお持ちだったとか。
約40年間の自衛隊生活で私自身リーダーシップを育ててもらい、自衛隊に恩返しをしたいという思いがありました。また、どんなに立派な組織であっても、そこに配置されるリーダーによって強くもなるし弱くもなってしまう。そういう現実を見てきた経験からも、第二の人生は後進の教育に関わりたいと思っていました。
――東大工学部を卒業され、自衛隊に入隊。その選択は、かなり珍しく思えます。研究者、技術者になろうとは思わなかったのですか。
私は高校時代に物理が好きになり、将来、物理学者になりたいと思っていましたが、いざ大学に入ってみると自分の感覚とのギャップを感じてしまいました。自然科学より、国際関係や社会科学、教育学、そういった方面に興味を抱く自分に気づいたのです。その結果、就職では、処遇とか(就職先の)ネームバリューだけで決めたらおそらく悔いが残る、そう考え、仕事では自らのやりがいを重視したのです。
私は1986年の大学卒業で、当時はバブル期にさしかかる直前でした。就職は圧倒的な売り手市場でしたが、一企業のためでなく国のために働きたいと思ったことがまず一つあります。当時、大平正芳内閣の政策研究会が「総合安全保障戦略」を発表し、私はそれを読んだのですが、軍事だけでなく外交や経済などすべての力を動員し、平和と安定を目指すという大きな構想でした。この構想は、今後必ず日本の重要なテーマとなり、指針になると感銘を受けました。さらに自分の現場好きという性分から考えると、デスクワークでは充実感が得られない――そういった判断から、自衛隊の幹部候補生になると決断したのです。
――幹部候補生全体の中で、一般大学の出身者は少数派ですか?
年によって違っていて、防大卒が少ないと一般大卒が増やされる傾向があります。一般大卒は一種の調整弁でもあったわけです。私のときは防大卒2に対して一般大卒が1ぐらいの割合でしたね。
――一般大卒と防大卒という違いは、自衛隊でのプラス面、マイナス面はありましたか。
当時の研修は両者別々に行われ、部隊に配属されてから一緒になる。でも一線の部隊では、各人(幹部自衛官)がどれだけ(部下の)隊員と信頼関係を築けるかが重要になりますから、卒業大学はほとんど関係なかったですね。ただ、人数的にはやはり防大卒が多数を占めますから、組織内のネットワークで一般大卒は傍流です。ですから一般大卒の同期生同士では、組織内の〝一服の清涼剤〟になろうと語り合ったものでした。組織が同質化し過ぎないための少し違った背景を持つ存在という意味です。
――よそ者のように扱われませんでしたか。
それはないですね。人事上の扱いはまったく一緒です。ただトータルで見た場合、部隊におけるリーダーシップという点で、やはり防大卒にアドバンテージがあるように感じました。逆にそれがなかったら、何のための防大か? という話にもなってしまいます(笑)。
――吉田さんの目には、いまの若者はどんなふうに映りますか。
私は1990年から92年まで、防大の小隊指導教官でした。自衛隊に入って数年の頃で、当時の防大生は「Ⅹ世代」にあたります。「Z世代」と呼ばれるいまの学生の親くらいの世代ですね。その比較で言うなら、両者に大きな差は感じません。防大での厳しい生活環境を、どちらも生き生きと送っている印象を持ちます。
それでも今回の着任を機に、いまの学生たちをより深く知りたいと思い、本科生(学部生)計2000人全員と直接対話するために「車座トーク」という懇談を設けました。1グループ30~40人ずつで、ひと晩に4グループ、延べ15日間の試みです。
その場で実際に語り合ってみると、Z世代全般が世間で言われているように、自分で問題を設定する力がやや弱いかもしれない、と感じる部分はありました。与えられた問いにすぐ正解を求めたがる印象ですね。そこで私は、防大生に向けた要望に「志の確立」を設定しました。自ら問題を発見、把握し、その問題解消に力を尽くす目的意識を持つこと、そしてそこに生きがいややりがいが湧いてくるよう心がけよう、と。

リベラルアーツは基礎中の基礎
――積極的に「他流試合」も勧めていますね。
全寮制の生活に慣れるまで、新入生はみな相当苦労します。しかし適応するにつれ、その生活に居心地の良さを感じるようになる。一種の共同体的な集団になるのです。それ自体、構わないことですが、これがもし、閉鎖的な空間での同質化につながると、それはまずい。将来彼らが担う防衛や安全保障は、決して自衛隊だけでできるものではないからです。国際協調が重要である以上、他の国々と協力して活動しなくてはならないし、国内の災害派遣では、自治体や警察、消防、海上保安庁など、さまざまな組織との連携が必要不可欠です。
そうした現実を想定すれば、内向きの閉鎖空間では通用しません。外部のさまざまな人と交流を深め、多元的な思考をみずから養う姿勢が必要です。
――正解をすぐ求めるというのは、Wikipedia世代というか、断片情報をネット検索して満足するという感じですか。
同じ勉強でも、それがすぐ役立つかどうかを気にする印象があります。自衛隊では英語力は必須ですから、TOEICなどはとてもよく勉強する。達成度が分かりやすく頑張りやすい。しかし諸外国の人びとと交わる際に必要な幅広い教養となると、それは分かりやすいものではありませんし、すぐ正解にたどりつくものでもありません。
ですから防大では、リベラルアーツ(人文学・芸術・自然科学・社会科学を横断的に学ぶプログラム、一般教養)のさらなる充実に取り組んでいます。これからの自衛官に求められる国際社会への対応・貢献の在り方は、以前と比べるとかなり難しい局面を迎えていると思います。そうした正解が見えない世界で、みずから問いを立て、判断し、行動しなければならない。その能力を磨き、高めていくベースになるものがリベラルアーツです。パターン思考では、これからの時代を乗り切れないのです。
AIの存在もあります。東大などは教養学部に横断的な教育を残しているわけですが、多くの大学では、短期的な実用につながるファカルティー(学部)のウエイトを増やしている。しかしファカルティー的な専門教育は、やがて、あるいはすぐにAIに取って代わられるでしょう。そのとき人間に求められるのは総合的な判断能力です。それは、モノを考える土台である、人文科学、社会科学、自然科学を横断するリベラルアーツのうえにつくられると思います。
ただ気をつけなくていけないのは、「教養を身につける」こと、それ自体が目的ではないということです。幹部自衛官を育成するという私たちの使命からすると、重要なのはリーダーシップをどう育てるか、なのです。リベラルアーツはあくまで素地であり、自衛隊での実践の中でフロネシス(最善の振る舞い方を見出す能力)にしていくことがポイントです。リベラルアーツというのは考える力、フロネシスはよく判断し、行動する力です。前者はゴールではありません。
その意味で、防衛大学校初代校長の槇智雄先生はリベラルアーツの思想を強くお持ちの方であり、防大教育のまさに開祖でした。
しかし残念ながら、日本の大学教育の現在の潮流では、ファカルティー的な教育が強い。リベラルアーツの教育基盤体系をここでもう一回強化する必要があると私は考えています。

――そのような考えは賛同を得られるものでしょうか。
私はすぐに理解されると思っています。専門知はどんどんAIに取って代わられていきますから、AIよりも広い視野で物事を多面的に考える、その力こそが人間が持つべき能力だと、いずれみな気づくでしょう。
もちろん、座して待つだけでは仕方がない。私はリベラルアーツの必要性について、学生との車座トークでも、教官たちとの対話でも、私の理念として伝えています。みながみな「そうですね」とはならないでしょうが、「私自身のフィロソフィー(哲学)です」と伝えることにより、議論のキャッチボールが始まります。少なくとも「それは違う」という大きな反対論は出ていません。
――AI時代に求められるリーダーシップとは、どういうものですか。
防大は陸海空統合の、諸外国でいうところの士官学校にあたる教育機関ですが、陸海空の自衛隊にはそれぞれ幹部候補生学校があります。私自身もそこで学びました。初級幹部に必要な戦術技量の教育はそこで行われますので、防大ではもっと射程を長く置き、将来的に我が国の防衛を担っていくリーダーの素地を形成するところと位置づけています。もちろん防大を卒業したからといってすぐにリーダーになれるわけではなく、フロネシスを現場で身につけてリーダーに育っていく。防大での教育はあくまで素地の部分です。
具体的には三つ。一つは最初に申し上げた「志の確立」です。ここがリーダーシップの出発点です。二つ目は「深い教養の涵養」。答えのない時代に判断を下すのに必要なことです。これがリベラルアーツです。三つ目は「人格」になるでしょう。人は別に頭がいい人についていくわけではない。その人の人間性、人間的な魅力についていくのです。
そのうえで「AI時代」を考えると、私は人が目的の正当性を担い、AIは手段の合理性を担う、そういう役割分担になると思っています。どれだけAIが進化しようとも、「志を立て目標を設定する」「決断して責任を引き受ける」「信頼を構築する」――そういった役割は人間に残ります。
そしてこれこそがリーダーシップなのです。つまり防衛大学校の価値はAI時代にこそ高まってゆく、私はそう信じています。
草創期の熱量に多くのことを学ぶ
――保安大学校時代に創刊された学生誌『小原台』のバックナンバーを読みました。オピニオンもあれば詩や小説の文芸作品もある総合誌で、とくに初期の数年間、誌面のレベルの高さに驚かされました。1950年代半ばですから、自衛隊や防大への風当たりも強いなか、自分の選んだ道と向き合った自問自答がどの作品にもあふれている。文章力も総じて高く、読みごたえがありました。
槇智雄先生がいた一桁期の学生たちのレベルたるや、他の時代を圧倒するものがあったと思います。それは教養のレベルも含めての話です。あの時代は「志の確立」などという要望を、学生たちに掲げる必要もなかったと思います。
敗戦直後、日本の復興がなるかならないかというときに、新しい実力組織を作り上げる。戦争は二度とごめんだという国民感情から、厳しくきつい風を受けながら、あえてそこに身を置く選択をした。そういう意味で、当時の学生はスタートから志を持っていました。
槇先生の当時の訓話を読むと、学生のレベルに話を合わせていませんね。高校生相手に160キロの剛速球を投げるような真剣さで、先生の知的レベルをそのまま学生にぶつけている。すごい時代でした。ルネサンスではありませんが、私はあの時代の灯をもう一度掲げなくてはいけないと思っています。また、そうしたことが必要な時代が来ていると感じるのです。
たまたま自分がこういう立場になったこともありますが、リベラルアーツの教育体制や、現代の学生舎(防大の学生寮)の在り方など、さまざまな議論を重ね、防大草創期の熱く高いレベルに持っていきたいのです。
――草創期の学生は、防大から一歩外に出ると、税金泥棒などと心無い悪口を言われたりもしたそうです。それでも内にこもらず、外と交流している。京大新聞部とは討論会もやっています。まさに「他流試合」です。
東大や京大を蹴って防大に入る学生さえいた時代ですからね。いまは「志を立てる」というところから始めなければなりません。そもそも私たちの世代にしても、大きなことは言えません。防大の卒業期一桁の先輩たちの時代だけ飛び抜けて違っていたのです。これからの防大も、あのレベルを目指さないといけない。
――槇校長のようなリベラルでアカデミックなスタンスは、時代によって異論も見られました。アカデミズム出身の校長が続いたことに対しても、不満を持つOBが一定数いたようですが。
防大には二面性があります。一つはアカデミック・フリーダム(学問の自由)を持つ一般大学と同様の体質。もう一つは、諸外国の士官学校と同じ士官候補生教育、こちらはミリタリー・ディシプリン(軍隊としての規律)の世界です。この二つの両立、均衡を図っていくことが、槇先生が苦労しながら目指したことだったと思います。私は、自分がミリタリー出身だからといって、この学校をミリタリー・ディシプリン一色にしようなんて考えは毛頭持ちません。両者の均衡はいまも大切だと思っています。
そもそもリベラルアーツがアカデミアだけのものかというと、それは違う。ミリタリー・ディシプリンの分野にもリベラルアーツはあるのです。防衛学における戦略論や軍事史などがそうですし、戦時国際法は社会科学系と交わる部分です。軍事技術は自然科学、現在注目されている経済安全保障、技術安全保障といった分野も、アカデミアとミリタリー両方にかかわっています。私はそういった広い意味合いでリベラルアーツが必要だと考えています。
先ほど申し上げた自衛隊に行ってからのフロネシスのことですが、たとえば訓練は何のためにやるのかというと、状況判断の経験を積むためです。オフィサーとして重要な決断をして責任を引き受ける、その訓練を体験として積み重ねるのです。
学生舎の生活や運動部の活動を通じてもリーダーシップは育てられる。学生舎の仲間同士で一冊の本を読み勉強会をするとか、リベラルアーツを学ぶ方法は日常生活の中にもあります。戦前の旧制高校やイギリスのカレッジのように、全寮制の学校ではそれが出来る。防大でそうした学生生活を送ったあと、自衛隊に入り、より本格的なリーダーシップを身につけてゆくのです。
付け加えるならば、リベラルアーツや人格の陶冶は、4年間で終わるものではありません。一生ものです。防大でやるべきことは、その動機付けの部分なんです。

(聞き手・文 三山 喬)
よしだ・よしひで 1962年東京生まれ。東京大学工学部都市工学科卒業。86年、陸上自衛隊入隊。2021年、陸上幕僚長。23年、統合幕僚長。26年4月、防衛大学校校長。座右の書として「総合安全保障戦略」(総合安全保障研究グループ著)、『失敗の本質』(戸部良一ほか著、中公文庫)を挙げる。

