子どもたちの将来を少しでもよくしようという趣旨で本コーナーを企画・掲載している。すると、どうしても今の日本の教育のマイナス面ばかりに目がいきがちだ。だが今回、白井俊さんが指摘してくれたのは、客観的に見て、日本の教育が長い時間をかけて、何を実現したのかということだ。全国津々浦々、どこにいても、同等の教育が実現されていることの良さを、私たちはあまり感じていないかもしれない。教育の現状を冷静に把握し、そこを出発点として問題点と向き合うことこそ重要なのだ。
「日本の教育はダメ」は言い過ぎでは?
――白井さんは文部科学省で初等中等教育局、高等教育局、大学入試センターなど教育政策と関わる仕事に携わってこられ、さらには国際機関であるOECD(経済協力開発機構)での教育プロジェクトも経験されています。国内外の教育事情を知る立場から、今の日本の学校教育をどんなふうに捉えていらっしゃいますか?
私としては、変えていかなくてはいけない部分もたくさんある一方で、よいところもたくさんあると見ています。外国の教育と比較して日本の学校教育は全然ダメだといった意見は多いのですが、そこで出てくる「外国の教育」はその国のトップの教育なんですね。その比較対象になっているのは、ごく普通の日本の公立小学校や中学校です。この比較は、ややフェアではないという気がします。
――トップというのは、いわゆるエリート校みたいな?
エリート校もありますし、実験校的なものもあります。それから、シュタイナー教育のような独自のカリキュラムで進められている教育などですね。他の国は分権化が進んでいるので、学校も結構自由なカリキュラムを作ることができます。そうした部分を見て「他の国はすごいじゃないか。それに比べて日本は」と言う人が多いように感じます。
たとえばオランダのイエナプラン教育(※)は、日本では非常に注目されていますけれど、オランダでは必ずしも知られていません。
――そうなんですか!? 日本では子どもの自立性が育つ教育として人気がありますが……。
オランダの教育省の人たちに、日本ですごく注目を浴びていると伝えると逆にびっくりされましたし、「イエナプラン教育は一握りの人たちがやっているだけなので、あれをオランダの代表的な教育と思われるのはちょっと……」とも言われました。
――海外の特殊な教育と比較して「日本はダメ」と言い過ぎているのかもしれませんね。
これまでさまざまな国の教育省の人たちと接してきましたが、話を聞いていると、どの国もやはりそれぞれ問題を抱えていて、決してよい面ばかりではないんです。当然、不登校やいじめはどの国でも起こっていますし、学校間の格差、生徒間の格差も日本以上だったりします。
安全ということでも、アメリカでは生徒による銃乱射事件で大勢が亡くなったりしています。日本の学校は、そんな心配をすることなく安全に通うことができますよね。格差も非常に少なくて、日本全国どこに行っても同じ教育を受けることができます。都市部の学校でも、全校生徒が一桁しかいないような地域の学校でも、受けられる教育に差はありませんし、教員の質にしても地域によって違うということはありません。どの地域、どの学校に行っても教育のレベルが変わらずに担保されている。ここは日本の教育のよいところなんです。
※子どもを異年齢のグループに分け、「対話」「遊び」「仕事」「催し」の4つの基本活動から自立と共生を学ぶ教育モデル。ドイツで生まれてオランダで広がった。
フィンランドの教育もバラ色ではなかった
――日本の教育の目指すべきかたちとして、よく話題に上がってくるのがフィンランドの教育ですが、ご著書の『世界の教育はどこへ向かうか』(中公新書)では、フィンランドの学力低下について触れられていました。
フィンランドは、2000年代初めのPISA調査で連続して世界最高水準のスコアだったこともあり、「学力世界一」と言われて世界中から注目を浴びました。日本からも多くの教育関係者がフィンランドを訪れて、フィンランド式の教育モデルに大きな関心が寄せられたわけですけれど、じつは今はPISA調査で大きくランクダウンしています。PISA2022では日本よりもはるかに順位が下ですし、欧州の中でも平均より若干高い程度になっている。学力としては低下傾向が続いているのですが、そこは注目されないまま「フィンランドの教育は素晴らしい」といったイメージだけが残っているのが現状ではないでしょうか。
――フィンランドは教師の質の高さでも知られていますが……。
フィンランドの先生は、日本で言うと大学教授に近いイメージですよね。教科を教える専門家としては優秀ですし、プロフェッショナルな意識も高い。ただ、そのいっぽうで、いじめやケンカといった子ども同士のトラブルにはタッチしないんです。日本の先生方はトラブルが解決するまで粘り強く子どもに関わっていくと思うのですが、フィンランドでは双方の保護者を呼び出して、「あとは保護者同士でしっかり話し合ってください」と言って手放してしまうほうが多いんですね。
――自分たちは授業のプロだからという感覚なんですか?
そうです。子どもたちの人格形成は家庭の役割であると捉えられているんです。
――線引きがはっきりしているんですね。その点、日本の教育は子どもたちの人間性を育てることも大切にしている。
もちろん国によりますが、日本や中国、韓国などは、伝統的に教育による人格形成が重視されてきましたし、日本の先生方に限って言うと、悩みのある子の話を聞いて共に考えたり、部活動の指導をしたり、昔から教科を教えるだけの「ティーチャー」の役割を超えた多様な仕事をしてきています。「だから大変なんだ」との批判も出ますが、学校の先生方と話をしていると、教師としてのやりがいや感動といった話も必ず出てくるんです。そこがまったく伝わらないまま、ただ労働時間が長いといった部分だけがクローズアップされてしまうのはもったいないですよね。
日本の弱点は学校生活の多様性の少なさ
――教育のレベルも比較的高いですし、日本全国どこでも同じレベルの教育を受けることができる。考えてみれば日本の教育制度は非常によくできた制度ですね。
人口が1億人を超える国は世界的にそう多くないですが、1億超の規模でこれだけ質の高い教育が全国的にできていること自体がすごいことだと思います。
――まずは、決して悪い教育をしているわけではない、じつは世界に誇るべきよさがあるという認識に立って、日本の教育を見ていくことが重要だと改めて思いました。そのうえで、こうしていくともっとよいのでは? という点を挙げていただくとしたら?
日本の弱みとしてはバリエーションの少なさでしょうか。一定程度の品質は保たれているけれども、北海道に行っても沖縄に行っても同じような教育が行われているということは、既存のスタイルに合わない人を排除してしまうことにもなりかねません。授業の内容だけではなく、学校の時間割もそうですね。朝8時ぐらいに登校して、午前中の授業を4時間受けて、給食を食べて、午後の授業を2時間やって、中学校であれば部活に行って下校するといった伝統的なスタイル自体に馴染まない人は行き場がなくなってしまう。そのような人からすると、自由度の高い海外の学校が理想的に映るでしょうし、気持ちとしてはよくわかります。
――とすると、どのようにバリエーションを増やしていくかも、日本の教育の課題ということになりますか?
そうですね。学校生活の部分に関してはやはり多様性が少ないですし、先生が前に立って子どもたち全員が前を向くティーチングスタイルも基本的にはどこでも変わりません。違ったスタイルの授業を受けたいと思っても、それが叶わない状況がありますので選択肢がすごく少ないですね。
――文科省はいま「学びの多様化学校」を増やそうとしていますけれど、それによってバリエーションが1つ増えたと考えていいのでしょうか?
そう思います。京都の中学校で授業開始が昼からになっている学校もありますが、登校時刻や時間割、授業内容などをかなり自由に変えることもできます。どの学校でも、本来は自由にやれるんです。
そもそも教育の分野は、「必ずこれをきっちり守りなさい」といった縛りは少なく、緩やかにしか決まっていません。なので教育委員会や学校の考え次第でいろいろできるのですが、実際はなかなか変えていきにくい。
――それはなぜですか?
たとえば、登校時刻を10時からにしようとした場合、両親共働きの家庭などは朝の子どもの預け先がないといった問題が出てくるでしょう。勤務している先生たちにも家庭がありますから、登校時刻を変えることは先生方の家庭生活にも影響してきます。下校時間も夕方にずれるので、夕方の時間帯に子どもたちが大勢下校するのは危ないといった苦情も出てくるかもしれません。「学校は朝の8時から午后3時ぐらいまで」という前提で社会も家庭も動いています。それを変えようとすると、調整だけでものすごいコストがかかってしまう。なかなか変えられないのは、必ずしも教育だけの問題ではないと思います。
自由裁量での学校づくりを阻むカリキュラム・オーバーロード
――バリエーションを増やすには、社会や地域とも連携しながら、学校ごとに自由裁量で「わが校のかたち」をつくっていけたらよいのでしょうが……。
時間割などは変えようと思えば変えられるのですが、現在はカリキュラムに盛り込む内容が多過ぎるカリキュラム・オーバーロードが起こっていて、学校ごとの裁量だけでは決められない状態になっています。たとえば数学であれば、AI時代を踏まえてデータサイエンスに関するトピックが追加されたり、プログラミングや外国語教育、金融教育なども必要だからと追加されたり、学校教育で取り上げるべき項目がどんどん増えているんですね。
ではカリキュラムが増え過ぎているから、すでにカリキュラムに含まれている教科や学習内容を減らせるかというと、それもむずかしい。たとえば、数学のカリキュラムを増やすぶん、歴史や地理などの社会科の内容を減らせるかといえば、それもまたむずかしいですよね。数学でデータサイエンスを増やすぶん、戦国時代の歴史をスキップしましょう、ということにはなりません。
――増える一方になっていて減らすことはできない。悩ましいですね。
カリキュラム・オーバーロードは日本に限ったことではなく、どの国も同様の問題に直面しています。コンテンツ主義とコンピテンシー主義という2つの教育観があるのですが、伝統的に、どのような学習内容=コンテンツを学ぶかというコンテンツ主義が重視されてきました。
コンテンツ主義とは要するに、教科書に何を載せるか、授業でどんな内容を扱うかを重視する考え方です。もちろん、どのような内容を学ぶかは教育において非常に大切なので、コンテンツ主義はすべてが否定されるものではありません。いっぽうで過度なコンテンツ主義が、カリキュラム・オーバーロードにつながっているともいえる。そこで今、世界の教育は「どのような能力が身についたか」を重視するコンピテンシー主義に移行してきているんです。
世界の教育は何を目指しているのか?
――世界の教育自体は、現在どのような方向性を目指しているのでしょうか?
21世紀に入ったあたりから、知識をつけるだけの従来型の古典的な教育ではなく、スキルや能力が大事だといった動きがいろいろな国で出てきました。またOECDでは「ウェルビーイング」という概念を提案し、教育の面においてもウェルビーイングを究極的な目標と位置づけて、2019年に「ラーニング・コンパス2030(学びの羅針盤)」を発表しています。
ウェルビーイングというのは、「良好な状態」「幸せ、健康、繁栄している状況」を意味する言葉です。そこを追求するための大切な能力とされているのが「エージェンシー」なんですね。聞き慣れない言葉だと思いますが、OECDではエージェンシーを「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と定義しています。要は、自ら目標を定めて、それに向かって行動する能力ということです。
――その「ラーニング・コンパス2030」が世界共通の目指すべき方向性と考えてよいのですか?
私も策定に携わったのですが、OECDとしては「これを目指しなさい」とはしていません。やはり、それぞれの国の伝統や考え方、状況がありますから、「参考になるところがあったら、取り入れて使ってほしい」というのが基本的な考え方です。
――当然、日本も参考にしているわけですね。
エージェンシーが大事であるというのは世界的な流れで、日本も例外ではないと思います。ただ、日本の教育はエージェンシーが育ちにくいように感じます。まずは自分が意見を言う。それに対して仮に先生からダメ出しをされても、「じゃあ、こういう論理だったらどうか」「こう説明したら納得してもらえるかな」と考え、やり取りしていく。こうしたなかでエージェンシーは伸びていくと思うのですが、日本の子どもたちと話していると、「先生が決めたから、自分は意見を言ってはいけない」と思っていることが多いんです。そうした発想を転換していけるような機会を、普段の教育活動の中につくってあげられるといいのですが。

どの国も、今の教育が「今のベスト」
――学校教育を大きく変えていくのは、やはりむずかしいのでしょうか?
どこの国の教育関係者も、大々的に一気に教育を変えることはむずかしいと思っています。逆にそれで失敗している国のほうが多いです。
教育を変えるためには、制度や教育内容だけでなく、家庭や地域を含めた社会の理解が必要になります。
――ということは日本も、日本の教育のよさを再認識し、そこから出発して少しずつよい方向に変えていくことが大事なのでしょうね。
バリエーションの少なさが弱点と前述しましたけれど、「バリエーション」の言葉だけで言うなら、長所も日本にはあるんです。それは生徒集団のバリエーションですね。
現在は私立校に行く子が増えてきてはいますけれども、日本の学校、とくに公立校は基本的に社会・経済状況の異なる家庭の子どもたちが共に学んでいます。お金持ちの家の子も、生活保護家庭の子も同じ学校に通って学びますよね。これはアメリカなどでは通常考えられません。裕福な地域と貧困地域のように住むエリア自体が分かれているので、そもそも貧困地域の学校に、裕福な家の子が通うことはない。もちろん、逆のパターンもないわけです。
またアメリカは民族的に多様とも言われていますけれど、データで調べてみたら、たとえば白人の子は白人が集まる学校に通う傾向が明らかなんです。その点でも日本の学校はものすごく多様化しています。三重県のある公立小学校では、外国籍の子が7割を占めていて、インターナショナルスクールのようになっているとのことでした。
さまざまなバックグランドを持つクラスメイトと一緒に学校生活を送っていくなかで、多様な考え方や価値観があることを知ったり、それまで当たり前だと思っていたことがそうではないことに気づいたり、他者への敬意が大事であることを学んだりする。そこにも学校教育の意義と役割があります。生徒集団に関してのバリエーションの豊かさは、日本の教育の大きな長所ではないかなと思っているのですが、あまり注目されておらず、私としては少し残念に感じています。
――最後に教えてください。白井さんの目からご覧になられて、日本が参考にするといいのではないかと思える理想的な教育を行なっている国ってありますか?
よく「どの国の教育がいいですか」とお尋ねいただくのですけれども、理想の国はないというのが私の答えでして……。どの国も一長一短がありますし、理想的に思える国があったとして、その国の教育を日本に導入したらうまくいくかといえば必ずしもそうではない。その国ごとに、いろいろな政治的状況や歴史的な経緯などを経て、自国にとってよりよいと考える教育をつくりあげているので、それが現在のベストなのではないかと思います。
もちろん普段から見直していく努力は必要ですが。
(聞き手・文 八木沢由香)

しらい・しゅん 1976年生まれ。埼玉県出身。東京大学法学部卒業。コロンビア大学法科大学院修士課程修了。2000年 文部省(現・文部科学省)に入省し、同省生涯学習政策局(現・総合教育政策局)、初等中等教育局、高等教育局、国際統括官付等で勤務、その間、OECD(経済協力開発機構)、独立行政法人大学入試センターに出向。2023年8月より内閣府に出向し、2025年8月から東京科学大学へ。2026年4月から現職。著書『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来』(ミネルヴァ書房)、『世界の教育はどこへ向かうか』(中公新書)。

