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【特集】座談会「世に誤植の種は尽きまじ」――校正・校閲者が見た、いまとむかし―― 

書くことを生業とする人でも、やっぱり見落とす誤字脱字。 
でも大丈夫。「校正・校閲者」という強い味方がいるのだから。 
文章の誤りや誤植を正し、体裁を整え、質を保つプロフェッショナル、
境田稔信さん、田中栞さん、居郷英司さん(発言順)の3人に、 校正・校閲の裏と表を本音で語ってもらった。進行役は編集部。 

この誤植は、つまり雷のせいである 

――本や雑誌の出版スケジュールは、最後たいてい押せ押せになりますから、出版界の“最後の砦”である校正・校閲者にしわ寄せがいくことも多い。ということで、スミマセン、初めに謝罪しておきます。ところで1冊の本をどのくらいの期間で校正するんですか? 

境田:普通の単行本であれば、初校はだいたい1週間ですね。昔のような原稿照合と素読みでも、現在のテキスト入稿による校閲(事実確認を中心とした素読み)でも、同じぐらい。当然、内容によって、かかる時間はまちまちです。一方、雑誌だと、校正刷が出るページ数は毎日違い、それによって仕事量が変わります。最後の出張校正だけ、出版社に出向いて二日ほど。 さすがに辞書は持ち歩けないから、スマホに辞書アプリを入れています。国語、漢和、中国語、英和、和英、百科などで、国語辞典だけでも数種類。
 
田中:ウェブの辞書にも誤植がありませんか? 

境田:紙版にあれば同じ誤植がありますね。ウェブではないけど『広辞苑 第七版』の場合、誤りを修正した部分は行数が増えたので、増刷の際、最終的に他の部分を削っています。ところが電子版の場合、最初は第一刷のテキストデータがそのまま残りますから、結果的に「修正前」「修正&行数調整なし」「修正&行数調整あり」の三種類あるんですよ。 

田中:私も辞書の校正をしたことがありますが、ある漢和辞典を小型版で記念出版することになり、データで出力した校正刷りと出版されている辞典の印刷面とを照合したら、10ページに一カ所くらい違う部分があってびっくり! 結局、人力で一文字ずつ確認しましたが、2000ページ以上ある本で、えらい仕事でした。いったいなぜこんなことが起こるのか……。 

居郷:コンピューターをバージョンアップした際の不具合とか、途中で追加した部分が反映されていなかったとか、修正したはずの誤りが復活したとか、いろいろな可能性が考えられますね。 

境田:「雷が落ちたから誤植になった」という言い訳もあったなあ。コンピューターで組版を始めたころですが。 

境田さん
約8000冊の辞書に埋もれて、「立って半畳、寝て一畳」の生活を満喫。
エアコンを付ける場所もなく業者も立ち入れないので、辞書をどかして自力で設置。
〝やっとの思い〟と本人は言うが、大変さは微塵も感じられない。もはや仙人! 

――磁場の問題でデータが狂ったという説明も聞いたことがあります。コンピューターでの製作ならではの問題が起きるんですね。活字がモノとして存在していた活版印刷のほうが問題は少なかったんでしょうか? 

田中:いやいや、活版は活版でトラブルが山のようにあります。 

居郷:活版印刷の場合、組んだ版は紐でくくってあるだけなんですよ。それを動かしたりするときに落としてバラバラになっちゃうことがある。そうすると、印刷所の人が大急ぎで活字を組み直すわけですが、その際に組み間違いを見逃すことがある。ちなみに組版を保管する木製の盆をゲラと呼んでいて、その状態での試し刷りである校正紙が、いわゆるゲラ刷り。初校ゲラとか再校ゲラといった言い方は今でも生きていますね。ゲラはGalleyのなまったものと言われています。 

境田:有名な作家の作品で、文字が横を向いたままの本がありました。誰かが校正終了後にへまをしたらしく、それが正確に直されないまま印刷・製本しちゃったんですね。 

――昔の競馬新聞や競輪新聞には活字が天地逆だったり、横を向いているものがたくさんありました。不動産広告で「最寄駅から徒歩十二年」というのもありました。 

田中明らかにうっかりミスだとわかるし、読む人もすぐ間違いだとわかる。情報の決定的な誤りじゃないから、それは許容範囲です(笑)。ですが文学作品となると興醒めです。 

ビジュアル化する文字 

――活版印刷から現在までで、何が一番大きな変化でしたか? 

居郷:原稿が手書きからデータ入力になったことでしょうか。手書き原稿の場合は、印刷所の「文選工」と呼ばれる人が一字ずつ活字を拾い、「植字工[ちょくじこう]」がページに組んでいくんですが、文選時に原稿の略字やくずした文字を拾い間違えることが多かった。今は、文字の入力ミスや漢字の変換ミスですね。書く人は頭の中に文章があふれているから、少々の間違いは気にせずどんどんキーボードを打っていきます。 

境田:日本語の「ビジュアル化」も気になります。表記が今までのスタンダードから外れつつある。ブログやX(旧ツイッター)、メールなど、個人的なやりとりをする場合はどんなふうに書こうと自由ですが、〝普通の書き方〟が分からなくなっているんじゃないかと感じます。たとえば、「わーい」を「わ~い」にするとか、そのときのニュアンスに近づけるために工夫するのはいいけれど、それが公になる文章に使われるのはどうかと思いますね。 

田中:縦書きでなく横書きが主流になったことも大きいのでは。パソコンは基本的に横書きですよね。縦書きでは段落行頭の一文字を下げますから、パソコンを使い始めたころはメールでもそうしていましたが、そのうちに違和感を覚えてやめました。そういうことがいくつかあります。 
 たとえば、三点リーダーは、一般的な出版物では「……」と二つが基本ですが、間延びして違和感があるから「…」と、一つのほうがすっきりするという人もいる。視覚的に美しくないということなんでしょう。SNSでは「・」(中黒)を複数並べて使う人もたくさんいて、世間一般の認識が変わってきているんですね。私は縦書きが横書きになっても同じほうがいいのにと思うけれど、そうはいかない。 

居郷:できた本は縦組なのに、執筆者の中にはパソコンで横書きで原稿を書いている人も多い。今はメモを縦書きで書く人はほとんどいないんじゃないでしょうか。 

編集者の視点、校正者の視点 

――「あらゆる印刷物は複数の編集者が目を通し、校正者、校閲者の確認を経てから世に出せ」との教えを叩き込まれてきました。たとえウェブ媒体でも、それは同様だと思うのですが、今はずいぶんと手抜きが多いように思います。 

居郷:編集者と校正・校閲者は、見る対象が違う。編集者は著者と読者を、校正・校閲者は文章を見ています。書家の石川九楊さんは『「書く」ということ』(文春新書)の中で、要約すれば「出版には、出版の可否を決める編集、世に通用しても可の形にする校正の二つの関門がある」ということを書いています。出版物に「著者名」と「出版社名」が記載されているのは、その本が著者のものでもあり出版社のものでもあるから。だから、出版社名が記載されているということは、出版社がその内容を保証するという意味だと私は考えています。ところが最近は、校正は著者の責任だとして、校正をしない出版社もあるらしい。 

田中:そう、編集者の見方と校正者の見方は全く別ですね。「売れる内容」にブラッシュアップするのが編集者で、文字の間違いや記述の間違いを指摘するのが校正者の仕事ですから。私への依頼は、校正と言いながら半分は編集の仕事のようなケースが多く、日本語表現の違和感や誤字脱字の確認、事実に関する記述内容が正しいかという確認に加えて、ストーリーの流れが不自然なところ、キャラクターや物語世界の設定との齟齬なども指摘します。でもそれは本来、編集の仕事なんです。ある出版社で学術書の素読みをしていたら、「著者が書いて印刷所が組んでいるんだからチェックの必要はない」と言われて、「えっ!?」と思ったこともあります。 

境田:「校正は著者の担当ですから、自信のない著者は自分で誰かに校正を頼んでください」という出版社もある。つまり、出版社側は校正の責任を持たないということですね。 

――境田さんが日本エディタースクールの校正技能検定試験に盛り込んだ誤植の「もちろん」は面白い話ですね。もちろん自戒を込めてですが。 

境田:「もちろん」を誤植にした「もろちん」ですね。サービス問題のつもりで出題したんですが(笑)、発見正答率は毎回五割に至りません。皆さん、漢字の変換ミスなんかには気をつけるんですが、平仮名の誤りはけっこう見落とすんです。 

居郷:だから、校正者にとって平仮名の多い児童文学は、人が思うよりは難しい。 

田中:確かに、漢字と仮名が混じっているほうがチェックしやすいですね。文章を書く際にも、平仮名ばかりが続くと読みにくいので、途中で漢字や読点を入れるなど気を付けています。逆に、漢字がつながっているのも数字がつながっているのも読みにくい。そういえば、数式と名簿は校正料が高いと聞いたことがあります。絶対に間違えてはいけないから。薬のグラム数などは人の命にかかわります。 

居郷:数字といえば、スーパーの広告とか通販カタログなどの商業印刷物の校正もある。一口に校正といっても分野によって視点が違ってきますね。 

境田:ネット通販で、本当は五万円の商品の値段を五千円と表示してしまい、仕方がないから五千円で売って何億円もの損害になったケースもあったとか。 

居郷:石川五右衛門の辞世の句とされている「浜の真砂は尽きるとも世に盗人[ぬすっと]の種は尽きまじ」になぞらえて、「世に誤植の種は尽きまじ」と言った先輩校正者がいましたが、なるほどと思いました。 

居郷さん 
「誤字脱字を見落とす人は頭がいいんです。脳が正しい言葉に変換してちゃんと読み進められるんですから」と、
「もろちん」をスルーした記者をナイス・フォロー。右目に厳密、左目に寛容。ライター・編集者にとって「神」

一文字ずつ「認め印」を押す覚悟 

――「絶対に誤植はない」と、堂々と宣言している本がありましたが。 

田中:いやいや、誤植は絶対にあります。私は『古本屋の女房』(平凡社)を出版した際、自分は校正者なんだから絶対に誤植を出すまいと決めて、出版社による校正に加え、何人かの知り合いの校正者に頼んで確認してもらいました。で、自信満々であとがきに書いたんですよ。「万全の体制で出版しました。万一、誤植を見つけたら本に挟んである読者カードに書いて編集部に送ってください」って。そうしたら山のように来た(笑)。 

※平は正しくは点二つが漢数字の「八」

一同:(笑) 

田中:出版記念会に参加してくださった方に本を渡したんですが、境田さんがパラリとめくった瞬間、「田中さん、この〝へ〟っていう字だけど」と誤りを指摘されてガックリ。「へ」の字って、平仮名と片仮名で違うんですよね。「自力校正できない」とは、まさに名言。とにかく正しいと思って読んじゃうんです。だから、目を代えるというか、別の人に読んでもらわないとだめ。 

居郷:「岡目八目」ですね。 

――自分が携わった本を手にしたときはどんな気持ちに? 

田中:献本してくれる出版社もありますが、まず開きません。なぜなら誤植が見つかるから。本当に不思議なんですが、開いたところにあるんです。違和感が目に飛び込んでくる。この仕事をしている人は、みんなそうなんじゃないでしょうか。 

――私も見ません(きっぱり)。 

田中:以前、勤めていた出版社で、編集長が担当した学術書が刷り上がり、編集長が著者に届けた際、著者が本をめくってひとこと、「この誤りはこの本だけだよね」――。なんと本扉の著者名に誤植があったんです。真っ青になって社に戻り、本扉だけ切り取って刷り直した一枚を貼り付ける「一丁切り替え」で乗り切りました。全部刷り直すのは大変ですから。製本会社に「一丁切り替え」をしてくれる職人がいて、差し替えたページが分からないくらいきれいにできます。 

居郷:反転した「裏焼き」の写真を掲載することもありますね。フィルムの表と裏を間違えて製版したり、フィルムをデジタル化するときに逆にしたりしてしまう。 

田中:写真も含めて、掲載されているものはすべてが校正の対象ですが、写真の裏焼きを見つけるのはかなり難しいですよね。 

田中さん
「個人がアップするYouTubeの字幕やブログ、SNSの誤字脱字は、まあしょうがないんじゃない? 
意味が通じて内容が分かればそれでよし。明らかに間違いだと分かる誤植は罪が軽いと思いますよ」とニッコリ。
全人類の味方! 

――間違いを見つけたときはどんな気持ちに? 

居郷:校正というのは、間違いを見つける仕事ではなく、確認する仕事です。エディタースクールで校正を教えていただいた古沢典子先生が「極小のハンコを持ちたい」とおっしゃっていました。「その文字がその位置にあっていいということを確認したうえで、一つひとつの文字に認め印を押したい」と。そういう心構えで校正に臨まなければならないんだと学びました。 

境田:確認して、たまたま違っていたら直すとか、指摘をする。 

田中:だから、赤字を入れることはほとんどないですね。「これでいいの?」「こっちじゃないの?」という感じで、やんわりと鉛筆で書き込む。 

境田:明らかにおかしいことも、わざと「こうじゃないでしょうか?」と書きます。校正者は、著者、編集者、組版と段階を経てきた最後の段階で全てを確認しなければならない。だから著者と同じくらいの知識があるほうがいいけれど、だったら校正者じゃなくて著者になれるかな(笑)。 

田中:この座談会の原稿も、私たちがしっかり見ますから(キラリと目が光る)。 

――ありがたいけど怖いですね。でも、出来上がったものは見ないんですよね。 

田中:あ、そうでした(笑)。 

【最後に】 
「校正は間違いを見つけるのではなく確認する仕事」という言葉に、思わず背筋が伸びました。書く側にもその姿勢が求められるのだと気づかされました。「もちろん」と「もろちん」の間――そこには、校正・校閲者の矜持と愛がありました。 

文=河世偲茉 

境田稔信
さかいだ・としのぶ 1959年千葉県生まれ。フリー校正者、辞書研究家、日本エディタースクール講師。編集プロダクションを経て26歳の時にフリー校正者に。『広辞苑』(岩波書店)、『新字源』(角川書店)、『大辞林』『新明解国語辞典』(三省堂)、『字通』(平凡社)など、多数の辞書の校正に携わる。共著・共編に『明治期国語辞書大系』(大空社)、『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社)がある。

田中 栞
たなか・しおり 1959年横浜市生まれ。日本校正者クラブ会員、日本出版学会会員、日本豆本協会会長、東京製本倶楽部会員。青山学院大学日本文学科在学中に日本エディタースクール夜間部に通い、校正技能検定試験に合格、出版社勤務を経てフリーに。古典漢文・学術書・辞典類の校正経験が豊富で、草書の原本や甲骨史料などとの照合作業も行う。一方でジュニア小説やBLの校正も。製本技術を修得、手製本や豆本づくりの講座も開催。著書に『古本屋の女房』(平凡社)、『書肆ユリイカの本』(青土社)がある。

居郷英司
いごう・えいじ 1953年岡山県生まれ。フリー校正者、日本エディタースクール講師。法政大学卒業。日本エディタースクール修了後、出版社勤務を経て、フリーランスに。出版デザインや岩波書店をはじめとする出版社の校正に従事。『標準 校正必携』(日本エディタースクール出版部)第7版・第8版の改訂に参画、 元・実践女子短期大学非常勤講師、元・日本校正者クラブ代表幹事、元・日本出版学会会員。論文に「芥川龍之介『支那游記』の製作工程――二種類の初版本を中心に」など。

河世偲茉

かわせ・しま 典型的なHSP。一度でいいから、「用件を聞こう……」とか「ワタシ失敗しないので」とか「あんた背中が煤けてるゼ」とか言ってみたい。