私小説作家の濃密すぎる1年間
1998年の4月に始まる、丸一年分の日記が本書だ。5月21日の日記には、「この頃、女子高校生の間にルーズ・ソックスというものが流行[はや]っている」と綴られている。そんな時代、下駄を鳴らして歩いていた私小説作家・車谷長吉[くるまたに・ちょうきつ]に、人生の一転機が訪れる。
当時、車谷は52歳。『鹽壺[しおつぼ]の匙[さじ]』で三島賞を受賞するなど、すでに文壇では有名な作家であったが、筆一本では食えず、嘱託社員として週二日通勤し、家では校正の内職に勤しみながら、創作に取り組んでいた。また週に一度、強迫神経症の検診のため、精神病院に通っていた。
5月、上板[じょうはん]して間もない初の長編小説『赤目四十八瀧心中未遂』が、伊藤整文学賞に選ばれる。しかし、伊藤整のことが大嫌い、という理由で受賞を拒否。これによりちょっとした争い事が起きるのだが、ややあって同作が直木賞の候補となり、8月に受賞して、本格的に慌ただしくなっていく。書き仕事が激増する。様々なメディアから取材を受ける。顔が売れ、方々で祝われる。著作が版を重ね、収入も上がりに上がる。かくして年明けには一軒家を購入し、借り家だった旧居から、妻と仲良く引っ越すのであった。
と、いいとこ取りすると、小説家の順風満帆なサクセスストーリーで、それはそれで、わくわくする。が、著者の作風からして、やはり濃密な読み所となるのは、その裏にあった幾つもの困難だ。直木賞を受賞したからといって、強迫神経症が癒えるわけでなく、車谷は道々で目にする突起物やアロエの葉、ルーズ・ソックスに怯え、日に何度も手を洗い続ける。本人も述べるように、書く苦しみこそが病因ゆえだろうか。それなのに、受賞によって執筆の依頼は増え、催促は加速した。「直木賞は死の病だ。文藝春秋によって殺される」。
受賞は編集者との確執も深まらせた。一本の小説をめぐる争奪戦で、二つの出版社の板挟みになったり、生涯の友と思っていた編集者から「絶交状」を突きつけられたり。人に怨まれるのが文士の宿命と開き直りつつも、罪悪感に苛まれ、絶交してきた編集者との思い出ばかりが書き込まれるようになり、次第に日記の体をなさなくなっていく(限りなく私小説に近づく)くだりに、とりわけ凄みを感じた。
ちなみにこの日記は、発表を前提として書かれたが、いろいろ問題があり、一部(「直木賞受賞修羅日乗」)を除き、未発表のまま遺され、二十五年経て刊行された。経緯は、詩人であり車谷の妻である高橋順子の後書きに記されている。これに加え、苦悩を綴る車谷の姿を傍[そば]から描写した、高橋の『夫・車谷長吉』や『この世の道づれ』収録のエッセイと併せ読むと、作家像が立体的に結ばれて興趣深い。鬼気迫る車谷の文章ばかり読んでいると息が詰まるが、なごやかな高橋の文章とセットで読むと、温冷交代浴的な効果が味わえる。
別の世界線を空想するのも面白い。日記前半には「史伝・秋水幸徳伝次郎」を構想し、大逆事件の資料を集める様子が散見するのだが、書かれることは生涯なかった。もし直木賞を受賞していなかったら、書かれていたのかも。読んでみたかったなあ、とも思う。
『癲狂院日乗』
車谷長吉 著
新書館 2600円(税別)
さとう・やすとも 1978年生まれ。名古屋大学卒業。文芸評論家。 2003年 、「『奇跡』の一角」で第46回 群像新人文学賞評論部門受賞。その後、各誌に評論やエッセイを執筆。『月刊望星』にも多くの文学的エッセイを寄稿した。新刊紹介のレギュラー評者。