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【望星インタビュー】川上和人さん――海鳥の島 南硫黄!ホンモノの原生自然がここにある◎聞き手・宗像充

海鳥の島 南硫黄! ホンモノの原生自然がここにある

NHK「子ども科学電話相談」でおなじみの鳥類学者の川上和人さん。17年前の2007年、川上さんは本州の南1200キロの絶海の孤島、南硫黄島に上陸した(筆者も登山サポート要員として同行)。以後継続して小笠原の無人島を探査し、鳥と島の自然の成り立ちの密接な関係を明らかにしている。3年後の27年の再調査を見据えているいま、話を聞いた。(聞き手は宗像充さん)

海鳥がすごい!

――2007年に東京都によって行われた南硫黄島調査、翌年の北硫黄島の調査に、ぼくも登山サポート要員として加わりましたが、調査船からゴムボートに乗り換えて近づき、最後は泳いで取り付く無人島調査でしたね。鳥類の川上さん、ほかにも植物、地質、昆虫、陸棲貝類など、一線で活躍する研究者たちが全国各地から集まってきました。川上さんは10年後の17年にも南硫黄島に上陸しています。『無人島、研究と冒険、半分半分。』(東京書籍、2023年)で探検を振り返っています。17年前の南硫黄では、まず何がわかりましたか。

 島中、海鳥だらけでした。数十万羽の海鳥がいると考えられます。他の無人島と違って南硫黄島は人の影響がない数少ない島。研究者にとっては生態系のオリジナルな状況を見ることができる聖地です。ただし簡単には行くことができません。

南硫黄全景(島の写真はすべて川上和人撮影)

――海抜916メートルの山頂付近の夜間調査では、ヘッドランプ目がけて次々と海鳥が空から降ってきました。おかげでぼくもクロウミツバメやシロハラミズナギドリの名前を今も覚えています。 

 島は本来、本土と比べていろんなものが少ない、生き物は簡単には移動して来られない場所です。その中で唯一海鳥は本土ではなく島の側にいる。あんなに高密度でいるなんて。捕食者もいないしナワバリのある鳥だと集団営巣はできない。おもしろい立場です。

南硫黄島だけで繁殖するクロウミツバメ

――山頂付近の斜面は海鳥の巣穴だらけで踏みつぶさないでは歩けませんでした。

 高密度で海鳥がいることで地面が剝げ、フンは栄養分をもたらしてそこに海鳥にくっついてきた種子が散布される。ミズナギドリのトンネルはそこで暮らす昆虫の生息地になる。他の島は人がいて海鳥が減っているため、生態系に及ぼす影響もマイルドになっているんですね。島が本気出すとこうなのかと驚きました。

――山頂には海鳥の死骸もたくさんありました。

 海鳥のフンに含まれるリン、チッソが豊富な環境に適した植生になる。天敵がいないので死体はそのままでハエが多くいる。海鳥の死体を食べる甲殻類もいる。環境の構造自体を海鳥が決めていました。
 10年後の2017年の調査では、原生状態で海鳥が生態系にどういった影響を与えているかを調べました。海鳥は魚を取って島でフンをします。植物の葉っぱや昆虫、トカゲなどを調べることで、海から始まる物質の循環を海鳥が作り出しているメカニズムを明らかにしつつあります。影響は圧倒的です。

――ほかの島を調べることではわからない?

 近年、先史時代の遺跡の遺物を調べることで、ハワイなどでも有史以前にミズナギドリが絶滅していたことがわかっています。世界中の島はかつては海鳥だらけでした。ところがいま、世界中で海鳥は絶滅しつつあります。もともと海鳥がいた時代のことがわからなくなっている。そんな中でもともとの状態が保持されている南硫黄は、海鳥の種類も数も多かった。
 海鳥というと開けたところにいるのをイメージするけど、もう一つ興味深いのは南硫黄の場合、森林棲の海鳥だということです。900メートルの山頂付近は標高があるため湿度の高い雲霧林(※)です。なのに下層植生は海鳥に踏まれて貧困で多様性にも影響を与える。これが原生状態なんだとわかった。

※熱帯・亜熱帯の山地で霧の多い場所に発生する常緑樹林

――翌年上陸した北硫黄島では、森林が発達していて逆に海鳥の姿は見えませんでした。

 南硫黄と違って植物がいっぱい生えていて「これこそ豊かな自然」と一見して思うけど、それが実はオリジナルなものじゃなかった。北硫黄では戦前までは人が住んでいて、そのときにネズミが入ってきた。ネズミがいると卵やヒナ、それに親鳥も襲われるためミズナギドリの仲間は繁殖しなくなった。今も回復できないままです。海鳥の影響がなくなったから植物が茂っていたのでしょう。

捕獲調査でシロハラミズナギドリを捕まえて足輪を付けているところ

鳥類学者だからって……

――ところで川上さんは鳥の研究者ですが、もともと鳥に興味があったんですか。

 大学に入ってはじめて鳥に興味を持ちました。東大の林学科森林動物の研究室に所属して卒論のため鳥の研究をすることになりました。

――小さいころから自然に親しんできたとか……。

 どちらかというとテレビっ子でしたし、家は大阪の新興住宅地でした。今も仕事以外はインドア派です。高校のときは理科は物理、化学を選択し生物はとっていなかった。大学では山で自然観察するサークルには入っていたけど、本格的な鳥の調査は、私の先生が昔調査していた小笠原のフィールドをひきついで始めたのが最初です。
 母島で固有種のメグロの調査を始めて、その後無人島に行くようになりました。いろいろな島を訪問すると、島によって生物相がそれぞれ違う。
 研究は、①事実を明らかにすること。②相関関係を明らかにすること、そして③メカニズムを明らかにすること、の順で進みます。小笠原の場合、島がいっぱいあることで島ごとの違いがだんだん見えてきて、その意味がわかってきます。
 1995年の大学4年のときには、一人で小笠原に行って調査をしていました。鳥の調査は日の出ごろから始まり8時には終了する。テレビもネットもないから、後は釣りや遊んだりして過ごします。10ヵ月現地で過ごして見聞が広がりました。

「研究と冒険、半分半分。」

――父島から300キロ離れた南硫黄島は、半径約1キロ、標高も約1000メートルで平均斜度45度の孤島です。下部が岩の断崖になっていてクライミングの技術が必要です。2班に分かれた研究者たちも登山装備を身に着け、ぼくたちがルート工作したロープをたどって山頂を目指しました。登山家としては南と北の硫黄島の山頂に立った数少ない人類の一人になることができました。

 東京都に南硫黄の探検と調査に情熱を傾ける中野秀人さんがいたのは大きかった。それまで25年間学術調査はなされていなかったわけですから、やらないからといって誰も困らない。実現には調査隊の中には登山家の朱宮丈晴さん(日本自然保護協会、植物学)がいて、宗像さんをはじめとした登山隊を組むことができたことも欠かせません。当時は2011年の小笠原の世界自然遺産登録を目指して自然の持つ価値を明らかにすることが求められ、南硫黄はその中でも目玉でした。一気に機運も高まりうまくいきました。あのときの調査がなければ、その後の継続的な調査も実現していなかったでしょう。

山頂へのルートは登攀となる。海抜200メートル地点で。左は宗像

――研究者たちは島を後にしたその後の研究で多くのことを明らかにしていった。ぼくも自分が参加した探検の意味を川上さんの著書を読んで遅ればせながら知ることができました。父島では夜間にしか飛ばないオガサワラオオコウモリが南硫黄では昼間飛んでいる。外敵がいないだけではなく食べ物がそもそも少ないからでは、と現地でその理由を川上さんたちが推測していたことを著書を読み思い出しました。2007年の調査では川上さんたちは捕まえた鳥たちに片っ端から足環を付けていました。

 10年後の調査ではあのとき付けた足環をしたアナドリがいました。父島に隣接する南島で別の研究者が足環をつけたカツオドリも南硫黄島で見つかりました。
 南硫黄島の調査では島の全域で繁殖する海鳥の生息状況が明らかになり、その後に続く島々の調査の大いなる予備調査になりました。その後は火山が噴火した西之島などでも海鳥の生態系の中での役割を調べていきました。また、南硫黄島を調査することで、保全の目標を設定することができました。

――小笠原諸島ではヤギはじめ外来生物の駆除を各島で行っています。

 それまでの保全ではゴールが明確でないことも多かった。外来種を駆除するといっても、じゃあ駆除した後にどういう状態を目指せばいいのか。でも南硫黄島の調査で目標となる生態系の姿がわかったので、それを達成するために一つひとつやることが決まってきた。
 それ以外でもいろんな調査のきっかけになった。南硫黄では服にくっつく外来植物のシンクリノイガが侵入していた。それは海鳥にくっついて運ばれてきたことが他の島で海鳥を調べるとわかった。海鳥がそういう機能を持っていると気づかせてくれました。また南硫黄をきっかけに始めた海鳥調査で、海鳥の巣穴を生息場所とする昆虫がいることもわかった。
 繰り返しますが、南硫黄島は人の影響がない希少な島です。まずそこに何がいるか明らかにし目録を作ることができた。そして、海洋島の自然の中では海鳥が重要な機能を持っていて、その上に生態系が成り立っているのを目にすることができた。

島は生きている

――2007年の南硫黄島ではゴロタ石で埋まった海岸にベースキャンプを置きました。ルートは岩場のクライミングから始まり、その後も落石が頻発する崩落地形を通って鞍部(コル)に達します。そこから山頂へと尾根が続く。地形としても独特でした。

 地形的に南硫黄には淡水はない。900メートルというあの標高だからジメっとしていて上が涼しい。過去の報告はあっても、山頂付近でアジサイが咲き誇っているのを実際に見るとビックリしますよね。ここと北硫黄島以外、小笠原の他の島には分布していないんですから。

――山頂へのルートはこの一本しか明らかになっていません。そこで幕営したのに、川上さんたちが10年後に行った際は、このコルそのものがなくなっていたんですね。島の地形も不変ではなかった。

 島の自然は人がいなければ変わらないと思っていたらそんなことはなかった。南硫黄は島ができて数万年の比較的新しい若い島です。崩落でコルはなくなり、島そのものが成長・変化している。
 噴火で生まれたばかりの西之島の調査もしました。年齢の違う他の島を見る中で、生物相の違いもわかり、それらが島に定着・拡散するプロセスもわかる。広域に分布する生き物も島で移動がなくなれば固有種が進化します。さらに風化や崩落で島の標高が低くなれば、消える生物もあるわけです。

――ぼくは登山の経験があって隊員の安全を確保するのが仕事でしたが、隊員の皆さんは日頃は研究者ですから、いくら研究とはいえ標高900メートルの山頂に向けてクライミングも交えて登って調査するのは、ぼくたちとは違う苦労があったのでは。

 たいへんでした。でもまだ見ていない、知らないものを知るのは研究者としての最大の魅力です。見るもの見るもの南硫黄は知識を更新してくれました。無数の海鳥が光の誘引でヘッドランプを目がけてくるというのも、耳学問としては知っていましたが、実体験するのとでは迫力も説得力も違いますよね。

――研究の姿勢も変わった?

 南硫黄の調査がなければ、研究人生は違うものになっていたと思います。私は森林総研に所属していて、海鳥の調査はちょっと後ろめたいところがそれまでありました。でも南硫黄に行った後は海鳥も森林生物として堂々と研究できるようになった。南硫黄は仕事まで変えてしまいました。

3度目の南硫黄の調査に向けて

――2027年の南硫黄の調査に向けては、何を目標にしますか。

 島間のつながりがテーマになります。断片的ですが海鳥を調べることで、海鳥が種子散布にかかわっていることがわかった。絶海の孤島と言いつつ、南硫黄も実は孤立しているわけではない。鳥たちにも移動性がある。他の島とどういう関係を持っているのか、それにどういう意味があるのかが課題です。
 先ほどの研究のプロセスに倣えば、①南硫黄に何があるかはわかった。②どういった変化があり、海鳥が果たしている役割がわかった。そして今度は、③海鳥が移動することでどうやって生態系が形作られるのかというメカニズムを明らかにしていく。海鳥に発信機を付け移動を追うこともできますし、登山隊次第ですが、まだ足を踏み入れていない北側のエリアにルートを開くことができるかもしれない。ドローンが発達すればサンプリングなどで力を発揮するかもしれません。まだまだ夢があります。

――最後に南硫黄のことについてはじめて知った読者にメッセージをお願いします。

 日本にもまだこんな島があるということを知ってほしい。島国の日本には1万4千以上の島があります。そのバリエーションの中でも南硫黄は一つの頂点だと思う。こんな島が現代の日本にも残っているし、島の構造は平気で変わる。研究や冒険、新しい発見ができる余地がまだまだある。次の世代にこの島を受け継いでいきたい。若い世代は新たな発見をしに、ぜひ南硫黄を目指してほしい。

川上 和人

かわかみ・かずと 1973年生まれ。農学博士。国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所鳥獣生態研究室長。東京大学農学部林学科卒、同大学院農学生命科学研究科中退。著書に『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(新潮文庫、2018年)、『鳥類学は、あなたのお役に立てますか?』(新潮社、2021年)、『そもそも島に進化あり』(新潮文庫、2023年)、『鳥肉以上、鳥学未満。』(岩波現代文庫、2023年)、『あたらし島のオードリー』(アリス館)など。図鑑の監修も多く手がけている。2017年刊行の『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮社)がベストセラーとなり、読書界の注目を集めた。

宗像 充

むなかた・みつる 長野県大鹿村在住のライター。登山、環境、人権、家族、民俗、歴史等幅広いテーマで執筆。登山の取材からリニア新幹線の建設現地、南アルプスの麓大鹿村に移住。山小屋の小屋番など秘境ライフをエンジョイしながら地域づくりのミニコミ「越路」を主宰。著書に『結婚がヤバい 民法改正と共同親権』(社会評論社、2023年)、『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(旬報社、2022年)、『共同親権』(社会評論社、2021年)、『南アルプスの未来にリニアはいらない』(大鹿の十年先を変える会、2018年)、『ニホンオオカミは消えたか?』(旬報社、2017年)ほか多数。